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拝み屋 葵 【伍】 ― 薫陶成性 ―

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「あばずれだな」
「あばずれじゃな」
「あばずれだねぇ」
 葵は無言で御札を取り出す。それも、飛び切り強力な破魔札を。
 妖怪たちもその威力を察したようで、三人ともが、ほぼ同時に両手で自らの口を押さえた。
 バイクを降りた葵は、三人の妖怪を一人ずつ観察する。
「ウチは、この道に現れる幽霊に用があって来たんや。あんたらは何者やねん?」
「この道を走る幽霊に用があってきたのか」若い男の妖怪が言う。
「あれはわしらやったことよ」翁の妖怪が言う。
「ここに退魔師を呼び寄せるためにね」艶女の妖怪が言う。
「おれたちの頼みを」
「わしらの望みを」
「あたしらの願いを」
 葵は足元が揺らぐような感覚に襲われた。それは、浮遊感のような心地の良いものではなかった。身体の芯を揺さぶられ、歪められ、どうしようもない不安に包まれる。常人であれば、あっという間に思考のあらゆるを溶かされ、自分自身を見失い、自分が何者か分からなくなっていただろう。長く晒され続けていれば、葵もその道を辿っていたかもしれない。
 葵は一足飛びに飛び退いて、三人の囲みを脱する。
 己の迂闊と未熟とに舌打ちによる侮蔑をくれてやりながらも、邪気を感じなかったことへの疑問を捨て切れていない。
「なにしてくれてん」
 葵は語意を強めて牽制する。自分の迷いを振り払うように。
 しかし葵の視界には、何が起こったのか分からないという顔で視線を投げくる、三人の妖怪の姿が映った。
「どうしたんでぃ?」
 若い男の妖怪が問うた。
「今の……あんたらやないのんか」
「わしらは何もしておらんぞ」
 翁の妖怪が言う。
「何かに飲み込まれる感じがしてん」
「そいつは、あたしらの願望だろうね」
 艶女の妖怪が言う。
「あたしらの意思じゃないよ……と言っても、信じちゃあくれないだろうけどさ」
 飄々と、しかしどこか物憂げに佇む。
 それは、万策尽きたと諦め、自身の外にある意思に身を委ね、これから起こるであろうあらゆるを甘受する覚悟を持ちつつ、すべてに興味を失っている。
「ワケアリなんやな。聞くだけは聞いたるわ」
 間を置かずに即答した葵に、三人の妖怪はそれぞれの驚きを顕にした。
 故意ではなく、未遂に終わったとはいえ、葵に対して攻撃を仕掛けた形になる。葵が反撃を行おうとも、それは自衛行為であり責められぬこと。そして、僅かな妖力しか持たぬ自分たちは、消滅を免れることはできない。
 三人の妖怪は、皆そのことを理解していた。理解していたからこそ、驚いたのだ。
「せやけど、ウチを喰うのは勘弁してや?」
 動きを止めたままの妖怪たち。
 沈黙の時間が流れる。
 相変わらず無音の空間ではあったが、そこには、歓喜と希望と感謝の色が、確かに花咲いていた。
 葵と三人の妖怪は、微笑みを湛え見つめ合っていた。

 にこにこにこにこにこ……

 にこにこにこにこにこ……

「……いねん」
 微笑みを湛えたまま、葵がぼそりと呟く。
「ん?」誰ともなく問い返した。
「寒いねん! 聞いたる言うてんねんからさっさと話しや!」
 葵は寒さが苦手である。そして、暑いのは好きではない。
 一呼吸おいて、若い男の妖怪が口火を切った。
「簡潔に言うと、おれたちを解放して欲しい」
「解放やて?」
 三人の妖怪は、それぞれに頷きながら、自分の後方を指し示す。
 葵は、長く伸びた身体の一部が、それぞれの背後にある廃店舗の中へと続いていることに気付いた。
「あんたら、付喪神なんか?」
 付喪神(つくもがみ)。九十九神と書き、九十九種、つまり多くの種類と、九十九年、長い時間とを掛けた名称である。森羅万象に神(霊魂)が宿るという古神道にも通じた信仰の一種である。
 葵は、三つの廃店舗のそれぞれが付喪神となり、三人の妖怪になったのではないかと考えたのだ。
「わしら、もとは流れの妖怪じゃよ」
 翁の妖怪の言葉に、残る二人も頷く。
「三人で旅してはったんや?」
「冗談は止しとくれよ。あたしらはね、ここのシマを争うカタキ同士なのさ」
 艶女の妖怪は、突き放すように冷たく言い放つ。
「縄張り争いやて? あんたらに頭が務まるとは思われへんねんけど」
 三人の妖怪の妖力は、吹けば飛ぶほどに弱い。
「確かに、今のおれたちは弱い」
「わしらは、人の手によって地に打ち付けられてしまったのじゃ」
「あたしらみんな、大地の精を上手く吸収できなくなっちまったんだよ」
「ほとんど互角の力を持っていたおれたちは、ここでにらみ合いを続けていた」
「どちらかを攻めれば、もう一方が無傷で残ってしまうからのぅ」
「一旦退いて体勢を立て直そうにも、背中を見せた途端に集中攻撃されちまうからね」
「にらみ合いを続けるおれたちの元へ、人間がやって来た」
「わしらには、人の子に構っておる余裕はなくての」
「あたしらは、無視してにらみ合いを続けてたのさ」
「で、気が付けば」
「地に縫い付けられて」
「動けなくなってたってわけさ」
 三人の妖怪は、肩を落として悲愴感を漂わせた。心なしか、周囲がどんよりと暗くなる。
「話を総合すると、地鎮祭か上棟式のどちらかで縫われてしもたんやな。お店が潰れてしもたから、大地の精を得られへんよになったんやな」
 葵の推理を聞いた三人の妖怪は、おぉ、と歓声をあげる。
「ほんで、どないしたいねん?」
 三人の妖怪は、にじり寄るようにして葵の説得を始めた。
「説明したように、今のおれたちは弱りきっている」
「呪縛を解いた際の衝撃でも、簡単に消滅してしまうほどじゃ」
「あたしらは、大地の精を吸収して活動する妖怪さ」
「その峠道を通る精の流れを、おれたちの足元に誘導して欲しい」
「力さえ取り戻せれば、わしらは自力で呪縛を解くことができよう」
「どうだい? 引き受けちゃくれないかい?」
 葵に向けられた期待の眼差しは、凡そ妖怪のものとは思えぬほどに、純粋無垢な輝きを放っていた。
「流れを変えたることは可能やけど、三人同時には無理やな」
 動いたばかりで定着していない精の流れは、僅かな衝撃で簡単に変動してしまう。誰か一人が呪縛を破れば、その余波で精の流れが変わってしまうのだ。
 精の流れを変えた後、三人が充分な力を取り戻すまで待てば良い、ということでもない。
 三人を地に縫い付ける呪縛もまた、大地の精を利用したものだ。呪縛より早く大地の精を吸い、呪縛より早く力を取り戻す。それが呪縛から逃れるための絶対条件。勝負は一瞬なのである。
 では、一人ずつ順番に解放すれば――というと、それはそれで別の問題がある。
「あんたら、敵同士なんやろ? 一人だけが先に力を取り戻したりなんかしたら、マズイのとちゃいますのん?」
 あれほど多弁であった三人の妖怪は、三人共にだんまりを決め込む。
 三人は、もともと縄張り争いをしていた敵同士。ただ一人、他に先んじて力を取り戻すことができれば、二人を始末する絶好の機会となる。
 他の二人を信用していないことの表れか、他の二人を始末する機会と考えていたことの表れか。いずれにせよ、なんともやり切れぬ重苦しい沈黙であった。