狂言誘拐
「奥尻島のことを思い出してください」
島野の息子だった。そこに先程の消防団員が土足で入ってきた。
「大津波がきます。急いで高台に逃げてください」
「それは無理だから、三階まで私を運んでください」
老人が睨みつけるようなまなざしで、誰にともなく云った。
「俺は避難誘導が仕事だから……」
消防団員は慌てて出て行った。
「ごしっぱらける」(腹が立つ)と、島野が云う。
「まっこと、そうだっちゃ」と、大山の妻。
「時間がないかも知れない。みんなで運びましょう」
中野がそう云うと、男三人と亜矢子が大山老人の寝ている布団の四隅を持って運び始めた。
「ほろまぐな」(慌てるな)と、島野の妻。
「済まんね。ほんとうにありがたいね」
半身不随の老人は泣きながら云った。
「津波でもひしげないように、鉄筋コンクリートの三階建てにしたのね。あんだ」
書類などを持っている妻が訊いた。大山老人の移動が続いていた。半身麻痺の身体は、重くて運びづらい。何とか階段の途中まで移動したそのとき、外では道路の浸水が始まったらしい。そのために大勢の驚きの声が上がっていた。