狂言誘拐
彷徨の始まり
中野のアパートは、多数の警察官たちに包囲されているらしい。拡声器の声が、無駄な抵抗はやめろ!と、繰り返し怒鳴っている。中野は早く起き上がりたいのだが、身体中が痛い。まるで金縛りに遭ったように、ベッドから起き上がれなかった。どうしたら逃げられるかを考えていると、そのとき母の、清!早くそこから出て来なさい!という声も聞がえた。大分前に直腸がんのために死んだ筈の母が、どうして来て居るのだろうかと、訝しく思っていた。
「中野さん。起きて」
亜矢子に起こされる直前まで、中野はいやな夢を見ていた。
「あれ?誰でしたっけ?」
「あやちゃんよ。忘れたの?」
「……ああ、あやちゃん。警察と母はまだ居ますか」
「しっかりして。わたしの車、だめだったの」
中野は夢だったことに漸く気付いた。
「そうなんですか……困りましたね」
「起き上ってくださいよ」
「はい。でも、身体中が痛くて。特に腰が」
亜矢子は中野の腕を掴み、首の下にも手を入れて力んだ。中野はずっと昔、母に同じことをされたことがあるような気がした。