海人の宝
これこそ、自分の出番だろうと思い、龍司は立ち上がりヘインズに向かって怒鳴り声で言った。得意の英語でだ。
「ヘイ、ヘインズ曹長さんよ。こんなくだらないゲームをして俺たちをからかうのはいい加減にしてくれよ。どうせ話しを聞く気もないくせに。あのな、そりゃあ、お前らに権利があることは認めるよ。だけどな、ここはアメリカじゃあないんだ。自分の権利を好き放題主張すれば勝つという道理は通じないんだ。日本では、相手に遠慮をするという謙虚さが美徳とされる文化があるんだ。自己主張を通して取れるものを取った奴が偉いというのでは、ここでは嫌われ者になる。でもってな、権利があるんだと主張するなら、俺たちにも権利があることを忘れるな。モズクの網は俺たちで守ってみせる。潜っても、周りを俺たちの船で囲ってでも。それでも、そっちの権利が上だというのなら、俺たちを轢き殺してでも、戦車を通すんだな」
龍司は久しぶりに、英語を話したのだが、何の息切れすることもなく、必要な単語がすらすらと口に出てすきっとした気持ちになった。
あたりは、しばらくしーんとなった。この場で龍司の言葉が理解できたのは、龍司自身とヘインズしかいない。
すると、ヘインズは、その場の雰囲気をひっくり返すようかのように、龍司ににたりと微笑んだ。何とも不気味な微笑みだ。いったい、この男、何を考えているのだろう。
「それでは、もう時間がないので、ここで失礼させていただきます」
と通訳の男が席から立ち上がり、ヘインズも一緒に面談室を出ていく。
基地を出て「一体、曹長に何を言ったんだ」と安次富にきかれたが「いや、何にも、たいしたことないです」と答えた。
龍司は、ふと心配になった。ちょっと言い過ぎではなかったか、かえってあの男を刺激させ、もっと相手を強行にさせてしまったかもしれない。あの不気味な笑いは忘れられない。アメリカ人があんな笑いをする時は、どんな状況で何だと考え不安になった。
また、明日にでも交渉をするため基地を訪ねようと一同話し合ったが、あのような態度から交渉が進む見通しはなく、ましてや演習経路を変えたり実施日を延期してくれるなんてことは、ますますあり得ない。ならば、交渉に出向くのとは別に、モズクの網を、どこか安全な場所に移す準備をしようと話し合った。だが、今更移すとなると、突然、生育環境が変わるので、収穫にはかなりの影響が出る。損失は避けられない。数千万円単位の損失だ。しかし、少なくとも、来期の養殖のためにも網だけは守っておかなければならないのではないかというので、そういう方向でいくことになりそうだ。
龍司はヘインズに言ったように戦車に轢かれても守るべきだと思っていたが、どうもあきらめムードが漂っていた。
だが、翌日、思わぬことが起こった。沖縄防衛局から職員がやってきて、モズクの養殖場所を教えてくれというのだ。安次富は船で養殖場所まで連れて行き、網を張っている海域を指し示した。
そして、船を漁港に戻すと、職員は、
「キャンプ・ヘナコから、網のあるエリアを教えて欲しいと要望がありましてね。来週の演習では避けて通るつもりだということなので調べにやって来ました」
と伝えた。
その知らせを受け、一同は大喜びとなり、胸を撫で下ろした。龍司もほっとした。あの笑みは、こういうことだったのか。何とも理解不能である。
だけど、それがアメリカ人というものなのだろうか、自己主張は強い分、相手の主張もきちんと聞き入れ尊重する。
翌週、演習では、水陸両用戦車はモズクの網が張ってある場所は避けて通っていった。心配だったため、龍司は安次富と一緒に演習の日、ずっと船を網のある水域を周回した。だが、約束はどうやら守ってくれた。何十台もの水陸両用戦車が通過したものの漁船とぶつかることもなく、互いに素通りするだけで済んだ。
戦車は浜辺に上がると、上部の蓋が開き何人もの兵士が出てきて、基地内に入っていく。そんな姿を海から眺め、龍司は思った。
もう、こんな揉め事はたくさんだぞ。そして、もうこれ以上、こんな揉め事は味合わないで済むものと信じた。
しかし、その期待は見事に裏切られるのである。
四月
モズクの収穫が無事終わりほっとした日々を過ごしている龍司らウミンチュウにとんでもない知らせがまた、飛び込んできた。
それは、早朝、龍司が辺奈古の浜辺を歩いていた時である。
何人かの人間が集まってテントを設置している。金属のポールを四本立てて、その上にシートの屋根をつけるという本格的な野外設営テントだ。一体、何者だ。誰の許可を取ってそんなことをしている。とはっとして彼らに近付いた。
「お前ら、ここで何をしている?」
と怒鳴り声で言った。
その中で一番年上らしく、リーダーらしき男が龍司の前に立ちはだかり、
「これから、この海を守るためのテント村を設営するんだ。誰にも止められない」
と怒りを前面に出すような表情で答えた。
「え、おい、海を守るって、いったいどういうことだ。それにお前らは、一体全体、何者なんだ?」
と龍司は、この男のふてぶてしい態度に唖然して言った。
「洋一、お前、ここで何しとる?」
と背後から安次富の声。すると、男は、
「親父」
と言った。龍司は、その言葉にぎょっとした。「親父」親子なのか。よく見ると、この男は確かに安次富と顔がそっくりだ。安次富が三十年ほど若ければ、こんな顔だったかと思わせる顔と体格だ。
「お前、いつの間に帰ってきて、こんなところで何しとる」
と安次富が洋一に近付き、怪訝な表情で言う。なるほど、例の漁師を嫌がって内地に行ってしまった長男とは、この洋一という男のことか。
「親父、この海を守りに来たんだ。この海が破壊されようとしている。だから、急遽、帰ってきたんだ」
と洋一。
「何が海を守るだと、ウミンチュウになんかなるの嫌だって内地になんか飛んでいったものが今更何をぬかすか」
と安次富、呆れ顔に変わって言う。
「この海が米軍のために壊されるのを止めたいんだ。知らないのかい? 今度、この海に海兵隊基地の滑走路が埋め立てられて建設されるって」
と洋一の言葉に龍司も安次富も耳を疑った。そんなの初耳だぞ。
「これを読んでよ」
と洋一は、新聞紙を差し出した。地元紙「琉球タイムズ」の一面トップの見出しに「普天間基地代替地として辺奈古沖に滑走路建設が閣議決定」とあった。
安次富は、眼を凝らして記事を読んでいる。続いて龍司も読んだ。内容はこうだった。
十年以上も前に、沖縄本島中部宜野湾市の普天間基地の海兵隊員による少女暴行事件で大抗議集会が開かれ米軍に対する反発が広がったのを受け、、日米両政府の合意により沖縄の負担軽減を目的とした普天間基地返還が決定した。但し、返還には条件がついた。普天間基地の返還は、同基地の海兵隊機能の半分を移設するための代替施設を沖縄県内に建設するということだ。海兵隊司令部を含めた他の半分はグアムに移設することになる。代替施設にはヘリ部隊が常駐することになる。兵員1万六千人の半分に当たる八千人も移ってくることになる。