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かいかた・まさし
かいかた・まさし
novelistID. 37654
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失敗の歴史を総括する小説

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「それって、身売りじゃないか。あなたが一番嫌がっていたことじゃないか。どうしちゃったんだ。女性の地位向上、男女の対等な関係、それはどうなったんだ」
 龍一は、激怒する口調で言った。部室内に二人の会話は響き渡った。数人の記者が注目してみている。だが、龍一には周囲のことなど気にならなかった。
「もうそんな時代じゃないのよ。そんなことを語れるような時代じゃないの。家族のためにも、理想を捨てなければいけないの。ごめんなさい。もう会えないわ。さようなら」
 環の目から涙が溢れていた。家族のために自分を捨てなければいけなくなった自分の境遇を悔しがるかのようだった。
 手に私物を入れた袋を持ちながら、その場を去っていった。和服を着た後ろ姿は、その悲しさを象徴するかのようだった。洋服を着て自由に動き回っていた新しい女性が、いやがうえに保守的な世界に導かれていくような姿ともいえた。
 龍一は、心がうち砕かれた気分となり、その場でずっと呆然とした。

 大阪朝夕新聞社社主の三木谷社長から直々に招待を受け、白川龍一は社長主催の夕食会に出席していた。会には、三木谷社長他、重役数人と編集局長、また、大阪朝夕にとって大口の広告顧客である関西でも名の知れた財界人数名が膳を前に座っていた。大阪市内で最も有名な料亭で芸者のもてなしも交えたややにぎやかな宴であった。
 芸者が、三味線の音に合わせて舞を踊り始めた。すぐに皆の視線は、そちらに向けられた。
 社長のすぐ傍には、さっきまで編集局長が座っていたが、広告顧客との会話にいそしむため席が空いた形となり、そのせいか編集局長の傍に座っていた龍一とは距離が急に縮まる形となった。
 この夕食会で龍一は、初めて社長と会うことになった。お座敷に入った時、会釈をしながら「お招きいただきまして光栄でございます」と他の招待客と同様に挨拶をしたが、ずっと会話はなしの状態だ。それは、当然のことだろうし、龍一にとっては助かることでもあった。社長は、見た目にもやり手という貫禄がある。服装も、英国仕立ての最高級品を身につけている。だが、若々しい。歳は四十代と聞くか、三十代といってもおかしくないぐらいに若々しさを感じる。新聞人というより、ビジネスマンという言葉が合っている感じがした。
 三木谷氏が、さっと龍一の方を見つめた。じろりと品定めをするように見つめる。龍一は舞を踊る芸者に夢中な振りをした。
「白川君と言ったね」
と三木谷氏が小声だが声をかける。
 こうなったら、反応するしかない。
「はい、社長」
 緊張した面もちを敢えて出して龍一は答えた。
「君の特派員報告記事は、すばらしいものばかりだよ。実にすばらしい。頑張ってくれ給え。国際部部長として君の好きなようにしてくれ給え。君を招待して、そのことだけは言っておきたかった」
 三木谷社長はにこりとしながら言った。
「ありがとうございます。今後、ご期待に沿うよう精一杯働かせていただきます」
 龍一は、感激し、大声でそう答えた。周囲も、そんな二人の会話に注目し、芸者の舞からさっと視線を移して見つめた。
「若き国際部部長を祝して乾杯」
と編集局長が突然、音頭を取った。
 舞の踊りと演奏をやめた芸者数人が、酌を客についでいく。
 皆が、「乾杯」と言い、おちょこを口に運びながら、社長に目をかけられ昇進を成し得た青年を周囲は興味深く見つめていた。
 龍一は、ほろ酔い気分となり、今朝の心打ち砕かれた気分がすっと吹っ飛んだような気がした。
 明日は、部長としての仕事始めとなる。何としても、周囲の期待に応えなければと思った。
 
 翌日、大阪朝夕新聞社の国際部部室
 国際部新部長、白川龍一は、部長用の大きなデスクを前に立ち上がり、二十数名ほどの部下達を前に就任挨拶をした。
「皆さん、よろしくお願いします。今後皆さんと共にこの国際部で仕事が出来ることを嬉しく思います。私は部長となりましたが、まだ若い方ですし、皆様から教えられることも多々あると思います。ですので、対等に付き合って行きましょう。この朝夕はかねてから自由主義を促進する伝統を受け継いでいます。お互い何か意見があれば遠慮なく話し合っていきましょう」
 部下の半数以上が自分より年上であることを意識しての挨拶であった。前の部長は、定年退職で辞めた人だったので、突然、若い部長が現れたことにやや慌てている雰囲気が漂っていたためだ。
 国際部は、世界情勢を丹念に追い、報道していく仕事だ。上海育ちで六カ国語が堪能、アメリカと満州での特派員経験のある龍一にはもってこいの仕事だ。東京朝夕で特派員として国際部に所属していたが、大阪では、統括する任務を命ぜられたわけだ。部下達は、経歴を見たところ皆、優秀な者ばかりなので、敢えて交代させる必要はないと思い、そのまま受け継ぐことにした。
 世界情勢を網羅するとはいえ、現在、最も重視すべきは、一年間特派員として滞在していた満州の問題である。だからこそ、龍一が部長に任命されたともいえる。
 満州で出会った関東軍の動きは、ずっと懸念材料だ。現地を実行支配する東北軍といつでも一瞬即発の様相を呈している。日本にとっては最大時ともいえる事柄だ。この取材を徹底したものにしなければならない。
 満州の支局ともつぶさに連絡を取り合って行かなければならない。明日は、その満州で知り合い龍一が勧め支局の局員として働いてもらうことになった中国人と顔を合わせる予定だ。はるばる中国から船に乗って神戸港に到着する。迎えに行って、いろいろと話をしなければならない。

 早朝、神戸港にて満州の瀋陽で知り合った銭健(チアン・ジアン)という名の中国人とほぼ二ヶ月ぶりの再会を果たした。今月から朝夕の瀋陽支局に配属されている。
 港から社用車で大阪、中之島の本社まで連れて行った。銭にとっては、生まれて初めて見る日本だ。だが、彼は日本語がかなり堪能である。瀋陽の大学で日本語を学んでいたためだ。銭は日本に強い興味を示しており、大学卒業後、日本で働くことを強く望み、朝夕の支局での現地人記者の職を申し込んだ。その熱意を汲み、龍一は支局と本社の人事部を説得し、銭を雇い入れることとした。
 国際部の面々に彼を紹介し、一日中、本社を隅々まで案内し、大阪朝夕と記者としての職務についての説明をした。銭は、憧れの日本の本社に来たこともあり、熱心に龍一の説明に聞き入っていた。
 あっという間に晩となった。二人で夕飯を食わないかということになった。忙しすぎて朝食と昼食は、御握りを数個食べた程度で、ここにきてわっと腹が空く感覚を覚えた。
 龍一は、繁華街の居酒屋に銭を連れて行くことにした。繁華街と言っても、閑散とした雰囲気が漂う。ここ最近の不景気を象徴するかのようである。
 そんな中で、ほんのりと提灯の明かりが灯る居酒屋に着いた。提灯には「酒池肉林」と店の名が書かれてあった。中には数人ほどの客が酒を飲んだり食事をしたりしていた。
「ここでいいかな」
「ええ、わたしはどこでも」
 椅子に座ると、お通しとして豆腐が出てきた。そして、注文を受けたため、うどんと焼き魚と日本酒を注文した。
「もうここからは中国語でいいぞ」