母と歩けば
母と歩けば
今回は純粋な観光目的での入国だから何の問題もないはずだった。それでも自分の順番が来て、いかにも厳格そうな白人の中年男性係官の前に進み出たときは、やっぱり少し身体が固くなってしまった。
型どおり入国の目的を問われたので、ひと言「観光」と答え、帰りの航空券を見せた。係官は四角ばった顔にまったく感情の動きを見せないままそれを検めると、パスポートに視線を戻し、四年前と昨年の入出国時に押されたスタンプを凝視した。
初めてこの国を訪れた四年前はともかく、昨年は一年近くの長期滞在のため途中で滞在延長の手続きをしており、しかもそれからわずか半年後の再訪問であることが、警戒心を抱かせているのではないかと急に不安になった。
「どれくらいの滞在ですか?」
「五日間です」
「お一人ですか?」
「いえ……ママと一緒です」
なんとか緊張した空気を打破しようと冗談っぽく言ってみたら、マザコンの日本人にお目にかかるのは初めてだとでも言いたげに係官は一気に相好を崩し、「そのママはどこですか?」と訊いてきた。
ぼくより先にインド系の係官のもとへ行った母は、「サイトシーング」(観光)とだけ言えばいいと教えたとおりを実行したのだろう、すぐに入国を許可されて、晴れて自由の身となった者が立つ向こう側から心細げにこちらを見つめていた。
「あそこです」
と言って指し示すと、係官は首をひねって母のほうを向いた。さすがによく似てますねとは口にしなかったものの、納得したように小さく頷くとスタンプを押した。
「よい旅を」
口元をほころばせたままパスポートを返してくれた。
「今なんでこっち見てたの?」
訝しげな母に、就労の恐れのある者に対する入国審査が厳しいことを含め、係官とのやりとりを説明した。
「あんた、ほんとに英語わかるんだね。お母さんなんて、なんか色の黒いおじさんが訳のわかんないこと訊いてきたけど全然わかんないから、『サイトソーシング』って言ったよ。それでよかったんでしょ?」
母はまだ不安の色が残る顔で言った。
「サイトソーシングじゃなくてサイトシーングだよ。まあいいけど」
「ええ、そうなの? やだよお」
母は舌打ちしてぼくの肩をたたいた。
「じゃあ、あの人、意味わかんなかったんだ」
「そう。訳わかんないこと言ってたのはあなたのほうです」
「じゃあ、なんで通してくれたんだろ」
「だから、今説明したでしょ。あの人たちは英語が通じない日本人のおばちゃんには用はないの」
「ふーん」
母はぼくの言い方に多少不満があるようだったが、とにかく、これでほぼ半日ぶりに地上を自由に歩けるとあって、こみ上げてきた解放感を味わっているようだった。カフェでお茶でも飲んでからホテルに向かおうかと言うと、全然疲れてないから大丈夫だと笑った。
地下鉄のピカディリーラインに乗れば、ラッセルスクエアにあるホテルまでは乗り換えなしで一時間ほどで着く。二人がけの座席に並んで座った。
飛行機の窓から見下ろしたビッグベンやテムズ河、やっぱり緊張した入国審査、英語だけの標識や広告、アナウンス、すれ違う人の香水のきついにおい、床が木製の地下鉄の車両と、その激しい揺れ……。
懐かしいと思うには半年前の時間がまだあまりにも生々しく鮮明に形をとどめていて、あたかも帰国する友人をヒースローまで見送った帰りのような錯覚にとらわれた。地下鉄がこのまま半年前の時間へと運んでいってくれる気さえしてしまう。確かに過ぎたはずの半年という東京での時間が希薄になり、ぼくにとっての日常がまだこの場所で続いているかのようだ。
「なんか汚いね」
すぐ隣で日本語の声がして、少しあわてた。
きちんと両膝をそろえ、ボストンバッグをその上に載せた母は所在なさそうに車内を見回している。床に散らばった新聞や紙くず、窓枠に置かれたままのコーラの紙カップ、壁の落書き。
ぼくにとっては、ロンドンに戻ってきた喜びを実感させる特別であって平凡な光景が、母にとっては明らかに普段の生活からかけ離れた異質なものとして映っていることがすぐにわかった。
ちょっとそこまで買い物に出るような、東京郊外の町を引きずったままの雰囲気で隣にかけている母の存在が、一瞬、自分がどこにいるのかつかめない危うい意識の淵にぼくを追い込んだ。
考えてみれば母と二人きりで旅をするのは、生まれて二十八年、これが初めてだ。若い頃は友人とよく国内を旅行したという母も、結婚後は出不精の父との暮らしで、遠出などほとんどしてこなかった。夏休みに箱根や伊豆に泊まりがけで出かける程度のささやかな家族旅行も、ぼくと兄が中学を卒業する頃には終わってしまった。
こうして母と並んでロンドンの地下鉄に揺られていることが、不思議でたまらない。初めて飛行機で海を渡り、日本語の通じない異国にやってきたというわりには、母の反応はいやに落ち着いているかに見える。それが薬のせいなのかどうかはよくわからない。
「なんか臭いね」
またぽつりと、ぼくのほうに顔を近づけて母が言う。
街の中心部に近づくにつれ車内は次第に混雑してきた。向かいには立派な口髭をたくわえたアラブ系のおじさんと、ドレッドヘアがおしゃれな太った黒人のおばちゃんが座っている。空港のロビーでもそうだったが、やはりここでも香水の刺激的なにおいが鼻につく。
母は元来かなりのきれい好きだが、「汚い」とか「臭い」とか口にしながらも、耐えがたい不快を感じているわけではなさそうだった。笑いだしたくなるのを堪えているように見える。
平気な顔してるけど、あんたもそう思ってるんでしょ?
そう言いたいのだろうということが、ぼくにはわかる。
五年前のあの夜。誰も考えもしなかった嵐が突然吹き荒れたあの夜のことを、今ではなんとか冷静に思い出すことができる。母が、母でなくなってしまった、まさに悪夢のような日々。父も兄もぼくも、決して追いつくことのできない遠い世界へと突然独りで駆け出してしまった母は、もう二度と戻ってこないかもしれないと半ばあきらめていた。
それが、今再び、こうして母の気持ちに触れることができるのが、何よりもうれしかった。たとえ、日に何種類も服まなくてはならない薬がかろうじて今の母を支えているのだとしても。
「汚いし臭いけど、おもしろいでしょ?」
「あんた、こんなとこに一年もいたんだねえ。よくも、まあねえ……」
母は感心したように、目を閉じたまま何度も首を縦にふり続けた。
翌朝、八時に隣のドアをノックすると、すでに外出着に着替えた母が顔をのぞかせた。よく眠れたかどうかが気がかりだったが、「まあまあ」という返事が返ってきた。それは普段と変わりがないという意味のはずで、頭痛は相変わらずでも顔色もよく表情もおだやかなことから、とりあえずほっとした。
朝食を取ってくると言い置いて、チェックインしたときに受付の人に指示された部屋に行った。インド系の感じのいいおじさんがいて、二人分の紅茶を手際よく用意してくれた。シリアルやパンを選んでいると、
「この国が気に入りましたか?」
と巻き舌でなまりのある口調で訊かれた。
「もちろん。今回は三度目なんです」
今回は純粋な観光目的での入国だから何の問題もないはずだった。それでも自分の順番が来て、いかにも厳格そうな白人の中年男性係官の前に進み出たときは、やっぱり少し身体が固くなってしまった。
型どおり入国の目的を問われたので、ひと言「観光」と答え、帰りの航空券を見せた。係官は四角ばった顔にまったく感情の動きを見せないままそれを検めると、パスポートに視線を戻し、四年前と昨年の入出国時に押されたスタンプを凝視した。
初めてこの国を訪れた四年前はともかく、昨年は一年近くの長期滞在のため途中で滞在延長の手続きをしており、しかもそれからわずか半年後の再訪問であることが、警戒心を抱かせているのではないかと急に不安になった。
「どれくらいの滞在ですか?」
「五日間です」
「お一人ですか?」
「いえ……ママと一緒です」
なんとか緊張した空気を打破しようと冗談っぽく言ってみたら、マザコンの日本人にお目にかかるのは初めてだとでも言いたげに係官は一気に相好を崩し、「そのママはどこですか?」と訊いてきた。
ぼくより先にインド系の係官のもとへ行った母は、「サイトシーング」(観光)とだけ言えばいいと教えたとおりを実行したのだろう、すぐに入国を許可されて、晴れて自由の身となった者が立つ向こう側から心細げにこちらを見つめていた。
「あそこです」
と言って指し示すと、係官は首をひねって母のほうを向いた。さすがによく似てますねとは口にしなかったものの、納得したように小さく頷くとスタンプを押した。
「よい旅を」
口元をほころばせたままパスポートを返してくれた。
「今なんでこっち見てたの?」
訝しげな母に、就労の恐れのある者に対する入国審査が厳しいことを含め、係官とのやりとりを説明した。
「あんた、ほんとに英語わかるんだね。お母さんなんて、なんか色の黒いおじさんが訳のわかんないこと訊いてきたけど全然わかんないから、『サイトソーシング』って言ったよ。それでよかったんでしょ?」
母はまだ不安の色が残る顔で言った。
「サイトソーシングじゃなくてサイトシーングだよ。まあいいけど」
「ええ、そうなの? やだよお」
母は舌打ちしてぼくの肩をたたいた。
「じゃあ、あの人、意味わかんなかったんだ」
「そう。訳わかんないこと言ってたのはあなたのほうです」
「じゃあ、なんで通してくれたんだろ」
「だから、今説明したでしょ。あの人たちは英語が通じない日本人のおばちゃんには用はないの」
「ふーん」
母はぼくの言い方に多少不満があるようだったが、とにかく、これでほぼ半日ぶりに地上を自由に歩けるとあって、こみ上げてきた解放感を味わっているようだった。カフェでお茶でも飲んでからホテルに向かおうかと言うと、全然疲れてないから大丈夫だと笑った。
地下鉄のピカディリーラインに乗れば、ラッセルスクエアにあるホテルまでは乗り換えなしで一時間ほどで着く。二人がけの座席に並んで座った。
飛行機の窓から見下ろしたビッグベンやテムズ河、やっぱり緊張した入国審査、英語だけの標識や広告、アナウンス、すれ違う人の香水のきついにおい、床が木製の地下鉄の車両と、その激しい揺れ……。
懐かしいと思うには半年前の時間がまだあまりにも生々しく鮮明に形をとどめていて、あたかも帰国する友人をヒースローまで見送った帰りのような錯覚にとらわれた。地下鉄がこのまま半年前の時間へと運んでいってくれる気さえしてしまう。確かに過ぎたはずの半年という東京での時間が希薄になり、ぼくにとっての日常がまだこの場所で続いているかのようだ。
「なんか汚いね」
すぐ隣で日本語の声がして、少しあわてた。
きちんと両膝をそろえ、ボストンバッグをその上に載せた母は所在なさそうに車内を見回している。床に散らばった新聞や紙くず、窓枠に置かれたままのコーラの紙カップ、壁の落書き。
ぼくにとっては、ロンドンに戻ってきた喜びを実感させる特別であって平凡な光景が、母にとっては明らかに普段の生活からかけ離れた異質なものとして映っていることがすぐにわかった。
ちょっとそこまで買い物に出るような、東京郊外の町を引きずったままの雰囲気で隣にかけている母の存在が、一瞬、自分がどこにいるのかつかめない危うい意識の淵にぼくを追い込んだ。
考えてみれば母と二人きりで旅をするのは、生まれて二十八年、これが初めてだ。若い頃は友人とよく国内を旅行したという母も、結婚後は出不精の父との暮らしで、遠出などほとんどしてこなかった。夏休みに箱根や伊豆に泊まりがけで出かける程度のささやかな家族旅行も、ぼくと兄が中学を卒業する頃には終わってしまった。
こうして母と並んでロンドンの地下鉄に揺られていることが、不思議でたまらない。初めて飛行機で海を渡り、日本語の通じない異国にやってきたというわりには、母の反応はいやに落ち着いているかに見える。それが薬のせいなのかどうかはよくわからない。
「なんか臭いね」
またぽつりと、ぼくのほうに顔を近づけて母が言う。
街の中心部に近づくにつれ車内は次第に混雑してきた。向かいには立派な口髭をたくわえたアラブ系のおじさんと、ドレッドヘアがおしゃれな太った黒人のおばちゃんが座っている。空港のロビーでもそうだったが、やはりここでも香水の刺激的なにおいが鼻につく。
母は元来かなりのきれい好きだが、「汚い」とか「臭い」とか口にしながらも、耐えがたい不快を感じているわけではなさそうだった。笑いだしたくなるのを堪えているように見える。
平気な顔してるけど、あんたもそう思ってるんでしょ?
そう言いたいのだろうということが、ぼくにはわかる。
五年前のあの夜。誰も考えもしなかった嵐が突然吹き荒れたあの夜のことを、今ではなんとか冷静に思い出すことができる。母が、母でなくなってしまった、まさに悪夢のような日々。父も兄もぼくも、決して追いつくことのできない遠い世界へと突然独りで駆け出してしまった母は、もう二度と戻ってこないかもしれないと半ばあきらめていた。
それが、今再び、こうして母の気持ちに触れることができるのが、何よりもうれしかった。たとえ、日に何種類も服まなくてはならない薬がかろうじて今の母を支えているのだとしても。
「汚いし臭いけど、おもしろいでしょ?」
「あんた、こんなとこに一年もいたんだねえ。よくも、まあねえ……」
母は感心したように、目を閉じたまま何度も首を縦にふり続けた。
翌朝、八時に隣のドアをノックすると、すでに外出着に着替えた母が顔をのぞかせた。よく眠れたかどうかが気がかりだったが、「まあまあ」という返事が返ってきた。それは普段と変わりがないという意味のはずで、頭痛は相変わらずでも顔色もよく表情もおだやかなことから、とりあえずほっとした。
朝食を取ってくると言い置いて、チェックインしたときに受付の人に指示された部屋に行った。インド系の感じのいいおじさんがいて、二人分の紅茶を手際よく用意してくれた。シリアルやパンを選んでいると、
「この国が気に入りましたか?」
と巻き舌でなまりのある口調で訊かれた。
「もちろん。今回は三度目なんです」