薔薇
赤い薔薇、お前は奪ってしもうた。
赤い毒。赤い夢。
いやや、いやや、惑わされて。
うちのことも奪って。
綺麗や言(ゆ)うて。
私は秘密の庭にいた。誰の庭かもわからない小さな庭園。その場所だけこの世界から切り離されたように静かで、私は夢を見ている心地になる。
そこには花が咲いていた。たくさんの赤い花。強い燃えるようなその赤に私の心は魅入られたようになる。瞳には赤い花しか映らない。
そして、私はさ迷うようにその花に近づき、指で触れる。触れた指先に命がにじむ。だんだんと現実か夢か区別がつかなくなってくる。不思議な浮遊感……。
けれど、その美しい花がひどく醜く見えて私は苦しくなった。心が花に埋め尽くされてしまう。毒のように愛らしい赤が羨ましくて、憎らしくて心は溢れた。
そして、私は赤い花を手折った。棘が痛くて、血がにじむ。花の悲鳴のようだった。それでも私は花を手折った。
音もなく花は打ち捨てられた。あわれな赤い命はそれでも強い存在で私を見つめていた。その赤だけが色を持っている。
赤く、赤く、咲いて、散ってゆく……。毒。幻。夢。命。花。
……そのとき、ふと人の声がした。私は夢から現実に引き戻された。
「何やってんねん、あんた」
男が言う。私は頭が真っ白になり何も言うことができない。
「何やってる」
何も言わない私に男はさらに強い口調で詰問した。その男の静かな瞳が怖くて、私は何か言葉にしようと必死になる。
「べ、別に、な、なんも……」
どうしよう。見つかってしまった。あまりに魅惑的な庭だったから誘い込まれるように入ってしまった。
「言え」
男は瞳に鋭い光を込めた。
「はな、花を見てただけです……。ごめんなさい……」
男は無表情で私と周りの状況を見た。
「ふうん。花が好きなんか?」
好き。そう言わなければいけないと思った。それなのになぜか言葉が出てこない。この男の目が嘘をつくことを許さないように感じるのだ。男の目は濃い灰色をしていた。すべてを拒絶しているような色だと思った。私はその瞳を覆う薄い水を想像する。
「あ、あんまり好きやないです。……綺麗やとは思うけど、……醜い、とも思います。……生き物は、嫌い、です」
私は自分の発言が男の機嫌を損ねるのではないかと恐れた。とにかく悪いのは私なのだから謝らなくてはと必死になる。
「ご、ごめんなさい。勝手に入ってしもうて。人がいてはると知らんかって……、いや、居られると知らな、くて」
そう言いながら首を振る。
「……ううん、いらっしゃって当然です……」
自分でも何を言っているのかもう分からなかった。知らなかった。知っていた。そんなの、誰かの庭なのだから人がいるのは当たり前じゃないか。
「そやけど、……薔薇が見てみたくて」
「へえ、そんで、薔薇を摘み取ったんや。けど、足元に打ち捨てられてんな。悲しい薔薇が」
薔薇?私は足元に捨てられた花を見た。これが、薔薇……。
「え……、ご、ご、ごめんなさい。うち、これが薔薇やって知らんかって……」
「薔薇を知らへん?それやのに薔薇を摘んだんか。変わってんなあんた」
「うちは、別に……。あの、ほんまに、ほ、本当にごめんなさい」
私は必死になっていた。怖いのだ。何かが、この男が?薔薇が?分からない……。けれど何か寒気に似た感覚が心を染めてゆく。
赤い毒。赤い夢。
いやや、いやや、惑わされて。
うちのことも奪って。
綺麗や言(ゆ)うて。
私は秘密の庭にいた。誰の庭かもわからない小さな庭園。その場所だけこの世界から切り離されたように静かで、私は夢を見ている心地になる。
そこには花が咲いていた。たくさんの赤い花。強い燃えるようなその赤に私の心は魅入られたようになる。瞳には赤い花しか映らない。
そして、私はさ迷うようにその花に近づき、指で触れる。触れた指先に命がにじむ。だんだんと現実か夢か区別がつかなくなってくる。不思議な浮遊感……。
けれど、その美しい花がひどく醜く見えて私は苦しくなった。心が花に埋め尽くされてしまう。毒のように愛らしい赤が羨ましくて、憎らしくて心は溢れた。
そして、私は赤い花を手折った。棘が痛くて、血がにじむ。花の悲鳴のようだった。それでも私は花を手折った。
音もなく花は打ち捨てられた。あわれな赤い命はそれでも強い存在で私を見つめていた。その赤だけが色を持っている。
赤く、赤く、咲いて、散ってゆく……。毒。幻。夢。命。花。
……そのとき、ふと人の声がした。私は夢から現実に引き戻された。
「何やってんねん、あんた」
男が言う。私は頭が真っ白になり何も言うことができない。
「何やってる」
何も言わない私に男はさらに強い口調で詰問した。その男の静かな瞳が怖くて、私は何か言葉にしようと必死になる。
「べ、別に、な、なんも……」
どうしよう。見つかってしまった。あまりに魅惑的な庭だったから誘い込まれるように入ってしまった。
「言え」
男は瞳に鋭い光を込めた。
「はな、花を見てただけです……。ごめんなさい……」
男は無表情で私と周りの状況を見た。
「ふうん。花が好きなんか?」
好き。そう言わなければいけないと思った。それなのになぜか言葉が出てこない。この男の目が嘘をつくことを許さないように感じるのだ。男の目は濃い灰色をしていた。すべてを拒絶しているような色だと思った。私はその瞳を覆う薄い水を想像する。
「あ、あんまり好きやないです。……綺麗やとは思うけど、……醜い、とも思います。……生き物は、嫌い、です」
私は自分の発言が男の機嫌を損ねるのではないかと恐れた。とにかく悪いのは私なのだから謝らなくてはと必死になる。
「ご、ごめんなさい。勝手に入ってしもうて。人がいてはると知らんかって……、いや、居られると知らな、くて」
そう言いながら首を振る。
「……ううん、いらっしゃって当然です……」
自分でも何を言っているのかもう分からなかった。知らなかった。知っていた。そんなの、誰かの庭なのだから人がいるのは当たり前じゃないか。
「そやけど、……薔薇が見てみたくて」
「へえ、そんで、薔薇を摘み取ったんや。けど、足元に打ち捨てられてんな。悲しい薔薇が」
薔薇?私は足元に捨てられた花を見た。これが、薔薇……。
「え……、ご、ご、ごめんなさい。うち、これが薔薇やって知らんかって……」
「薔薇を知らへん?それやのに薔薇を摘んだんか。変わってんなあんた」
「うちは、別に……。あの、ほんまに、ほ、本当にごめんなさい」
私は必死になっていた。怖いのだ。何かが、この男が?薔薇が?分からない……。けれど何か寒気に似た感覚が心を染めてゆく。