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佐崎 三郎
佐崎 三郎
novelistID. 27916
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『変身』

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『変身』

京都の竜安寺に似た枯山水風の禅の庭を眺めていたら、自分が「かっぱ」になっていた。そこは神奈川の鎌倉にある無名なお寺である。寺に入り、人気のない門から裏庭へ歩き、縁側のような板張りの床に腰掛け、茫漠とした気分で白い砂や尖った石や、背景の生垣にいままでの記憶を投げ入れて、波紋が生まれるのを待っていた。すると、この縁側の端の方に逆光で黒い存在に見える人影が見えた。普段から他人を凝視するのを極端に避けるわたしであったが、ただの人影ではないと察したのか、いわゆる二度見をした。顔は動かさずに目だけで。なんとなくそのシルエットが「かっぱ」に見えた。そういう目の錯覚は、世界の歴史を紐解くまでもないが、思い込みという魔法で現に存在してしまうものである。やはりわたしが見たものは、やはりその類だと思うけれども、疑いを持つよりも自分を信じておいたほうがいいとその時は判断した。だから、このまま縁側で「かっぱ」と二人でいることを楽しもうと思った。しかし、そうではなかったのだった。

彼あるいは彼女を見るでもなく見ていると、心がぎゅーっと締めつけられて、背中にリュックを背負ったような感覚を持ち始めた。軽い金縛りのようになり、自分の肉体が自分の力でコントロールできないと感じた。目だけが動く。横目であの影の方を見ると、それも全く微動だにしていない。時間が止まったかのような時が流れた。感覚は見た目ではわからない。わたしの中身が冒されている。病気のときの熱持ちのようだ。こういう時は落ち着いて無駄に動かないほうが良い。そう言い聞かせる。しかし、この平行感覚も失った空間で居心地良くいるのは難しいと思った。

するといままで鳥の声や風の音ぐらいしかしていなかった耳の中に、言葉らしきものが入ってきた。言葉らしきもの。これはどう説明したらいいのだろう。意味と音が繋がらないはずなものが、理にかなった関係に理解できるという感覚である。それを翻訳しているというのかどうか分からないが、日本語を話す人が英語を一生懸命身につけて、英語ペラペラな人間になったときのような変換技術というものに近い気がした。その耳に聞こえたのはこんな言葉と意味だった。

「あなたはもうカッパですからね」
そう伝わってきた。混乱を避けようとしたものの、動揺はどうしようもなかった。心臓の辺りが痛み出し、頭では夢なら覚めろと思った。しかし、耳は唸りのような低い音が小刻みに侵入し、目は正面の庭と横目でぎりぎり影を見える程度でしか動かなかった。

わたしは考えた。かっぱなのかと。かっぱがどういうものかよくは知らない。水木しげるの漫画原作の実写版「河童の三平」や芥川龍之介の小説や浅草に黄金のかっぱ像があるとか、少し前に岩手県の遠野へ行き、水木しげるのアニメ版「かっぱ」を見たとか、故郷・茨城県の牛久にはかっぱ伝説があるとか、それこそ日本中にそんな類があるような話は知ってはいる。いまや‘かっぱ風呂’や‘かっぱ寿司’は当たり前のネーミングであり、かっぱに対してそれほど妖怪めいた存在感はないのではないかと思う。ではなぜわたしが「かっぱ」になったのか。

「禅、です」
また唐突に聞こえてきた。禅と言われても特別なにも感じもしない。それは芸術的なものであるとは思う。かつて学生時代は仏教美術を齧ったし、京都の禅寺を廻ったりもした。座禅はさすがにしていないけれど、中学時代の剣道は微かに‘禅’に通じるものはあったかもしれないが、改めて研究したり、深く下げたりした覚えはない。確か達磨さんは禅の僧だけれど、その教えよりはその姿・形のほうが有名で、高崎の‘だるま市’、それから‘だるま弁当’、‘だるま石鹸’というのもあったか。また子供の頃の‘にらめっこ’や‘だるまさんがころんだ’などのように、もっとやわらかく人々に愛され、親しまれているものだ。いきなり‘禅’、と言われても困る。そう思った。

時間の経過は相変わらず分からない。昼前に着いたのだからもう昼は過ぎているはずだ。この場所に誰も来ないのもそれはそれでおかしい。やはりこれは夢か幻なのか。でもこの感覚はそこまで脳が創りだした映像でもなさそうである。
「わたしの声、いや思っている‘言葉’か‘意味’は届きますか。いま、わたしに話しかけたヒトよ」
わたしは思い切ってそう念じた。口が動かない。動いたとしても話すことが決して通じることにもならないと思ったから。わたしは目をまた行ける所まで横に回して、その縁側の端の黒い存在に‘意味’を送った。

「はい、大丈夫ですよ」
この、声だか音だか、「目で物を言う」ような伝わり方ではその存在を確定するのが難しいが、男なのか女なのか、いや雄なのか雌なのか、いわゆる‘中性性’なのか、疑問がある。仏像はどちらでもないような表現になるし、かといって男でも女でもある訳でもないだろう。この辺の扱いが人間界においては理解できないものであるもの分かる。それを考えてしまうことが間違いの始まりかも知れない。
「禅の教えを説く御方ですか」
「わたしは違います」
「そうですか」
「わたしもあなたもここにいる。それだけです」
「訳がわかりませんが、禅と関係があるということですよね」
「関係はあります。でも、それは大事なことと思う必要はありません」
「そうですか。あまり考えてもわからないので」
「考えない方がよいと思います」

頭が疲れてきた。わたしはただ暇を持て余し、庭を観に来ただけなのに、こうしてそれこそ禅問答のようなことをするつもりはなかったのに、わたしは「かっぱ」になり身動きとれずに「かっぱ」らしき存在と話をしている。白い砂は雄大な海と波を形作り、岩は峻厳な山を表しているのだろうか。その静謐な空間に、なにを想えばいいのか。なにも想わずにいることがいいのか。普段人間として生きていることを再考していたら、いつの間にか隣に影が移動していた。目の端にいるのは、いわゆる「かっぱ」ではなかった。普通の人間に見えた。女性だった。中性であったかも知れないが。するとこういう声がまた頭の中に伝わってきた。
「わたしも、中身が『かっぱ』です」
「あなたも『変身願望』の人ですか」
「いいえ、別に」
お互いに身体は硬直し、目だけが動いていた。彼女は決して視線をこちらには向けはしなかったが。
「禅っていうもよく分かりません」
「別に。なんでもいいんです。ここがいわゆる‘禅の庭’だから、そう言っただけです」
「ああ、そうですか」
作品名:『変身』 作家名:佐崎 三郎