海人の宝
しかしだ、この問題は複雑だ。戦争を始めたのは日本だし、それで負けて米軍に占領された。戦後、独立した後は、代わりにアメリカと日米安全保障条約という形で防衛の肩代わりを願い出た。普天間飛行場の海兵隊の駐留は、その一環でもある。日本を守って貰っている以上、仕方ない面もあり、それは日本国政府の責任である。
「あなたたちは、私の国の帝国主義に悩まされているのね」
とセーラが突如に言った。龍司は、その言葉に驚いた。アメリカ人からは、そう見えるのか。
一行は、その後、沖縄の近世からの歴史を知るという意味で沖縄で最も有名な観光名所、首里城を訪ねることにした。石垣の上に建つ赤い城は、南国・沖縄の雰囲気に見事にマッチしている。
ここには、琉球王朝時代の宮殿首里城が復元され建っている。元々の首里城は、沖縄戦で破壊されてしまったのを一九八〇年代に復元したのだ。
だが、その優美さは、かつてここに独立した王朝が存在したことをしっかりと示している。龍司はセーラに沖縄はアメリカでいえば同じく独立王朝のあったハワイのようなものだと語った。セーラは、それで納得したようだ。
沖縄はかつては、琉球王国と呼ばれた独立国家であった。十七世紀に薩摩藩の支配下に置かれたが、それでも独自に中国大陸と交易をするなど王朝としての独立性は維持し続けていた。しかし、琉球王国は日本の明治維新後、「琉球処分」という名の元、大日本帝国に併合されて王朝は廃止されてしまう。
日本の一部となってからの沖縄は試練の連続であった。琉球人として本土人とは区別され社会的な差別を受ける。そして、太平洋戦争では敵軍の本土侵攻を遅らせるための時間稼ぎともいえる持久戦の場とされた。
戦争が終わり連合軍の占領から解放され日本が独立した後も、沖縄だけは占領が続いた。その間は、琉球政府という名の米軍統治下の自治政府として存続し続けてきた。自治政府といっても、実質上は米軍の傀儡であった。なので、それは過酷な統治であり、例えば、米兵の犯した犯罪に対しては裁判権が米軍側にある制度になっており、残虐な犯罪を米兵が沖縄の住民に起こしても無罪放免となってしまうことがしばしばであった。また、占領中、本土で住民の反対運動によって追い出された海兵隊が普天間をはじめとする沖縄の基地に移転され負担がさらにのしかかることになる。結果、沖縄は、全日本の人口の1%程度なのに、在日米軍基地の75%が駐留して、沖縄本島面積の2割を基地が占めるまでに集中する状態になった。
一九七二年に本土に復帰できた後も、基地は存続し、米軍による事故や兵士たちによる犯罪などウチナンチュウにとって占領時代と変わらない状況が続いている。事故が起きても沖縄県も日本政府も立ち入れず、損害を補償して貰うこともできない。米兵が犯罪を犯した場合は現行犯でない限り、身柄は検察に起訴されるまで米軍が拘束するようになっており不平等な状態のままになっている。
普天間基地の移設が決まったものの、移設先が結局のところ沖縄県内となったことにウチナンチュウは失望を隠せなかった。
沖縄の人々の本土の政府に対する不信は、むしろ増大した。洋一は言った。
「ウチナンチュウは、だから、日の丸なんて見るのが嫌になる時がある」
次に一行は、平和祈念公園に行った。沖縄戦犠牲者を追悼する慰霊祭に出席。その後、公園内の資料館と犠牲者の名を刻んだ「平和の礎」と呼ばれる石碑のある場所を回ることにした。
資料館では沖縄戦での米軍上陸作戦と、その時の住民の様子などを解説した資料や現場を再現した展示物をガイド付きで見て回った。龍司は、一つ一つの展示物の解説をセーラのために細かく通訳してあげた。
特に衝撃を受けたのは、ガマと呼ばれる鍾乳洞に避難した住民の様子を再現したセットと人形の展示物である。
沖縄の人々は、米軍の上陸後、砲弾や火炎放射器で殺戮された。それから逃れるためガマに着の身着のまま避難した様子だ。
戦場で住民を虐殺したのは米軍だけではなかった。何と味方の日本軍までもが、せっかく生き残った人々を敵軍に堕ちて捕虜にされるのを防ぐため虐殺したという事実もある。特にひどいのが、日本軍が住民に集団自決を強要したことだ。家族で殺し合ったという記録も残されている。
ウチナンチュウには、その体験もあって味方であれ軍隊は住民を守らない。むしろ盾にして犠牲を強いるものだという認識が深い。
その後、平和の礎を回る。犠牲者の名前を刻んだ石碑が幾重にも佇んでいる。沖縄戦で亡くなった二十万人以上もの人々の名前が刻まれているのだ。その膨大さを如実に感じさせる。美しい海の観光地として定評のある沖縄の悲しい側面の象徴をまざまざと見せつけられた。
一行が公園を後にする時、龍司はセーラに言った。
「アメリカ人の君に、こんなところを見せてしまうのは実に心苦しいと思うよ。この戦争による犠牲はアメリカだけが悪いんじゃない。そもそも戦争は日本が始めたものなんだよな」
気を遣っているところを見せたかった。セーラは普天間基地に着いた時から、ずっと重い表情をしていた。彼女は、今、沖縄の人々を助ける立場にある。いわば味方だ。その意味で実に心苦しかった。
「いいのよ。歴史の事実は事実だし。私にも、あなたにも、それ以外の人々にも、誰が悪いとか責め立てる資格はないと思うの。だけど、驚いたは、公園内に敵軍の兵士の名が刻まれた石碑があったわね」
とセーラは、そう言いながら重い表情をやや緩ませてくれた。
翌日、セーラは、いずれまた沖縄に戻ってくるつもりだと皆に伝え、アメリカに帰った。龍司は、彼女とまた会える日を楽しみにした。
七月
漁港に変化が訪れた。というのは、ちょくちょく防衛局の人員が訪れ、船に乗り滑走路建設予定地の沖合まで出ていく姿がしばしば見られた。それは環境アセスメントという名の元の建設着工の準備作業といえるものだ。
そして、その船出には辺奈古の漁民の船が駆り出されている。最近、漁に姿を見せなくなった海人の下地が、防衛局の調査員を乗せているので、安次富が調査の船出から戻ってきた下地に詰め寄った。
「おまえ、どうしてこんな奴らと一緒に海に出る。ウミンチュウとして恥ずかしくないのか」
「安次富さん、知っているだろう。俺は、去年、お袋が重い病にかかって、娘は来年、高校卒業で、できれば大学に行かしてやりたいし、漁業だけじゃ十分な稼ぎができねえんだ。この人たちを沖合に出すだけで一回に四万円ぐらい払って貰えるから・」
「だからって言って、俺たちの漁場を壊すことに協力するのか」
と安次富、憤りを隠さない。下地は何も言わずに、防衛局の者共と一緒に去っていく。
よくあるパターンだ。敵は、そういうところに付け込んでくる。船のチャーター代を弾み、滑走路ができて漁業ができなくなったら補償金を払ってやると持ちかけてくるのだ。考えてみれば、こんな稼ぎの少ない重労働より安易に入る高額の現金収入を求めるのは無理もないことであろう。
海を守りたい、戦争の基地をつくらせたくないというのは、単なるセンチメンタリズムに過ぎないと思える。