三剣の邂逅
2
それからの数日間を、ライアはどのように過ごしたのかよく覚えていない。ただ、毎日のように入ってくる犯人逮捕の報や調査の状況などのことで、頭がいっぱいだった。
ライアにもようやく心のゆとりができたころには、あらかたの処分が決定していた。
危ういところで命を取り留めたカーターは、結局国犯として、その生涯を牢の中で過ごすことになった。
本来なら公開処刑にあたる罪人がこの処置を受けたのには訳がある。一部始終を見届けた片腕の報を聞いた大王が、死してなお友の命を助けた亡きクラークの意を尊重したのだ。
しかし、それはカーターにとっては、ある意味死よりも重いものかもしれなかった。
その理由は、長い取調べの中で徐々にわかった真相にある。
カーターは、不治の病に犯されていた。
病を知った彼は、大使の任を退き、残り少なき余生を、心落ち着けて過ごそうとした。
しかし、運命というのは皮肉なものだ。今の屋敷を売り払い、田舎に買った小さな家へと移るため、荷物の整理をしている時、偶然、あの短剣を見つけてしまった。
それは、あの事件以来、忌まわしい記憶と共に、彼が長い間封印していたものだった。
突如目の前に現れたそれを見て、カーターは、急に死への恐怖に苛まれ出したという。
カーターの過ごした苦悩の日々。それは、彼がその人生において、実にいろいろなことを知りすぎてしまったことが、その身を地獄の底へと導くことになった。
運命の歯車を完全に違えてしまったのは、それでなくてもライバル視していたクラークとイアンの、昇進話を知ってしまったことだった。
自分の知らないところで密かに進められていたその話は、王の側近三名のうち、クラークとイアンのどちらかだけが、王直属軍の総司令官として着任するというものだった。
王の側近とは、国王の信頼厚き者がなれる名誉ある地位だが、常日頃側に控え、刺客などから単身王を守るという、影の役割が強い。
しかし、王直属軍の総司令官ともなれば、戦の先頭に立ち、王ばかりか国家そのものの守護壁として、公にも認められた地位である。
長く王の影として働いてきたカーターにとって、その地位はまさに、憧れの対象だった。
それなのに、今その座につこうとしているのは、また自分ではない二人だ。
その上、彼らが王に進言して自分を昇進から外すようにしていると王弟から聞かされ、とうとう理性の箍が外れた。
あの人並みはずれた残虐な行為を、実行に移してしまうほどに。
事件後はしばらく眠れない夜が続いた。
後ろから切りつけた時の、二人の顔が忘れられなかった。悪いのは私ではない。最初に裏切ったのは向こうなのだ。そう思い込むことによって、なんとか平静を保っていたカーターがさらに余計な「事実」まで知ってしまったのは、因果というべきなのだろうか。
王になった王弟に仕え、国の事情に近く接していた間に、カーターは、この国に戦争の可能性があることを知ったのだ。
相手は隣国カラモア。今まで何かと楯突いていた反国家勢力との闘争で優勢に立ち、勢いに乗ったカラモア政府が、この機に、このカルーチアと国境を接しているオーシア山を領土に取り込もうと画策していたのだ。
そして、戦端が開いた暁には、王直属軍の総司令官を前線に配置すると。
公表こそしていないが、オーシアの奥地では、青白い光沢を持つ原石が取れる。これを磨いて加工すると、アクリムという高価な宝石になるのだ。カルーチアの貿易に欠かせないこの石を産出するこの山は、国にとって非常に重要な役割を果たす。そのことを考慮してからの人選だった。
それでカーターは気付いてしまったのだ。
二人は自分を、戦に出さないようにしてくれたのだと。
半ば意地にも似た努力であらゆる腕を磨いたカーターだったが、それでも、彼の本姓である気の弱さは、完全には克服できなかった。今までのような平和な世なら、国内のいざこざのみに出動する軍の先頭で、総司令官のみが許される青蒼のマントを翻すことに、なんの躊躇いもない。
だが、大きな、まして国を挙げての戦となれば話は別だ。考えただけでも恐ろしい。
気付かれないようにしてきたつもりだが、クラークとイアンには、おそらくわかっていたのだろう。
あの二人のことだ。知っていてあえて口に出さなかったに違いないとカーターは思った。
そしてこの考えは、自分で出した推測に悩み、通い出した医者の話で確実になる。
この医者は生前、クラークたちの主治医でもあり、本来は教えることのない患者のプライバシーを、患者が既に亡くなっているということと、カーターが二人の親友だということもあって、実名は避け、友人という言葉で、密かに彼に明かしたのだ。
思った通り、彼らは『友人』を戦に出さないよう配慮していた。そればかりか、別方面での昇進を、王に進めてさえいたという。あげく、友人のプライドを傷つけないよう頭を悩ませ、その神経疲れでその医者に通ったようなのだ。
真実を知って、カーターの胸の中に湧き上がったのは、プライドを傷つけられた怒りでも、情けをかけられた悔しさでもない、抑えようもない後悔、ただそれだけだった。
気も狂わんばかりに追い詰められた彼に残された道は、すべてを心の奥底に封印してしまうことだけだった。
それからこの十年、休むことなく大使の任をこなすことによって思い出さずにいた過去の記憶。それが、たった一本の短剣を前にして、封印はいともたやすく解けてしまった。
このまま死んだら、あの世で自分は一体どうなるのだろう。今まで考えたこともなかった死後の世界が、途端にこの世よりも恐ろしいもののように思えてきた。
まだ死ねない。このままでは死ねない。
そして、考えた末、残り少なき命を使って過去の罪の清算をすることを思いついた。
すべての罪を我が身に受け、自分を怨んでいる者に殺されることによって、完全に罪の払拭ができると、そう信じたのだ。
この話を聞いた誰もが、怒りを超え、ただ呆れるしかなかった。
もともと気が弱かったのに余計なプライドばかりが高く、一時の感情で犯した罪を抱えることができずに自分を追い込んだ哀れな男。挙句の果ては、なんとも勝手でおしつけがましい理由を天国への導だと信じ、とうとうかつて自分が父たちを陥れたのと同じ、国王暗殺の大罪人となってしまうとは、皮肉な話だ。
国王から「思惟」の意の短剣を賜った者のすることとは、とても思えない。
「きっと、あの人の心は、すべての真実を知った時壊れてしまったんだよ」
ランディが言った悲しげな言葉が、妙に心の中に重く残った。
終わってみると、十年前の事件も、今回の事件も、遣り切れないことこの上ない。
ほんの少しの心のすれ違いと、消し去ることのできなかった憎しみや後悔が引き起こした悲しい事件。だが同時に、ライアに本当の家族の姿を見せた事件でもあった。
今まで触れることを恐れ、見ないようにしていたフレノール家の過去は、箱を開けるにはあまりに悲しく辛いものだったけれど、それでも知ってよかったと、ライアは思う。
それからの数日間を、ライアはどのように過ごしたのかよく覚えていない。ただ、毎日のように入ってくる犯人逮捕の報や調査の状況などのことで、頭がいっぱいだった。
ライアにもようやく心のゆとりができたころには、あらかたの処分が決定していた。
危ういところで命を取り留めたカーターは、結局国犯として、その生涯を牢の中で過ごすことになった。
本来なら公開処刑にあたる罪人がこの処置を受けたのには訳がある。一部始終を見届けた片腕の報を聞いた大王が、死してなお友の命を助けた亡きクラークの意を尊重したのだ。
しかし、それはカーターにとっては、ある意味死よりも重いものかもしれなかった。
その理由は、長い取調べの中で徐々にわかった真相にある。
カーターは、不治の病に犯されていた。
病を知った彼は、大使の任を退き、残り少なき余生を、心落ち着けて過ごそうとした。
しかし、運命というのは皮肉なものだ。今の屋敷を売り払い、田舎に買った小さな家へと移るため、荷物の整理をしている時、偶然、あの短剣を見つけてしまった。
それは、あの事件以来、忌まわしい記憶と共に、彼が長い間封印していたものだった。
突如目の前に現れたそれを見て、カーターは、急に死への恐怖に苛まれ出したという。
カーターの過ごした苦悩の日々。それは、彼がその人生において、実にいろいろなことを知りすぎてしまったことが、その身を地獄の底へと導くことになった。
運命の歯車を完全に違えてしまったのは、それでなくてもライバル視していたクラークとイアンの、昇進話を知ってしまったことだった。
自分の知らないところで密かに進められていたその話は、王の側近三名のうち、クラークとイアンのどちらかだけが、王直属軍の総司令官として着任するというものだった。
王の側近とは、国王の信頼厚き者がなれる名誉ある地位だが、常日頃側に控え、刺客などから単身王を守るという、影の役割が強い。
しかし、王直属軍の総司令官ともなれば、戦の先頭に立ち、王ばかりか国家そのものの守護壁として、公にも認められた地位である。
長く王の影として働いてきたカーターにとって、その地位はまさに、憧れの対象だった。
それなのに、今その座につこうとしているのは、また自分ではない二人だ。
その上、彼らが王に進言して自分を昇進から外すようにしていると王弟から聞かされ、とうとう理性の箍が外れた。
あの人並みはずれた残虐な行為を、実行に移してしまうほどに。
事件後はしばらく眠れない夜が続いた。
後ろから切りつけた時の、二人の顔が忘れられなかった。悪いのは私ではない。最初に裏切ったのは向こうなのだ。そう思い込むことによって、なんとか平静を保っていたカーターがさらに余計な「事実」まで知ってしまったのは、因果というべきなのだろうか。
王になった王弟に仕え、国の事情に近く接していた間に、カーターは、この国に戦争の可能性があることを知ったのだ。
相手は隣国カラモア。今まで何かと楯突いていた反国家勢力との闘争で優勢に立ち、勢いに乗ったカラモア政府が、この機に、このカルーチアと国境を接しているオーシア山を領土に取り込もうと画策していたのだ。
そして、戦端が開いた暁には、王直属軍の総司令官を前線に配置すると。
公表こそしていないが、オーシアの奥地では、青白い光沢を持つ原石が取れる。これを磨いて加工すると、アクリムという高価な宝石になるのだ。カルーチアの貿易に欠かせないこの石を産出するこの山は、国にとって非常に重要な役割を果たす。そのことを考慮してからの人選だった。
それでカーターは気付いてしまったのだ。
二人は自分を、戦に出さないようにしてくれたのだと。
半ば意地にも似た努力であらゆる腕を磨いたカーターだったが、それでも、彼の本姓である気の弱さは、完全には克服できなかった。今までのような平和な世なら、国内のいざこざのみに出動する軍の先頭で、総司令官のみが許される青蒼のマントを翻すことに、なんの躊躇いもない。
だが、大きな、まして国を挙げての戦となれば話は別だ。考えただけでも恐ろしい。
気付かれないようにしてきたつもりだが、クラークとイアンには、おそらくわかっていたのだろう。
あの二人のことだ。知っていてあえて口に出さなかったに違いないとカーターは思った。
そしてこの考えは、自分で出した推測に悩み、通い出した医者の話で確実になる。
この医者は生前、クラークたちの主治医でもあり、本来は教えることのない患者のプライバシーを、患者が既に亡くなっているということと、カーターが二人の親友だということもあって、実名は避け、友人という言葉で、密かに彼に明かしたのだ。
思った通り、彼らは『友人』を戦に出さないよう配慮していた。そればかりか、別方面での昇進を、王に進めてさえいたという。あげく、友人のプライドを傷つけないよう頭を悩ませ、その神経疲れでその医者に通ったようなのだ。
真実を知って、カーターの胸の中に湧き上がったのは、プライドを傷つけられた怒りでも、情けをかけられた悔しさでもない、抑えようもない後悔、ただそれだけだった。
気も狂わんばかりに追い詰められた彼に残された道は、すべてを心の奥底に封印してしまうことだけだった。
それからこの十年、休むことなく大使の任をこなすことによって思い出さずにいた過去の記憶。それが、たった一本の短剣を前にして、封印はいともたやすく解けてしまった。
このまま死んだら、あの世で自分は一体どうなるのだろう。今まで考えたこともなかった死後の世界が、途端にこの世よりも恐ろしいもののように思えてきた。
まだ死ねない。このままでは死ねない。
そして、考えた末、残り少なき命を使って過去の罪の清算をすることを思いついた。
すべての罪を我が身に受け、自分を怨んでいる者に殺されることによって、完全に罪の払拭ができると、そう信じたのだ。
この話を聞いた誰もが、怒りを超え、ただ呆れるしかなかった。
もともと気が弱かったのに余計なプライドばかりが高く、一時の感情で犯した罪を抱えることができずに自分を追い込んだ哀れな男。挙句の果ては、なんとも勝手でおしつけがましい理由を天国への導だと信じ、とうとうかつて自分が父たちを陥れたのと同じ、国王暗殺の大罪人となってしまうとは、皮肉な話だ。
国王から「思惟」の意の短剣を賜った者のすることとは、とても思えない。
「きっと、あの人の心は、すべての真実を知った時壊れてしまったんだよ」
ランディが言った悲しげな言葉が、妙に心の中に重く残った。
終わってみると、十年前の事件も、今回の事件も、遣り切れないことこの上ない。
ほんの少しの心のすれ違いと、消し去ることのできなかった憎しみや後悔が引き起こした悲しい事件。だが同時に、ライアに本当の家族の姿を見せた事件でもあった。
今まで触れることを恐れ、見ないようにしていたフレノール家の過去は、箱を開けるにはあまりに悲しく辛いものだったけれど、それでも知ってよかったと、ライアは思う。