誕生日のシンデレラ
第3章 手紙
少し遅めのランチを終えて、二人はまた車に乗り込んだ。
海岸線を少し走ると、右手に葉山マリーナが見えてくる。
ここもまた麻衣子との思い出の場所だ。
「少しだけ買い物していこうか?」
「うん、いいよ」
利夫は自分が買い物をしたかったわけではない。
何もしてあげられない娘に対し、せめて洋服の一つでも買ってあげたい気持ちがあった。
マリンルックに身を固めたスタッフたちが愛想よく客の応対をしている。
「亜木こういうのがいいなあ」
亜木が選んだのは、水色のストライプのヨットパーカーだった。
麻衣子と好みが似ているなと感じた利夫は、試着する亜木を見て目を細めた。
会計を済ませると二人は再び車に戻り、車を南下させた。
御用邸を通過し、長者が崎のあたりに着いたころには時計は午後4時を回っていた。
「ここは長者が崎っていってね、夕日がとってもきれいに見えるんだ」
「ママと一緒に見たの?」
「ああ、何回も見たよ」
「でも、夕日の時間にはまだ早いよ」
「そうだね。残念」
午後7時までには亜木を家に帰さなければならない。
二人が住む横浜のマンションに送り届けるには、渋滞も考えると5時半くらいには高速に乗った方がいいだろうと利夫は考えた。
「なあ、亜木…」
ふと横を見ると、疲れたせいか亜木は眠ってしまっていた。
パーカーの入った手提げ袋はしっかりと胸に抱きしめ、小さな寝息を立てている。
利夫は車を停めて助手席のリクライニングを少し倒し、自分の上着をそっと亜木に掛けた。
そして、1年後にしか見られない娘の寝顔をしばし眺めていた。
「ごめんな、亜木。パパが弱くてお前を父親のいない子にしてしまって」
利夫は心の中でそう呟くと、静かに車を発進させた。
また涙が出てきそうになったが、深呼吸をして必死にそれを抑えた。
帰りの道路は予想どおり渋滞していた。
音楽を流すと亜木が起きてしまうと考え、利夫はストイックにハンドルを握った。
それでもなんとか7時少し前にはマンションに着くことができた。
「亜木、着いたよ」
「…うーん」
「ほら、起きなきゃ」
「あー、眠い」
「約束の7時まであと10分」
亜木は目をこすりながら、帰る支度をし始めた。
「そうだ、はい、これ。ママから」
「え、何?」
「お手紙みたいよ。パパと別れる時に渡してって、ママに頼まれたの」
「ふーん、そうか」
利夫は薄ピンク色の小さな封筒を亜木から受け取った。
「じゃあね、パパ。これありがとう」
亜木はパーカーの手提げ袋を指さすと車から降り、ドアをバタンと閉めた。
利夫はマンションのエントランスに亜木が入るまで見送った。
小さい頃から振り向かない子だった。
でも今日はエントランスに入る直前に一度だけ手を振ってくれた。
利夫は封筒を開けると中の手紙を取り出した。
見覚えのある麻衣子の字だった。
『今日はどうでしたか? 亜木とのデートは楽しかった?
あれから1年経つけれど、私たちは何とかやっています。
亜木も楽しそうに中学に通っています。
吹奏楽部に入ったってことは聞いたかしら?
湘南海岸にドライブに行くって聞いて、あなたが亜木を連れて行きそうな所がなんとなくわかりました。
あとで亜木にきいてみますね。
亜木が付けていた髪飾り、覚えていますか?
20年前にあなたが私にくれたものよ。
長いこと使っていなかったけど、亜木によく似合ったので譲ることにしました。
亜木の吹奏楽部の発表会のチケットを同封します。
夏休み明けの土曜日だから、もし時間がとれたら来てあげて。
亜木は1年生だからそんなに出番はないみたいだけど。
今日は亜木を一日ありがとう。
それから、最後になったけど、
- - -お誕生日おめでとう。
麻衣子より』
今度の涙はどうしても抑えきれず、便箋の上にぽたりと落ちた。