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The El Andile Vision 第5章 Ep. 1

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第5章「迷走」---Episode.1 血に濡れた魂



 しん――と恐ろしいまでの静寂がその場を支配していた。
 誰一人……口を開くことはおろか、呼吸すらするのを憚れるかのような、そんな不気味な静けさ……。
 その瞬間人々の胸を満たしていたものは、ただひとつ。
 ――恐怖。
 それは、ただいいようもない、未知なる存在に対する心底震えるような恐怖の感情だけであった。
(こんな……ことが……!)
 レトウ・ヴィスタの胸に悪寒が走る。
 ――何ということか……。
 一体なぜ、こんなことになってしまったのか……?
 殺しやがった……。
 こいつ……本当に、ターナを……。
 己がかつて、あんなに愛したはずの女を。
 何の躊躇いもなく、いともあっさりと切り捨てやがった。
 その、あまりの冷酷さに、レトウは戦慄を感じずにはいられなかった。
(……こいつは……誰なんだ……?)
 レトウは、震える全身を必死に抑えながら、愕然とした面持ちで目の前の少年を見つめるばかりだった。
(俺の知ってるイサスはどこへいっちまったんだよ…!)
 まるで……悪い夢を見ているようだった。
 全てがあまりにも現実離れしている。
(夢なら覚めてくれ……!)
 しかし、そんな一縷の望みも、目の前の少年の喉から漏れてくるその陰惨な笑い声が耳に入った瞬間に、空しく潰えた。
「……そんなに、死ぬのが怖いのか?」
 イサスであって、ないものが言う。彼の視線が周囲を舐め回すように、一巡した。
 彼の目線が通り過ぎていくのを感じると、周囲に佇んでいた者たちは皆すくみ上がった。
「愚かしい感情を持つ者どもだ……所詮人の体など、ただの肉塊にすぎぬ。いつかは朽ち果て、土に還るだけのものを……」
 嘲笑うように冷酷な言葉が吐き出される。
 人ではない者が紡ぎ出す言葉が……。
 言いながら、イサスの剣が新たな血を求めるかのように、ゆっくりとその矛先を周囲に動かし始める。
「次は、誰だ……?」
 舐めるように、妖しく光るその黒い双眸が周囲を一瞥する。
 その視線を避けるように、至近距離にいた兵士が、蒼白な面持ちでじりっと一歩後ろに足を動かした。
「……貴様か……?」
 イサスの剣が標的へ向けて狙いを定める。
「や、やめろ……!」
 突然、レトウが二人の間に割って入った。
「……もう、やめろ。これ以上、人を殺して何になる?――おまえの望みは……一体何なんだ?」
「望み……?」
 イサスは馬鹿にしたように、顎を上げた。
「……望みだと……?」
 その言葉を繰り返しながら、彼はくつくつと肩を揺らして笑い出した。
 笑いは、たちまち獣の咆哮のような響きを帯び始め、周囲の空気を不気味に振動させた。
「……最初から言っているはずだが。――俺の望みは、ここにいるおまえたち全員を殺し尽くすことだけだと……!」
「――そうして、また無意味な殺戮を繰り返すのか……『無』(ヌール)……」
 その言葉が聞こえた瞬間、ぴくりとイサスの体が反応した。
 彼の顔から、突然笑みが消えた。
「……我が名を呼んだのは、誰か……!」
 暗い瞳が、声の主を求めて、再びじろりと周囲を睨めまわす。
「――『カル・ヌール』……かつて、『無』と呼ばれし者。それがおまえの真の名だな?古の、禁忌を犯した魔導士。一度は闇の深淵に堕ちたはずのおまえが、なぜ今ここにいる?」
 恐怖に硬直した人々の間から、悠然と現れたのは、長身のすらりとした青年の姿。
 日の光を反射させて微細にきらめく銀灰色の髪が目に眩い。
 その端正な面から覗く、すべてを見透かすような深い碧の瞳がやや人間離れした印象を醸し出す。
 佇むエルダー・ヴァーンの表情は、非常に無機質で、一片の感情も感じ取れなかった。
 ただその冷えた眼差しだけが、背後から揺るぎもせず、じっと鋭く少年を見つめていた。
 イサスは振り返ると彼の姿を見て、一瞬軽く瞼を閉じた。
「……エルドレッド・ヴァーンか」
 記憶の中をまさぐると、簡単にその名が口からこぼれた。
 再び開かれた瞳が、氷のように冷たくエルダーを射た。
「……おまえからは、嫌な匂いがする。――遠き古の日々に、我が前に姿を晒していた、あの腐れた術を操る徒と同じ匂いだ……」
 静かな口調の中にも、激しい憎しみが感じ取れる。
 エルダーは、瞬きもせず、その視線を受け止めた。
「……これ以上、おまえを放っておくわけにはいかない」
 彼は静かに言った。
「おまえに、俺が止められるのか」
 嘲るように応えるイサスの唇が僅かに歪む。
「笑わせるな。『塔』の魔導士ごときに、この俺がそうやすやすと屈するとでも思っているのか?」
 言うなり、彼は剣先をエルダーの胸に向けた。
 その瞳が暗く燃え立ったかに見えた。
 と同時に、耳障りな鈍い振動が空気を揺るがし、刀身から青い焔が噴き上がる。
 剣が凄まじい速さで弧を描き、エルダー・ヴァーンの体を引き裂こうとした。
 しかし、エルダーの体はひらりと敏捷に動き、危ういところでその凶刃から身を交わした。
 獲物を逃した刃が空を切ると、イサスは舌打ちした。
 それでも攻撃の手は緩めない。
 息つく暇もないほどの間隔で、標的をめがけ、剣はただひたすらに激しい動きを展開する。
 それはまさしく、黒い狼の首領として、或いはザーレン・ルードやリース・クレインの教えを受け、これまで培われてきたイサス・ライヴァーの持つ技量の凄さを物語るものであった。
 エルダー・ヴァーンは、顔色ひとつ変えずに、優雅ともいえる動きでその剣の下から身を交わしていたが、遂にそのうちのある一閃が彼の胸元を軽く掠めた。
 瞬時に、粉が舞い散るように血が飛散した。
 イサスは、突然剣を止めた。
 エルダーは眉を僅かにしかめながら、動きを止めたイサスの前に身を置いた。
 上着の胸が見事に横一文字に切り裂かれ、その間から覗く白い素肌が、既に噴き出す鮮血で真っ赤に滲んでいるのが痛々しい。
 イサスの目がふと細められた。
「……この匂い……」
 彼の鼻孔が微かに動いた。
「……覚えがある。確かに……いつか、どこかで……俺は、これと同じ匂いを持つ者を知っている……」
 視線が、遠く彼方を彷徨った。
 何か、遠い過去を偲ぶかのように――不思議な、読み取れない表情がその面に浮かぶ。
「……エル・ヴァルド……思い出した。……アル・トゥラーシュ・エル・ヴァルドという……確かそのような名の錬金術師がいたな……そうだ……この血の匂い……――おまえからは、奴と同じ血の匂いがする……!」
 エルダーは何も答えなかった。
 ただ、黙ってイサスの前に佇んでいる。
 胸を真っ赤に染めながら、それでも表情ひとつ変えず――彼の碧い瞳がイサスをじっと見返しているその光景は、まるでこの世のものとも思えぬほど、妙に現実離れした雰囲気を感じさせるものだった。
「……アル・トゥラーシュの末裔(すえ)か……」
 イサスは吐き出すように言うと、激しい憎悪の瞳で相手を睨みつけた。
 その物凄い眼差しにも全く動じる様子も見せず、
「……イサス・ライヴァーを解放しろ、ヌール」
 エルダーは、ただ一言そう言った。
 明らかに相手に対して強要を促す、強い口調だった。
「それは無理だな。――私はこいつを放さない」