短編01「乙女の苦悩~江夏豊妃紗(えなつとよひさ)の21球~
さて、9球目。投げた瞬間わかった。一塁走者がスタートした。投球はボール。しかし、本塁突入を警戒し、志郎は送球はしなかった。これで、無死二・三塁、すなわち一打サヨナラの場面だ。やばいなあ。せっかく仁郎が戻ってきたというのに、これじゃあ言われるまでもなく負けてしまう。
志郎は立ち上がり敬遠開始。10球目はボール。つづく11球目もボール。これで無死満塁。もうピンチを超えたピンチだ。
これまで一回も経験したことのない状況だ。だけど、どうしよう不思議と不安な気持ちはない。むしろさっきよりも、気持ち楽になった。
9番はピッチャーだったが、ここでも代打。彼は……知っている「左殺し」って言われてる代打の切り札だ。まさか、残してるとは……。彼は右バッターボックスに入り。ゆっくりと構える。相手が左だからって余裕なのか?
その「左殺し」さんへの初球となる12球目は、内角に大きく外れるカーブでボール。相手も思わず腰を引いた。
さあ、どうするよ? 志郎――え? 彼のサインに思わず目を疑った。マジですか……。いや、ここは信じるんだ。
志郎や要求した13球目は――ど真ん中のストレートだった。この絶好球に目を疑ったか見逃しのストライク。これで1ストライク1ボール。以前ノーアウトは変わらず。
「左殺し」さんへの3球目(14球目)は、内角ぎりぎり、ベルト付近のストレート。これを強振し、打球はバウンドした。しまった! 私はその行方を追う。打球は三塁線を走り、サードの四村君がジャンプする……が、届かない! しかし、結果はファウルボールとなり、ほっと胸をなで下ろす。
15球目もまたしても内角。今度は高め。しかし、さすがは「左殺し」さんなんとか当てて、ファウル。16球目は低めのストレート。どうにかして入れたかったが、若干外れてしまいボールに。
2ストライク2ボールからの志郎の17球目のサインは、同じ球道からの内角へのカーブだ。内角低めを走るボールは、鋭く曲がり膝元に入り、空振り三振。ここでようやく初のアウトだ。一死満塁。
再び、打順は1番へ。上位打線。どうにかして抑えたい。
その初球(18球目)は、カーブを見逃しストライク。そして、19球目だがここで球審さんがこちらに来た。なんだなんだ?
「君、どうだ? 投げられるか?」
私に言ったのはそれだった。どうやら、このぬかるみを気にして聞いてきたのだろうか? 確かに9回まで来ると小雨の影響もあって滑りやすいし、足場も不安定だった。どうする? 仁郎は戻ってきたし言うだけ言ってみるか?
「まあ、そうですね、下がぬかるんで投げれそうにもないですね」
苦笑い。しかし、球審は表情を変えず、
「みんな同じ条件なのだから投げなさい」
そう言い残して、戻っていった。だったらいいなさんなよ。さて、改めて19球目は……ん? 私は相手のバッターの違和感に気がついた。そういえば、彼は唯一の一年生レギュラーだったな。
緊張しているのか? まあ、無理もない。この状況で緊張するなというのが無理なお願いだ。私も初めてマウンドに立って抑えを任された時は緊張した。確かあの試合は、相手のファウルを志郎が飛び込んで何とか勝ったんだっけ? 急に3年前の夏の予選大会の緒戦を思い出した。
そんな懐かしんでいる場合でもないか。さて、改めて――ボールか。しかし、なんだこの変な雰囲気……?
小雨の中、要求通りカーブを……いや、ウエストだ! 三塁走者の本塁突入――スクイズに気づいた私は、とっさにカーブの握りのままウエストを試みる。握りを変えることはできないけど、大丈夫志郎なら捕れる!!
相手も飛びつくようにバットを出すスクイズは本当だった――しかし、ボールはバットの下をくぐり、志郎のミットの中へ。スクイズは失敗。
三塁走者は戻ろうとするが、そこのは、すでに二塁走者が三塁に達しており、戻れなくあっけなくアウトとなった。これで二死二・三塁となった。
なんとか、最後の2アウトとなった。長かった。本当に長かった。
2ストライクノーボール2アウトの20球目、一年生の彼はストレートにバットを当てるが、結果はファウル。
さあ、志郎の21球目の要求は……私の得意な中央狙いのジャイロボールだ。
仁郎も戻ってきた、志郎が受けてくれる。そして、これまで戦ってきたみんながいる!! すべての想いを込めて、私は全身全霊のジャイロボールを放つ――
「畜生、あの坊ちゃんどこに行きやがった!?」
とんとん。
俺の肩が叩かれる。振り向くと……警察だった。
「ちょっと、いいかな?」
「いやー……どうでしょう?」
球場からサイレンがやかましく響いた。
「ストライク!! バッターアウト、ゲームセット!!」
そして、甲子園特有のサイレンが鳴った。
「やったー!!!」
私はマスクを外してこっちに駆けつけてきた志郎に飛び込んだ! それに続いて周りのみんなも私たちの所へ大きな声を上げて走ってきた。
「豊ーーーーー!!!! よくやった!! おまえは、最高のピッチャーだ!」
志郎は私を抱きかかえたままぐるぐる回った。そして、ゆっくりと下ろすと、急に真剣な顔となった。
え? どうゆうこと? 周りを見ると、事情を知っているのかにやにやしている。
え? え?
「豊!」
急に志郎が叫ぶ。私は背筋をピンと伸ばして、志郎の方を見る。その顔は試合前以上に真剣だ。な、何だ……。
「俺、優勝したら、言おうと思ってたんだ」
ま、まさか……。
「俺、豊のこと――」
完
作品名:短編01「乙女の苦悩~江夏豊妃紗(えなつとよひさ)の21球~ 作家名:totoko