桜の下で - under the tree -
『桜の下で - under the tree - 』
今の気分は、正直に言えばうんざりの一言に尽きる。その表現は無神経には違いないが、同じ目に遭えば誰でも納得するはずだ、と思う。
「……わかった、ごめんなさい」
長い間の後で、向かい合う相手はそう言った。ついさっきまで、どころか今も止まっていない涙の存在がわかりすぎるほどにわかる、かすれた声で。
一瞬ふっと息をついたものの、相手——同じ学年の女子はなかなか立ち去ろうとしない。
泣き止んでからと思っているのかもしれないが、なんとも言いようのない間がものすごく居心地が悪い。いっそ自分からこの場を離れたいところだが、そうするのはためらわれる。……と考える自分は、あるいはお人好しなのだろうか。
ごめんね、ともう一度言ってからようやく、女子は背中を向けて離れていった。まあ泣きながら去られるよりは確かにまだマシだし、謝るのは礼儀正しい方だよな、とほっとした頭で思いつつも、疲労感はいかんともしがたい。姿が見えなくなった直後、思いきり息を吐く。
今日だけで、これで5回目だった。女子から呼び出される、もしくは待ち伏せされることに多少慣れているとはいえ、これだけ続くとさすがに消耗が大きい。なるべく冷静に対応しようと思っていても、だんだんその気力が失せてきてしまう。
うんざりした気分になるのは、この後に待ち構えているであろう、知り合いからの質問攻めのせいでもある。
教室にいる時に呼び出されたから、その場にいた連中は全員知っているのだ。式も最後のHRもとっくに終わっているが、間違いなく誰ひとり帰ってはいないだろう。
……確実に、集団で問い詰められる。
ある意味ではそちらの方が気が重いかもしれなかった。他人の受難をイベント扱いするのはやめてほしい。反発は食らうだろうけれど、自分では何もしていないのにこういう目に遭う身としては、そういう表現が一番近いのである。
教室に戻るのがかなり憂鬱だがしかたない。足を動かそうとしたその時、ずっとかすかに吹いていた風が急に強くなった。顔を叩くように吹き付けてくる——と思ったら、本当に何かが顔を叩いた。というか当たった。
落ちかけたそれを受け止めると、一輪の花。本物ではなく薄い紙で作られた、卒業生用の造花だ。
だが自分の分はちゃんと、上着の胸ポケットに留められている。それに男子用は白い花で、これはピンク色だ。
誰かのが外れて飛ばされてきたのか、と思いつつ顔をあげたら、視線の先にその誰かがいた。たぶんそうだと思う。校舎の陰から姿を現した彼女の制服には、花が付いていなかったから。
「あっ、…………」
こちらを見つめる彼女の表情は、いかにも「バツが悪そう」だった。ということはたぶん、さっきのやり取りを聞いていたのだろう。途端に自分にも、同じ表情が浮かぶのがありありと感じられる。
「えーと、これ槇原の?」
かなり話しかけにくい空気ではあったが、自分がそうしないといけない気がした。黙っていると間がもたなくて、手の中の花をぐしゃぐしゃにしてしまいそうでもある。
「――あ、うん、そう」
小声でうなずいたものの、彼女は気まずげにうつむいたままでいる。しかたないのでこちらから距離を縮めた。といっても3歩ほどだが、歩み寄り、花を差し出すと慌てた様子でぱっと顔を上げた。
「っ、ありがと、その、立ち聞きするつもりじゃなかったんだけど……友達だったから気になって」
ああなるほど、とちょっと腑に落ちた。さっきの女子は呼び出しに来た時から一人で連れはいなかったが、ここに来るまでの途中で見かけたのだろう。
同時に、泣きながらもちゃんと話そうとしていた女子の態度にも、なんとなく納得がいった。偏見かもしれないけれど彼女の友人ならああいう態度もありか、と思ったのである。いやこの場合は偏見とは言わないだろうか。
「――――余計なことっていうか、嫌なことかもしれないけど、聞いていい?」
しばらくの間の後、ずいぶんと遠慮がちにそう言われたのが意外だった。彼女は普段はかなり控えめで図々しいという表現とは無縁だが、質問がある時にためらうことはほとんどない。
「え、何」
「名木沢くん、今好きな人いないの」
「……いないけど」
「じゃあ誰かと、付き合おうとは思わないの?」
一瞬、質問の意図がわからなくて戸惑う。他のやつならともかく、彼女がそういうことを、今みたいな非難混じりにも聞こえる口調で言ってくるとは思わなかったから。
だがさっきの女子が彼女の友人だと思い出して、多少はしかたないなと考えた。彼女が友人に対して同情的になるのは、まあ当然と言える。ただしこちらとしてはやはり、複雑な気分にならざるを得ないけれど。
それが表情に出ていたとしても再び目線を落としていた彼女には見えなかったはずだが、察したようなタイミングで彼女は「あ、ごめんね」と言った。
「ただ、なんていうのかな、友達の欲目かもしれないけどあの子いい子だから……私が男子だったら、告白されたら嬉しい気がするし、ちょっと残念だなって」
ほぼいつも通りプラス、少しばかり熱のこもった語調。さっきの女子を彼女は相当、友人として評価しているらしい。確かに同学年の女子の中では落ち着いた感じの、しっかりしていそうな雰囲気だったし、ついでに言えば見た目も悪くなかったと思う。
「……けど、よく知らない相手に適当なこと言えないから」
首をかしげた彼女のきょとんとした目を見返しつつ、説明する。
「その、好きになってくれるのは有難いけど、だからって同じ気持ちが返せるわけじゃないし、……正直、なんていうかこう、どうしていいかわかんない部分もあるんだけど。でもはっきり気持ちを決められない状態で付き合うとか言うべきじゃないと思うから」
言いながら、過去を思い出して我ながらよく言うなとも思った。半年ぐらい前までは逆に、告白してくる女子の何人かとは付き合っていたのだから。ほぼ完全に好奇心での行動で、結局は誰ともかみ合わなくてすぐに別れた。むやみに照れたり何か言いたそうな目をするばかりの相手に対して、どう接していいのかまるでわからなかった。
その経験があるからこその意見だけれど、あまり偉そうに言える立場でもないといちおうは自覚している。 近しい友人が聞いたら実際「よく言うよな」ぐらいは言われそうだ。
彼女ももしかしたらそれぐらい言うだろうか、とやや身構えたが、何も言わない。またしても目を伏せて、口元に指を添えて何か考えるそぶりで。
あるいは、彼女は自分のそんな時期を知らないのかもしれない。クラスが同じではなかったし、たまに話す機会があってもそういう話はした覚えがないから。
「……そっか、好きじゃなかったらかえって失礼かもしれないね、付き合うの」
知ってか知らずか、彼女がひとりごとのように言った言葉が意外とこたえる。
「それに名木沢くんには名木沢くんの気持ちがあるもんね。ごめんね、無神経なこと聞いて」
「……いや、全然」
今の気分は、正直に言えばうんざりの一言に尽きる。その表現は無神経には違いないが、同じ目に遭えば誰でも納得するはずだ、と思う。
「……わかった、ごめんなさい」
長い間の後で、向かい合う相手はそう言った。ついさっきまで、どころか今も止まっていない涙の存在がわかりすぎるほどにわかる、かすれた声で。
一瞬ふっと息をついたものの、相手——同じ学年の女子はなかなか立ち去ろうとしない。
泣き止んでからと思っているのかもしれないが、なんとも言いようのない間がものすごく居心地が悪い。いっそ自分からこの場を離れたいところだが、そうするのはためらわれる。……と考える自分は、あるいはお人好しなのだろうか。
ごめんね、ともう一度言ってからようやく、女子は背中を向けて離れていった。まあ泣きながら去られるよりは確かにまだマシだし、謝るのは礼儀正しい方だよな、とほっとした頭で思いつつも、疲労感はいかんともしがたい。姿が見えなくなった直後、思いきり息を吐く。
今日だけで、これで5回目だった。女子から呼び出される、もしくは待ち伏せされることに多少慣れているとはいえ、これだけ続くとさすがに消耗が大きい。なるべく冷静に対応しようと思っていても、だんだんその気力が失せてきてしまう。
うんざりした気分になるのは、この後に待ち構えているであろう、知り合いからの質問攻めのせいでもある。
教室にいる時に呼び出されたから、その場にいた連中は全員知っているのだ。式も最後のHRもとっくに終わっているが、間違いなく誰ひとり帰ってはいないだろう。
……確実に、集団で問い詰められる。
ある意味ではそちらの方が気が重いかもしれなかった。他人の受難をイベント扱いするのはやめてほしい。反発は食らうだろうけれど、自分では何もしていないのにこういう目に遭う身としては、そういう表現が一番近いのである。
教室に戻るのがかなり憂鬱だがしかたない。足を動かそうとしたその時、ずっとかすかに吹いていた風が急に強くなった。顔を叩くように吹き付けてくる——と思ったら、本当に何かが顔を叩いた。というか当たった。
落ちかけたそれを受け止めると、一輪の花。本物ではなく薄い紙で作られた、卒業生用の造花だ。
だが自分の分はちゃんと、上着の胸ポケットに留められている。それに男子用は白い花で、これはピンク色だ。
誰かのが外れて飛ばされてきたのか、と思いつつ顔をあげたら、視線の先にその誰かがいた。たぶんそうだと思う。校舎の陰から姿を現した彼女の制服には、花が付いていなかったから。
「あっ、…………」
こちらを見つめる彼女の表情は、いかにも「バツが悪そう」だった。ということはたぶん、さっきのやり取りを聞いていたのだろう。途端に自分にも、同じ表情が浮かぶのがありありと感じられる。
「えーと、これ槇原の?」
かなり話しかけにくい空気ではあったが、自分がそうしないといけない気がした。黙っていると間がもたなくて、手の中の花をぐしゃぐしゃにしてしまいそうでもある。
「――あ、うん、そう」
小声でうなずいたものの、彼女は気まずげにうつむいたままでいる。しかたないのでこちらから距離を縮めた。といっても3歩ほどだが、歩み寄り、花を差し出すと慌てた様子でぱっと顔を上げた。
「っ、ありがと、その、立ち聞きするつもりじゃなかったんだけど……友達だったから気になって」
ああなるほど、とちょっと腑に落ちた。さっきの女子は呼び出しに来た時から一人で連れはいなかったが、ここに来るまでの途中で見かけたのだろう。
同時に、泣きながらもちゃんと話そうとしていた女子の態度にも、なんとなく納得がいった。偏見かもしれないけれど彼女の友人ならああいう態度もありか、と思ったのである。いやこの場合は偏見とは言わないだろうか。
「――――余計なことっていうか、嫌なことかもしれないけど、聞いていい?」
しばらくの間の後、ずいぶんと遠慮がちにそう言われたのが意外だった。彼女は普段はかなり控えめで図々しいという表現とは無縁だが、質問がある時にためらうことはほとんどない。
「え、何」
「名木沢くん、今好きな人いないの」
「……いないけど」
「じゃあ誰かと、付き合おうとは思わないの?」
一瞬、質問の意図がわからなくて戸惑う。他のやつならともかく、彼女がそういうことを、今みたいな非難混じりにも聞こえる口調で言ってくるとは思わなかったから。
だがさっきの女子が彼女の友人だと思い出して、多少はしかたないなと考えた。彼女が友人に対して同情的になるのは、まあ当然と言える。ただしこちらとしてはやはり、複雑な気分にならざるを得ないけれど。
それが表情に出ていたとしても再び目線を落としていた彼女には見えなかったはずだが、察したようなタイミングで彼女は「あ、ごめんね」と言った。
「ただ、なんていうのかな、友達の欲目かもしれないけどあの子いい子だから……私が男子だったら、告白されたら嬉しい気がするし、ちょっと残念だなって」
ほぼいつも通りプラス、少しばかり熱のこもった語調。さっきの女子を彼女は相当、友人として評価しているらしい。確かに同学年の女子の中では落ち着いた感じの、しっかりしていそうな雰囲気だったし、ついでに言えば見た目も悪くなかったと思う。
「……けど、よく知らない相手に適当なこと言えないから」
首をかしげた彼女のきょとんとした目を見返しつつ、説明する。
「その、好きになってくれるのは有難いけど、だからって同じ気持ちが返せるわけじゃないし、……正直、なんていうかこう、どうしていいかわかんない部分もあるんだけど。でもはっきり気持ちを決められない状態で付き合うとか言うべきじゃないと思うから」
言いながら、過去を思い出して我ながらよく言うなとも思った。半年ぐらい前までは逆に、告白してくる女子の何人かとは付き合っていたのだから。ほぼ完全に好奇心での行動で、結局は誰ともかみ合わなくてすぐに別れた。むやみに照れたり何か言いたそうな目をするばかりの相手に対して、どう接していいのかまるでわからなかった。
その経験があるからこその意見だけれど、あまり偉そうに言える立場でもないといちおうは自覚している。 近しい友人が聞いたら実際「よく言うよな」ぐらいは言われそうだ。
彼女ももしかしたらそれぐらい言うだろうか、とやや身構えたが、何も言わない。またしても目を伏せて、口元に指を添えて何か考えるそぶりで。
あるいは、彼女は自分のそんな時期を知らないのかもしれない。クラスが同じではなかったし、たまに話す機会があってもそういう話はした覚えがないから。
「……そっか、好きじゃなかったらかえって失礼かもしれないね、付き合うの」
知ってか知らずか、彼女がひとりごとのように言った言葉が意外とこたえる。
「それに名木沢くんには名木沢くんの気持ちがあるもんね。ごめんね、無神経なこと聞いて」
「……いや、全然」
作品名:桜の下で - under the tree - 作家名:まつやちかこ