海人の宝
納得である、と龍司は思った。真夏の八月だから日本中どこでも日差しは強いのだが、ここは、明らかに東京より日差しが強い。太陽がより高い角度で光を差しているのが分かる。緯度の低い南方にいるということだ。朝早いというのに、東京にいる時の真昼のような日差しの照り方だ。これで正午となると、眼も開けてられない。海上ならば尚のこと。サングラスを持ってこなかったことを後悔した。すぐにでも買おう。そうしないとこの日差しにはかないそうにない。
とりあえず、詰め所の建物に戻った。すでに昨晩会った漁師たちが何人か来ていた。訓練が終わり次第、漁に出るつもりだと。通告はあるが、実施日だけなので、いつ始まるか終わるか正確な時間は知らされない。その日一日中、終わるまで待つか、漁は中止するかしないといけないという。
一時間ほどして海兵隊の訓練は終わったのか、辺りは一気に静まった。龍司は、この辺奈古の町を回ってみることにした。
何と言っても、興味があるのは、そのキャンプ・ヘナコといわれる訓練基地だ。海浜からではなく、陸上の入り口から見たいと思った。
日本で米軍の海兵隊の基地があるのは沖縄だけだと聞く。そして、沖縄には数多くの米軍基地があると聞く。時にテレビや新聞のニュースになることがあるので、誰でも知っていることだ。日本国内にある米軍基地の七十五%が沖縄に集中していると。国土面積の一パーセントに満たない県なのに、どうしてかと沖縄県民からの不満の声が流れたりする。
もっとも、龍司は、そんなニュースには今まで一度も関心を払ったことはなかった。だが、間近に米兵が訓練して自分自身にあんなにも迫って来た体験をしてしまうと無関心ではいられない。その上、これからずっとその近所で生活することになるのだ。
訓練が終わり静まった浜辺に龍司は戻った。空にはもうヘリコプターは飛んでいない。早朝の大騒ぎが嘘だったかのように静まりかえっている。
有刺鉄線のワイヤフェンスが浜辺を区切っているところまで近付いた。高さは、腰のところまでで、ワイヤをくるくる巻きにして置いているという感じで簡素なものだった。ちょっと無理すれば飛び越せないことはない。
だが、フェンス際には、有刺鉄線よりはるかに威圧効果を与える立ち入り禁止看板が立てられていた。英日語で書かれている。
「US Marine Corps Facility
米海兵隊施設
Unauthorized entry is punishable under Japanese law
許可なく立ち入った者は日本国の法律で処罰される」
何とも言えない表示だ。まあ、関係者以外は立ち入り禁止と言いたいのだろうが。
さて、この有刺鉄線に沿って、龍司は陸上の方へあがっていくことにした。砂浜から森の茂る丘へ続いている。
丁度、森が始まるところで、有刺鉄線ワイヤは終わり、フェンスは二メートルの高さの壁状の金網になっている。そこには、浜辺を監視するためのカメラが設置されていた。金網より高く五メートルぐらいの位置から周囲を監視している。これも威圧的だ。
どんどんフェンス沿いを上がっていく。フェンスの両側が丘の上の森林地帯になっている。この辺りは丘陵地帯だ。丁度、上がりきったところは大きな道路だった。
普通の乗用車やバスが通り過ぎた。どうやら公道のようだ。だが、右側を見ると、その公道に沿って同じようなフェンスが続いた。その百メートルぐらい先に基地のゲートらしき場所が見える。
ここまでが基地かと思いきや、道路の反対側に眼を移すと目の前にまた丘が始まり、そこにも金網が。そして金網の背後に戦車のような車両が並べられている。
つまり公道を挟んで基地がある。公道が基地の中にあるということだ。
そして、基地のフェンスが続くところとは逆方向である左側を見ると、その先に住宅の並ぶ集落が見える。
龍司は、その方向へ向かった。沖縄の住宅は皆、鉄筋コンクリートでできている。それは台風が頻繁に来るためだろう。
各家の門には、つがいでシーサーと呼ばれるライオンのような像が置かれている。沖縄独自のものだ。
そんな集落を通り抜け、元の辺奈古漁港に戻った。
漁港に戻ると、漁師たちが漁の準備を始めていた。龍司は漁師詰め所に戻った。
「どうだ、訓練が思ったほど早く終わったことだし、さっそく今から一緒にティラジャーを獲りに行かんかな」
と安次富が声をかけた。実に爽快な表情をしていた。よしっと龍司は気分を転換させた。さっそく海人(うみんちゅう)としての仕事が始まるのだ。わくわくしてきた。
辺奈古漁港は、本島の東海岸に位置する。目前に広がる海は太平洋だ。快晴で爽快な海だ。
安次富の小型漁船「ヘナコ丸」に一緒に乗り込んだ。安次富は「ほら、用意しといたよ」と言って荷物箱を開き、龍司にウエットスーツとサングラス、水中メガネを差し出した。船はエメラルドグリーンの海原へと発進した。
船を出してどこまで行くのかと思いきや、数分ほどで止まった。停まったところで船の操縦櫓の屋根に旗を立てた。
「この旗は、今、漁師が舟の下で潜水をしているということを示すものだ。ここはイノーというところだ。つまり浅瀬、俺たちの漁場は主にここになる。今から、潜ってティラジャーを獲るから見ていろ」
と言って水中メガネとウェットスーツを身につけ、手に網袋を持った安次富は海へ飛び込んだ。
しばらくして、安次富が浮上してきた。網袋一杯に巻き貝を入れいている。船に上がり、袋からそれを四角い箱に落とす。
「さあ、今度は一緒に潜ろう」
と安次富。ウェットスーツに着替えいていた龍司はサングラスを水中メガネに替え、一緒に水中へダイブした。
透き通った海で、深さは三メートルもない。そして、底の砂場に寝ころんでいる巻き貝を拾い上げ網袋に入れていく。安次富が実演をすると龍司は袋を渡され同じことをした。
同じことをするのは実に簡単なことだった。特に龍司は、潜水が得意だ。五分ぐらいは潜っていられる。ここに来て水泳部と水球部で活動していた経験が活かせる時が来た。
安次富が浮上している間も、どんどん貝を袋に入れていった。そして、浮上する。
「さすがだな」
と船上の安次富が言った。龍司は網袋から貝をごろごろと落とし入れた。安次富の取った分を含め箱一杯になっていた。
「これは、この後、陸に揚げ殻を剥き、排泄物を取って競りに出す。この量と質だと、ざっと三千円くらいといったところかな」
龍司は、箱の中を見つめ殻に入った状態で身がうごめくこま貝の姿に不思議な感動を覚えた。こうやって、貝が海から取り上げられ市場に運ばれ、ついには食卓へ並べられるのか。その最初の地点に自分がいる。
工業化された現代から狩猟採集の原始時代に戻されたような気分だ。もっとも、原始時代から現代までずっとこの仕事は続いていたが、ただ気にかけることが少なかっただけなのかもしれない。
「さあ、今日はこれでお開きだ」と安次富。
「え、帰るのですか? もっと獲ればいいのに」
「これから、名古に行って、競りに出しに行く。一通り漁業というのを覚えてもらいたいからさ」