海人の宝
「はは、あんた逞しそうだけど漁師なんてのは、やりたいと思っただけで務まるもんじゃないよ」
と言い返した。だが、その時、龍司の携帯電話が鳴り、龍司は応答した。相手は香港からのクライアントだったので英語で対応した。そのクライアントは、注文した品の納品が遅れたことでかなり怒っていて、龍司は急いで弁明しなければならず迷惑にならないように、店の隅に行って会話を続けた。しばらくして電話を切って、「失礼しました。どうしても出なければならなかったので」と申し訳なさを表情に表して言った。
すると男は、
「あんた、漁師になりたいと言っていたよね。もし、本気にそんなこと考えるようになったら、いい口紹介してやっから連絡してよ」
と男は龍司に言った。龍司は本気にせず、にっこりと微笑み名刺だけ受け取った。
その時の出来事を思い出し、龍司は、名刺に印刷された電話番号をかけてみた。もう十ヶ月も前のことだ。覚えているだろうかと不安になった。
だが、電話に出た男は、龍司のことをしっかりと覚えていて、是非とも紹介したいところがあるので来てくれないか、すぐにでも仕事に就けるよ、とまさに大歓迎という反応だった。なので話しは、はやいと沖縄行きの航空便を買い飛び立った。むしゃくしゃとした気分が一気にすっ飛んだ。
飛行機の窓から、本物の沖縄の海を眺めた。八月は、夏の真っ盛りだった。なぜ、こんなに澄んだ緑色の海をしているのだろうかと思った。確か、珊瑚礁があるためだといわれる。沖縄は珊瑚礁に囲まれた島なのだ。
飛行機が那覇空港に着いた。卸の男がいうには、到着ロビーで「安次富(アシトミ)」という名の漁師が迎えに来てくれると聞いた。時間は午後四時だ。
「やあ、あんたかね、水島っていうのは」
とさっそく声がかかった。目の前に頭の禿げた六十近い年齢の男がいた。背は低く、ずんぐりむっくりでいかにも沖縄人、彼らのいうウチナンチュウらしい男性である。
「は、はい、水島龍司です。よく分かりましたね」
「はは、簡単だよ。背の高いきりっとした顔付きの男と言われたから、たくさん人がいても、あんたしかいないとすぐ分かるさ。わしが安次富(アシトミ)だ。とにかく、めんそーれ。これから、すぐ、漁場に案内してやる」
といわれ、龍司は安次富についていき、ロビーから外に出て停めてあった軽トラックに安次富と一緒に乗り込んだ。
車は発進して、すぐに高速道路に入った。それから、走ること一時間半。「辺奈古」という標識のある出口から車は高速を降りた。
そして、十分ほど道路を走った後、車は漁港に到達した。
安次富は車を停めた。龍司は降りた。龍司は感激した。目の前に広がった光景。青く輝く海。それは、まるで別世界だった。今までいた世界とは比べようがないほどに美しく心奪われる光景であった。
漁師になるとはどんなことか、さすがの龍司も、沖縄行きの前にちょっとした予備知識を蓄えた。
日本全国には、現在、二十三万人の漁師がいるといわれる。漁師には、沿海の漁師と、出港したら数ヶ月、洋上に居続けながら漁をしなければいけない遠洋漁業の主に二種類がある。これから、辺奈古でするのは沿海漁業になる。
これまでサラリーマンとして暮らしてきた龍司にとって漁師なんて、無縁の世界だと思っていた。都会育ちで、日々口にする食べ物がどこから来るのかなど考えたこともなかった。
はっきりいって、漁師はサラリーマンというような一定の給与を貰い安定した暮らしをするという労働形態はほとんどない。基本的に自由業だ。
自由業といっても、誰でもできるわけではなく。各漁場の漁業権を独占してもつ漁業組合に所属しなければいけない。
そして、いざ漁師となると、自営業として、操業用の船、機材、無線を自前で購入、必要な資格を習得しなければいけない。
その点は、何もかもお膳立てして貰い、決まった業務をこなすだけのサラリーマンとは大違いなのである。
もちろんのこと、自営業だからこそ、自由に働く日や時間を選べる。
しかし、収入は安定しているものではない。はっきりいえば安い。もちろん、大漁になれば別だが、普通はそんなに期待できるものではない。当然、自然の海が相手だから、天候や海の状態に収入は大きく左右される。天候が悪ければ、漁に出ることさえ出来ない。漁に出ても、必ずしも、魚を収穫できるとも、限らない。
いざ、働くとなると、きつい、汚い、危険という言葉がつく3Kの世界である。朝は、たいてい午前五時ぐらいから起きて漁にでかけるのが普通である。重い道具を運んだり、荒波の中で船を操舵したり、獲った魚と格闘したりと凄まじい体力を要する。
収入が高いとはいえず安定せず3Kの職種。当然のこと、なりたがる人は多いとはいえない。むしろ、年々減っているのが現状らしい。
そもそもが、漁村内の家族経営で代々受け継がれるものであり、漁師というのは子供の頃から、その漁村で生まれ育った者が親に師事して一人前の漁師となるというのが従来からのシステムで。龍司のようなよそ者が入り込むというのは稀らしい。
だが、最近では、漁業の衰退から、親の跡を継がない子弟もいるため、家族経営での伝承がなくなり、よそ者で他業種からの転職を希望する人々を受け入れることもあるらしい。
ただ、そうは言っても、他業種からの未経験者がするにはクリアすべき条件がある。当然のことながら、体力の問題である。
特に龍司のような三十代にもなると、今更鍛えて強くなるなんてことは期待できない。
その点、龍司は体力には自信があった。小学校の頃から水泳をやっており、中学・高校の時は水泳部に所属、インターハイに出場したこともあった。また、大学に入ってからは、水球部に所属していたことがあった。
社会人になっても、得意の水泳は続けており、その他、ジョギング、ジムでの筋肉トレーニング、数年前からは空手道場に通い、黒帯の初段を取るほどであった。百八十五センチの長身の上、体は筋肉質であるので、誰が見ても体力や腕力には問題がないことが一目で分かる男だ。
そのうえで、最初の半年間は所属することになる漁業組合の熟練漁師から半年から一年間の見習い研修を受け、その後、独立の運びとなる。
龍司が今いるのは、辺奈古といわれる漁港だ。漁港を挟んで右側が、辺奈古川という川が海と合流する川下で湿地帯になっている。左側が、長く続くビーチだ。ビーチの先に何棟かの建物が見える。リゾートホテルだろうか。
夏真っ盛りの八月、沖縄は暑い。だが、不思議なことに東京ほどの暑さを感じない。おそらく、海風が吹くせいだろう。東京はコンクリートジャングルで、湿気も熱気もたちこみ体感温度が非常に高くなる。そのうえ、背広にネクタイの着用となれば尚のことだ。今は、身軽なTシャツと半ズボンを着ている。
「さ、いくぞ」
と安次富は龍司を案内する。鉄筋の二階建てで建ったばかりのような立派で新しい建物があった。「辺奈古漁業組合保全施設、漁業研修所」と壁に文字が打ち付けられている。
ここか、と思いきや、安次富は、その鉄筋の立派な建物を素通りした。