薔薇
私は男の目を見た。怖ろしい灰色の目は凍りついたように何も映していなかった。男は私をしばらく冷たい目で眺めた後、言った。
「そんなら、それ、食べ」
男は薔薇を指さして言う。あかいあかい毒のような花を。私が命を奪った薔薇。私はどうしていいのか分からず、立ち尽くした。どうしてどうして。赤い色だけが私の目の奥を染め上げる。
男の口調は静かなままだ。
「どうした、できへんのか?あんたが奪った薔薇やろ……」
「それは……、で、できません……」
私の目には涙がにじんでいた。怖くて怖くて心が恐慌状態に陥る。
男は薔薇を拾い上げて私の目の前に突き付けた。男の目は相変わらず感情を映さず、心すら持っていないかのようで不思議だった。何も映さない灰色した硝子玉。
あかい毒の花が私の目の前で命を見せつけていた。
「いやや、いやや、こんな怖いもん食べたない……」
私は逃げ出したいのに、足が蔦に絡まったかのように動けなかった。私も植物の一部になってしまう。逃げることは許されないのだ。それが私の罰。
心臓の音がうるさい。私は薔薇色の血を思い出す。そして、何とか心を沈め、震える手で薔薇を受け取る。ああ、ああ、気持ち悪い……。
皮膚に触れた部分から薔薇に奪われていく気がした。私が薔薇になってしまう。
そして唇に近付け、震える口を開き、舌の上に花弁をのせた。涙がこぼれそうになる。いやだ、いやだ、こわい。赤い舌に薔薇が溶けだす錯覚。そして歯で噛み、口に含んで、飲み込もうとした。
「げほっ、げほ、っ」
けれど飲み込むことはできずに咳き込んでしまう。くるしい、くるしい。それでも、無理に飲み込んだ。赤いあかい毒を。苦しくて息が上がる。
ああ、ああ、ああ、私はとんでもないことをしてしまった。薔薇の命を奪い、喰らってしまったのだ。喰らわれたのは薔薇だろうか、私だろうか。私は薔薇に何もかも奪われる空想をする。
「どうや、薔薇の味は。命の味は。」
「美味しないです……」
私は吐きそうになっていた。何でこんなことになってしもたんやろう。全部、お前のせいやろう。心の中がうちに囁きかける。
けれど、私の心はどこか満たされていた。怖い。怖い。しあわせ。私は憧れていた薔薇になることができるのだろうか。すこしでも、あの赤い憎らしい花に報いることができたのだろうか。
涙があとからあとから零れて落ちる。
「何で泣いてんや」
男は無表情に言った。
「……分からへん、です。そやけど、きっと、しあわせ、やから」
幸せはきっと悲しい色だ。悲しくて嬉しくて、でも、悲しい……。
「そう」
それだけ言うと男は横を向いて、遠くを見た。その目は夕日を受けて鈍く光っていた。瞳は何を映すのだろう。
薔薇。薔薇。赤い薔薇。
ええな……。綺麗や言(ゆ)うて消えていったらええな……。
美しいもんになりたかった。醜いもんになりたかった。
花はずっと散ってるねん。終わることなく永遠に。
そして、私も散っていくんやから。