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紺碧塔物語

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「仇討ちぐらい、幾らでもしてやるさ。でも、あいつら殺して、それでどうなるんだよ。ナーシャが生き返るのか? 生き返って、処女に戻って、俺に抱かれてくれるのか? そんなわけないだろ。だったら──」
「──だったら、なんて言うところが、イオニスの悪い癖だよナァ」
 にやりと。
 意地の悪い笑みを浮かべ、シシュカが言ってくる。
「だったらどうとか、関係ないのナ。あの死体見たろ。犯されて殺されて、昨日まで仲間だった奴らに身ぐるみ剥がされて、鼠に囓られてナ。痛ましかったんだよナ?」
「……ああ」
「悔しかったナ。悲しかったナ。辛かったナ。だったら──応報するのが、僕らの流儀だよナ?」
 ──あの死体が。
 糜爛し、腐れ、所々に骨の覗くあの死体が。
「応報しろと言っているのナ。やられた分はやり返せと言っているのナ。君にその気があるのなら、僕はいっくらでも手伝えるのナ」
「……犯して、殺して、鼠の餌にしろって──ことかよ」
「そうだナ。尻穴を焼け火箸で貫通して、全身余すことなく棒で叩き潰して、食いやすくしてから鼠にくれてやるぐらいのことは、僕は言うのナ。だって僕は、イオニス、君のことを──」
 ──愛しているからナ。
「……愛してるとかさ。気楽に言うなよ」
 もっと重い言葉のはずだった。
 イオニスが得た、些細で狭苦しい知識の中でも、愛というのが生半可な感情でないことは理解できる。一生を添い遂げる覚悟のある者だけが口にして良い言葉のはずだった。恐らくシシュカにそんな覚悟はないし、これから先そういった感情が芽生えるかどうかも怪しい。彼女はひどく刹那的な性格の持ち主だったから、五分もすれば愛だの何だの言っていたことさえ忘れてしまうのだろうと思えた。
 言い合いを続ける間にも、両足だけはきっちりと己の役目を果たし続けている。景色が背後へ飛び退いていくような錯覚を味わいながら、もう何度となく巡った道順を駆け抜ける──広大な魔導都市全域に張り巡らされた地下水路は、ある種巨大な迷宮のようなものなのだが、イオニス達暗渠の民からすれば慣れ親しんだ故郷に他ならない。複雑怪奇に入り乱れる交差、曲がり角、分岐をそれぞれ正しく選択し、一番手近だった貯水溝へと辿り着く。
 日頃寝食を共にする二十番区画の面々も、既に避難しているようだった。他の区画に暮らす連中もいるようだったが、放水時にまで縄張り争いをする程愚かでもない。迫り来る水流に捕らわれないよう互いに身を寄せ合い、一箇所に固まって震えている。
 ──惨めだな。
 もう何度となく繰り返してきた一連の避難行動だった。
 もう何度となく惨めさを味わわされてきた。
 遙か過去、大災難時代(ディザステイジ)と呼ばれる時代に犯した祖先らの罪によって、イオニス達は地下深く暗渠の奥底へと追い遣られた。決して人が犯してはならぬ罪の内一つを犯しながら世代を紡ぎ、迷宮の如き地下水路を這いずり回って暮らす内に暗渠の民という不名誉極まりない呼称を与えられ、それを拒絶できないままに時間を重ね過ぎてしまった──今更誰かが声を上げたところで何が変わるわけでもなく、暗渠の民という言葉はもはや自虐的な響きすら孕むようになっている。
 かつて仲間だった少女を殺した男すら、ここではない他の避難場所に隠れているのだろう。息を潜めて、体を丸めて、母親に縋る赤子のように震えながら放水が終わるのを待つ。地下水路──暗渠に暮らす限り、イオニスもシシュカも、他の誰であってもその現実から逃れられない。
 貯水溝は局地的な大嵐などによる水害に備えたもので、日常的に放水される程度の下水では全く影響を受けない。暗渠の民の中には貯水溝をそのまま街化してしまう者達もいたが、イオニス達はそうではなかった──日常はあくまで貯水溝の外で暮らす。汚水と一緒に流れてくる金目の物、軍の廃棄物資として投棄される残飯類を漁るには、普段は下水を寄り身近に置いていた方が都合が良いのだ。
 ──都合が良い、か。
 残飯を漁らなければ一日たりとて生きてはいけない。それが恥だとは思わなかった──ただ、恥ずべきことだという認識だけはあったから、脳内の矛盾には苦しめられることになる。悩んだ顔をしているとシシュカにからかわれることを学習したイオニスは、表情だけは鉄面皮のまま思索に耽るという技術を身に着けていた。
 今もまた、不動の表情で考え込む。
 仲間だった少女。輪姦され、殺され、かつて同じ場所で暮らしていた者達に身ぐるみを剥がされ、鼠に喰われた。自分のことではないのに、腸が煮えくりかえるような怒りが込み上げてくる。何より不快なのは、結局のところイオニス自身もまた、似たようなことをして飢えと渇きを凌いでいるという現実だった。
 ──俺は。
「──俺は、騎士になる」
 言葉は──ごく自然に、喉から漏れた。
 誰も聞いていない。未だ終わる放水に怯え、目を閉じ耳を塞いで、時が過ぎるのを待っている。それでもシシュカだけは誤魔化せなかった。灰髪の少女は身を乗り出して、耳元に囁いてくる。
「──騎士様って柄かナ?」
「柄でなくてもいい」
「家柄は必要じゃないのかナァ」
「それも必要ない。俺は、騎士になる。騎士になって……不正を、断罪する。何の罪もない子供が下水道の奥深くで野垂れ死ぬような、そんな世界なら──俺が罪を裁いてやる」
「誇大妄想だと思うけどナァ──世界の全てを正せるだなんて、どうせ思ってないよナ?」
 ──思っていなくても、
「いいんだ──思ってなくたって。妄想でも無双でも好きに言えよ、シシュカ。俺は、俺の道を選ぶさ。こんな暗闇の中で、明日をも知れぬ暮らしを続けるのはもう御免だ」
「なら──好きにすればいいのナ」
 ──誰も否定しないし、
 ──誰にも否定させないしナ。
「イオニスのやりたいようにすればいいのナ。もともと僕はイオニスに助けてもらった命なんだから──それこそ犯されて、殺されかけたところを見つけてもらった命なんだから。イオニスが騎士になるなら、僕はそれを応援するのナ」
「……そんなの、昔のことだろ──いつまでも恩に着るなよ」
 言い捨て、後はただお互い無言になるままに任せる。大量の水が殺到する轟音は鼓膜を刺激し、内臓を震わせた──貯水溝の隔壁が軋むたび、仲間達は悲痛な吐息をこぼす。
 惨めだが、ただ一つしかない命にしがみついているだけだ。
「……それぐらいの権利は、あっていいだろう」
 ただ一つしかないものを奪われたとしたら。
 その一つが報いを望んでいるというのなら。

「──俺は、騎士になってやる……罪を、裁ける人間に」

 目の前で息を引き取った、ビープスの残した短剣を胸元に隠して。
 イオニスは、鈍い刃で殺意を研ぐ。

 ──消して消えない、傷跡を刻んでやらなければならない。
作品名:紺碧塔物語 作家名:名寄椋司