「レイコの青春」 13~15
戦前には、
「三歳児の神話」と言う学説は存在していません。
1961年、第一次池田内閣のよる「人づくり政策」のもとで、
幼児医療の世界で、初めてとなる三歳児検診が開始されました。
これと相前後する形で、「三歳児の神話」が作りだされました。
政府やマスコミによって意図的に操作をおこない、ことあるごとに
この学説が強調されるようになりました。
当時の厚生相で児童局長を努めていた黒木利克氏は、
その著書の中で、池田総理の発言に関して
以下のような言葉を述べています。
「要するに人づくりの根底は、
よい母親が、立派な子どもを生んで育てることなんだ」
という総理の言葉を受けて、
「これを施策の前進といわずして何であろう。」
と大絶賛をし、かつ最大限の賛辞を表しています。
これ以前の時代には、このような視点や考え方は
常識として存在もしていなかったという事実を、
明確にかつ如実に示した発言です。
しかもこの後も、この厚生相・児童局長の黒木氏は、
「3歳児の神話)の根拠となる、『母親の手による家庭育児の重要性』を
終始強調するようになります。
1964~5年には、NHKが
『三歳児』という母親向けの幼児教育番組を作成しています。
医師や、心理学者たちがこの制作に積極的に関わりました。
いわゆる政府による世論操作の一つで、三歳児までは
家庭で育てるのが正しいと言う
大合唱が此処から始まる事になりました。
母の役割をことさら強調したこれらの既成事実化の積み上げが
やがて日本中に、三歳児ブームが巻き起こしことになります。
「三歳児の神話」はこうして、1960年代の当時の政府とその関係官僚、
一部のマスコミ達によって意図的に生みだした、
誤った風潮と学説ののひとつです。
この時代はもういっぽうで、同居家族の崩壊が始まり、
いわゆる「核家族化の時代』がはじまったその元年とも言われています。
若い夫婦だけの新世帯がたくさん、日本中で誕生しました。
共働きも全盛になり始めたこの時代に、
この『3歳児の神話』が大きく立ちふさがります。
なぜ日本における保育行政は、そのスタートの当初から
意図的に、3歳児以下を切り捨てたのでしょうか・・・・
そのわけは、労働界における低賃金政策と、企業サイドによる安上がりの
労働力確保と、同時に都合によって切り捨てていくための、
好都合な支配政策にありました。
出産からの3年間、子育てのために
母親は有無を言わせずに家庭にとじこもってしまいます
子供は社会の宝と称賛をする一方で、社会的に子供を育てる
一貫したシステムを、あえて承知の上で切り捨ててきた、
育児と教育に関する日本の政治の『後進性と貧しさ』が
実は、ここでも深刻な暗い影を落としています。
日本における0歳児保育や3歳児以下の保育の実践とその実現は
働きながら子供たちを育ててきた、多くの母親たちの
頑張りから生み出されました。
この後に展開をする本篇の内容も、じつはそれらをまとめた
記録のひとつです。
三歳児の神話などで、最も頻繁に引用されたのは
ボウルビィの書いた「母性喪失」に関する調査研究の報告書です。
その他にも、スピッツの「ホスピタリズム」などが使用されたり、
ロレンツの「刷り込み」概念なども、ひんぱんに流用されました。
明日は、それらの学説について詳しく書きたいと思います。
作品名:「レイコの青春」 13~15 作家名:落合順平