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「レイコの青春」  13~15

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 スピッツの時代(第二次世界大戦後の)欧米の乳児施設と、
1960年代の日本の施設では、状況が全く異なります。
にもかかわらず、「子ども+施設→ホスピタリズム」という安易な解釈が、
間違ったまま流用されました。



 ボウルビィは、イギリスの医師です。

 彼は1948年に
国連からの依頼で、戦中から戦後にかけて、
両親と離ればなれになった各国の子供達についての調査を開始しました。
1950年に提出された報告書の中で彼は、施設収容がなくても、
「ホスピタリズム」が生じるということを報告しています。


 施設に関係なく発生することから、その原因は
施設自体にあるのではなく、母性的配慮の喪失経験にあると考え、
「母性喪失(剥奪)」(マターナル・デプリベーション)という
考え方を提唱しました。
彼はさらにその報告書の中で、その母性剥奪が
「子どもの生涯に渡って悪い影響を及ぼす」とも書いています。


 
 しかしボウルビィの 実際の調査研究は、
48年から50年までの、わずか2年間にすぎません。
そして、彼が研究対象とした子供達は、最年長でも15歳以上ではなく、
実際には、もっとずっと小さかったことがわかってきました。
それなのになぜボウルビィは「将来の全人生に影響を与える」などと、
言い切ることができたのでしょうか・・・・


 1956年になると、ボウルビィは新たな論文の中で、
このような主張が、必要以上に誇張であった事をあらためて
認める発言をしています。
「母性喪失」が、全人生に重大な影響を与えるとは、
一般的には言い切れないと、言い直しています。


 この当時、日本における「三歳児の神話」の流布と浸透のために
積極的に加担した多くの官僚や医師、マスコミ界の関係者たちの中に
このボウルビィの必然的転換を、きちんと認識した人が
どれだけいたのでしょうか・・・
残念ながら、結果は皆無です。


 日本における3歳児の神話は、
もうひとつ、「三つ子の魂、百までも」という概念からも
スタートをしています。
もちろん、こどもにとっての幼児期は、人として成長するうえで、
もっとも大切な時期であることに、疑いの余地はありません。



 しかしそれらを逆手(さかて)にとった、
「母親の愛情がベスト」「母親は育児に専念することが努め」
などといった、育児にかかわる母親の役割を、
あまりにも偏った概念へと発展させるための論調が
意図的に何度も繰り返し誇張されました。


 さらに、
「母親が育児に専念しないと、子供の発達がゆがむ」
と結論づける風潮も、根強く繰り返されるようになります。
こうなると、結婚をして母親となった女性たちが社会的に
「働き続けること」が重荷となり、ライフスタイルにも
重くのしかかるようになってしまいます。
こうして日本における、古典的な言い伝えまでも駆使をして、
1960年代に世界でも例を見ない日本独特の、
「3歳児の神話」が誕生をしました。