三剣の邂逅
エピローグ
雲一つない快晴の空の下、ライアはヴィアレトから国境の町、ヤレブへと続く丘の上に立ち、遠くに見える町並みを見下ろしていた。
「綺麗ね」
こぼれたようなライアの言葉を、クローブが拾って頷いた。
来た時には気付かなかったが、こうして見ると美しい国だった。あの一角にあるであろう宿屋ロンでカナリと別れたのはほんの今朝のことなのに、もう懐かしい気さえ感じる。
様々な思いの残るこの地を去るのは、やはり淋しいものだった。
「お前、本当にここに残らなくてよかったのか?」
クローブの言葉に、ライアは静かに頷いた。
今回の事件で、無実が証明されたライアたちは、国外追放処分を解かれ、国に戻ることを許された。そればかりか、フレノール家のお家復興も叶い、ランディはこの国で城勤めをすることになったのだ。
クリスの方も、バーガス殺害を免罪というわけにはさすがにいかないが、それでも本来のものよりはかなり刑を軽くしてもらったそうだ。きっと罪を償って、いずれはコルバート家の復興もなることだろう。
母、フレシアも、実質殺人までは犯していなかったため、罪を償った後は、余生をこの国で、罪人用から移してもらった父の墓を守りながら暮らすことに決めていた。
実は、モスリーの墓に父の遺体がなかったことを、ライアはこの時初めて知って驚いた。
国犯の遺体は、追放の際、持ち出すことを許されなかったのだ。
つまりこれでようやく、母は愛する父の側にいられることになり、大王様の寛大なるご処置には、ただただ感謝するばかりだ。
皆が、それぞれの道を歩き出した今、ライアはあえて、家族とは別の道を選んだ。
この国で暮らすことを断ったのだ。
「もといた村での生活に戻るのか?」
問いかけるクローブに、静かに首を振る。
「あそこにあるのは偽りの家族と、守られてばかりいた自分よ。思い出に縛られる生活はしたくないの」
「じゃあ、どうするんだ?」
心配そうに自分を見つめるクローブを、ライアはまっすぐ見返した。
「旅に出ようと思うの。もっと広い世界を見てみたいし、何より、私にはこれがあるから」
そう言ってライアが鞄から出したのは、ちょうど手のひらに乗るほどの小さな麻袋。
それは、一度戻ったモスリーで、父の墓から掘り出してきたものだった。
城で取調べを受ける母との、何度目かの面会の日。母は、あのモスリーの父の墓に、遺体の代わりに、遺品を埋めていたことを明かしてくれたのだ。
過去の事実を子供たちに伝えるべきか悩んでいたフレシアが、時至るまで、家族の目に触れないように隠していたものだが、もうその必要もない。
付き添ってもらったクローブと共に掘り出した、数点の遺品。その中の一つの小さな木箱には、ライアにあてた手紙の束……らしきものが収めてあった。というのは、文字が書かれていたのは一番上の封筒一枚だけで、あとは白紙だったからだ。
『愛するライアへ 誕生日おめでとう』
そう書かれた文字を目にした途端、ライアははっきりと思い出した。
遠い昔にもらい、なくしてしまった、父からの最後のプレゼント。
確かそれを、ちょうどこんな風にもらったのではなかったか。
急いで封筒を逆さにしてみると、中から、一粒の青緑色をした種がころがり落ちた。
それはまさしく、「願いの叶う魔法の種」だった。
箱の中には、白紙の封筒の束のほかに小さな麻袋もあって、種はその中にいくつも入っていた。どうやら父は、毎年、誕生日にこの種を送り続けるつもりだったようだ。
だが何故、願いが叶うという魔法の種を、父がこんなに持っていたのか。
その答えは、クローブがくれた。
『おい、それ、ホウセンカの種じゃないか』
世界中を旅していた際、どこかで見かけたことがあるという。
ホウセンカ。土壌、水、日差し、気温、肥料など、育つための条件が複雑すぎて、とにかく育てるのが難しいと言われる貴重種だとか。クローブが見たのも種だけで、そのため、何色の、どんな花が咲くかまではわからない。
だが、育てるのは難しいが決して不可能ということでもなく、見事育てた際に不思議な効力があるなど、そんな話は聞かなかったとクローブは言った。
しかし、父は確かに、上手く咲けば願いの叶う花だと教えてくれた。
そしてライアは考えたのだ。父が、自分へのプレゼントを、この種にこだわった理由を。
ライアは、自分の掲げる麻袋を見つめたままのクローブに言った。
「この種の花、咲かせるのは、とても難しいことなのよね」
「ん? ああ」
先日、この種を見つけた時と同じ質問をまたされて、クローブは怪訝そうに眉を潜める。
「でも……咲くことは咲くのよね」
「まあ、不可能じゃないことは確かだな」
とても不確かな可能性。けれど、今のライアにはそれで十分だった。
「私、旅に出るわ。そして、この種を必ず咲かせてみせる。きっとよ」
眺めて、夢見てばかりいては何も変わらない。
例えそれが、どんなに不可能と言われることだったとしても、恐れずに一歩を踏み出し、努力していくことの大切さを、父はきっと伝えたかったのだろうとライアは思う。
今だからこそ、そんな父の思いにも、気付けるようになった。
それほど、ライアにとって今回の事件はいろいろな意味で大きかったのだ。そして……。
ライアは、きちんとクローブに向き合った。
「ありがとう、クローブ。あなたがいてくれて、本当によかった」
別れの時を意識して、一生懸命笑顔を作る。
彼は約束通り兄探しに力を貸してくれ、ライアをずっと支えてくれた。
護衛として以上に、ライアを守ってくれた。契約は、果たされたのだ。
「ここまででいいわ。さようなら」
涙は見せないと決めていたから、ライアは笑っておじぎをした。
くるりと背を向け、足早に歩き出す。
が、ふと気配に気付き、そっと振り返ると、クローブがついてきているではないか。
ライアは驚いた。
「クローブ! もういいってば」
「何故だ?」
「何故って……」
「俺はお前の護衛だぞ。お前が旅に出るというなら、俺もついていくまでだ」
クローブがいともあっさり言ってのけるので、ライアはたじろいだ。
「え? だって、もうクローブとの約束は……」
「いや、今度は俺がお前に借りができたからな。それを返すまで、契約は延期だ」
「借り?」
まったく思い当たる節がなく、頭を悩ませているライアに、クローブは笑った。
「今回の事件で、俺も救われた」
「?」
「お前が事後処理でごたごたしてる間、俺も城に行ってたんだ。どうしても確認したいことがあってな。お前の母親にも会った」
「母さんに?」
ライアは母から、そんなことは一言も聞かされてはいなかった。
「ああ。会って、これを見てもらったんだ」
クローブは、姉が恋人にもらったという、例の髪飾りを取り出した。
「それ!」
「お前の母親の話を聞いてから、ずっと引っかかってたんだが、思った通りだった。どうして俺がそれを持っているのかって驚いていた」
「えっ、それじゃあ……」
ライアの頭に、ホワイト=ポーラーという一人の男の名が浮かんだ。
クローブがしっかりと頷く。
「姉貴は裏切られたわけじゃなかったんだ」