アルフ・ライラ・ワ・ライラ4
4:隊商(キャラバン)
翌朝、イオは耳慣れない音に目をさました。
葉さずれだ。風が吹いて、木の葉をゆらす。鳥たちの鳴き声に、かすかな水音。
「?」
いつもとは違う音と光、あたりの気配にイオは目をあける。
真っ先に飛び込んできたのは、青く、どこまでも澄んだ高い空。
鷹だろうか、青空を背に鳥が飛んでいる。頭上を椰子の葉がさらさらと揺れる。
(どこ・・・ここは?)
ぼんやりと霞む頭で考える。自分の部屋、寝台ではありえない。
「起きたのか」
声に首をまわすと、イオのすぐ側に黒い男が腰を下ろしていた。
「あなた・・・」
一瞬にして、昨夜のことが駆け巡る。
破壊された市場、ジズの狂気の刃、そして指輪から現れたこの魔神。
冷水をかけられたかのように、意識は覚醒する。イオはあわてて体を起こすと、隣に座り込む男に向かい合った。
「ジャハール!そっか、ここは・・・」
そう、砂漠のオアシスだ。昨晩、ネイシャブールから飛び出してきたのだ。
ジャハールをよく見ると、イオが眠る直前に見た時と同じ格好だ。
「起きたなら、さっさと願いを破棄しろ」
「え?」
怪訝そうに首をかしげる少女を、ものすごい顔で魔神が睨み付ける。
眠い目をこすり、頭をめぐらせば、
―――――『もう寝るから静かにじっとしてて』
脳裏に響く声にイオはハッとする。
「あ!まさか昨日からずっと、そうしてたの?」
むすっと不機嫌な表情を見ると、どうやら、そのまさからしい。
「あの、ごめんね。取り消します。もう動いていいよ」
「ちっ、それより、あれどうする」
さっそく立ち上がり、体をバキバキとならしながら魔神が指さす方に視線を向けると、砂丘をこえていくつもの影がこちらに向かってやってくる。遠く砂煙にかすんではいるが、何頭ものラクダや馬、荷車、そして人影。
「隊商の人たちだ・・・」
「あいつらぶちのめして、朝飯でも取ってくるか?」
「っ、だめ!きっと、このオアシスに来るんだわ」
どこから来たんだろう。ネイシャブールからだろうか。でもネイシャブールの市場は多大な被害を被ったはずだ。今日明日で出立できるとは思えない。
―――――もう街には戻れない。家にも帰れない。
ジズの血走った目を思い出し、イオは顔をふせる。きっとジズはまたこの指輪を狙ってくるだろう。何度でも、何度でも、きっと自分の指におさめる時まで。
この指輪が外れないことには、家には帰れない。
どの道、行く当てもないのだ。
覚悟をきめると、イオは立ち上がり、隊商が到着するのを待った。
故郷から来た隊商ではないことを祈りながら。
砂漠の真ん中の小さなオアシス。その木陰から突然あらわれた二人連れに、商人たちは驚いた。警戒されているのが、手に取るようにわかる。
少しでも警戒心を解きたい一心で、イオはにっこりと微笑み、明るく声をかけた。
「こんにちは、いい朝ですね。わたしはイオ。こっちは連れのジャハール。おじさんたちは、どこから来たんですか?」
「サマルカンドからだが、お嬢さん、なんだってこんな所にいるんだね?見たところベドウィンでもなさそうだが。ここらへんには集落もないだろう」
「ええ、まあ。それより、おじさんたちはどこまで行くんですか?」
「イスファハーン、ヤズド、バム、テヘラン、ナイン、それから都まで行くのさ。なんでも都はとっても景気がいいそうでね、いい商売になるよ」
商売の話になると気分も興奮するのだろうか、商人たちは上機嫌で話を続ける。これは、ちょうどいいかもしれない。意を決すると、少女は切り出した。
「あの、わたしたちも連れって行ってくれませんか?」
「おいっ!ふざけんな」
すぐさま横からジャハールが抗議するが、すかさずイオは釘を刺す。
「黙ってて!」
「ぐぅ」
「あんたたちを?だが・・・」
「働きます。水くみでも、荷物持ちでも、なんでもします。お願いします」
必死に頼み込む少女に、商人たちは困ったように顔をしかめ。
「いや。お嬢さん、あんたは悪い人間には見えないが。この砂漠までどうやってきたんだね。それに、お連れ人の、その・・・両手の枷は・・」
不審な視線がむけられて慌ててイオは釈明する。
「あの、それが、わたしどうやってここに(飛んで)きたか、わからないんです。(ジャハールに下ろされて)気がついたらこのオアシスにいて・・・」
「あんた、まさか人さらいに?!」
「わかりません。あっ、でも、わたしたち怪しくないです。罪人でもないです。この人の、これは、えっと、飾りというか・・・」
イオはしどろもどろに説明する。
ジャハールは相変わらず、むっつりと黙り込み、不機嫌そうに顔をしかめている。
「黙ってて!」という言葉がきいたのか、魔神は口をはさまないが、これはこれでマズイ状況だ。
商人たちの訝しげな視線にますますあせるイオだったが。
そのとき、助け船があらわれた。
「まあ、いいじゃないですか。旦那」
ラクダから荷物を下ろし終わったのか、体についた砂埃を軽くはらうと、男がこちらに歩みよる。砂色の髪をターバンでまとめ、腰には剣をさしている。ジャハールほどの長身ではないものの、その身のこなしから十分に剣技を習得していることが窺える。
青年はイオを見ると、にっこりとほほえんだ。ついでに、商人にはわからぬように素早く片眼をつぶってみせる。
「こっちのお嬢ちゃんは彼女たちのお世話にぴったりですし、そっちの兄さんは護衛・・・とまではいかなくても、荷運びをまかせられそうです」
「そうだな、サマル一人では手にあまっておるからな。しかし・・・」
「でしょう?前の町で雑用を雇えなかった分、補えるなら安いもんじゃないですか」
「ううむ。イオといったね。急なことだし、紹介もない者を雇うことは本来ならば避けたい。だが、人手が足りないことも事実だ。賃金は出せないが、水と食料、それから寝床は保証する。それで、どうかね?」
「はい、十分です。よろしくお願いします」
「ではさっそく働いてもらおう。カラム、二人に仕事を教えてやってくれ」
「わかりました」
隊商に指示を出すためもどっていく背中を見送ると、男はイオに振り返る。
「よかったね。オレはカラム」
「あ、ありがとうございました。わたしはイオ、こっちはジャハールです。あの、カラムさんは・・・」
「オレはね、この隊商の用心棒をしているんだ。それからカラムでいい、長い道中だ。よろしくな、イオ」
にっこりとイオに微笑むと、少女背後から鋭く睨む男にカラムは目を向けた。そしてきょろきょろと二人を見比べると。
「まさかとは思うけど、お前さんたち恋仲かい?」
「ち、ちがいますっ!」
目を白黒させて慌てて首をふるイオを見ると、満足そうに微笑む。
「そうだよな、どっちかというと、お嬢さまと下男って感じだもんな。いやいや、こんな砂漠に二人きりじゃ、駆け落ちかと思っちまったよ」
簡素だが細やかな刺繍の施されたイオの服と、いかにも着古したジャハールの服を見比べて男はうんうんと頷く。
「おれは他人の花には水はやらない主義でね。さ、この上着をきなよ。そんな格好じゃ、砂漠をいくのは大変だ」
忘れていたけれど、イオは薄い夜着のまま飛び出してきたのだ。
作品名:アルフ・ライラ・ワ・ライラ4 作家名:きみこいし