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かいかた・まさし
かいかた・まさし
novelistID. 37654
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失敗の歴史を総括する小説

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「ここの人々のためだけにするのではない。日本国民のためでもあるのだ。内地の記者なら知っているだろうが、国内は大不況で、その中でも農村は窮乏状態だ。そんな事態を打開するためには、農民の移住政策が必要だ。そして、ここがその受け入れ先となる。もう国内では解決できないのは目に見えている。負債を抱えた三千万人の農民の内、一千万人に補助金を与えて受け入れ、ここに定住させれば国家としても負担は軽くてすむ。日本人が多く移住すれば、ソ連に対する防波堤ともなる。新天地でもあり、国防国家にもなるのだ」
 石原氏は淡々と語った。
「ということは、ここに新たなる植民地を建設するということですか」
「違う。五族協和のための新天地の建設だ。農民と日本国民全体を救い、現地や周辺地の民にも喜ばれる国家だ」
「五族」とは、日本人、満州人、蒙古人、漢民族、朝鮮人のことだ。
「しかし、ここだって広いといえども土地は限られています。一千万もの日本人を移住させるとなると現地の人々から土地を奪うまでのことをしないと受け入れられない。構想自体に無理があるのでは。そんな構想、絶対に現地の人々が納得しないでしょう」
 龍一は、迫真の口調で迫った。これこそ、訊きたかったことだったのだ。
「じゃあ、納得させるまでだ」
「どうやってさせるんですか」
 龍一は、さらに詰め寄った。
「もう時間だ。急ぐんで、失敬する」
 石原は無表情に応接室から立ち去った。時間がないというより、返答に困ったため立ち去ったという印象を受けた。
 龍一は思った。彼らは軍人だ。発想が単純で、その上、目的のためには手段は選ばないところがある。そして、軍隊の中には政府の意向を無視するような輩もいるのだ。何だか恐ろしいことが、この先起こる予感がした。

一九三一年三月 東京 浅草
 龍一は、ある劇場の席に座っていた。眺めているのは、来週公演される予定の劇の劇場を使っての稽古だ。客席は、当然のことだががらがらで、龍一と劇団関係者数人だけが稽古を眺めながら座っている状態だ。
 龍一は、この劇団の演出家であり、稽古中の演出を手がけた男の隣に座っている。その男とは、十二年ぶりの再会となる。この十二年間ずっと会いたくて探していた人物であった。
「おいこら、もっとそこで嫌みたらしさを込めていわんか。そないなことで公演はさせへんで」
 大阪弁が相変わらずである。役者は、演出家の要望に応えるように、さっと表情を変え台詞を言い直した。
「お前らはこの日本帝国の食糧問題の解決という大事な使命が科せられているんだ。そんなこと言ってもお前らには分かりやしないだろうが・・・・」
人を見下すような口調で言い放つ。この役者が演じているのは、「蟹工船」という劇で、蟹の缶詰工場の作業員たちの監督をする男の役だ。「蟹工船」は、3年前に小林多喜二という小説家が発表して話題となったプロレタリア文学だ。
 小説は、実際に起こったことをモチーフに描いており、北洋で蟹漁業と缶詰加工を行う蟹工船で働く寄せ集めで未組織の労働者たちが過酷な労働環境から、ついには団結して戦おうとする物語である。
 大西哲夫氏との再会は、帰国からしばらくして東京朝夕新聞の文化欄の記事に目を通したことがきっかけだった。たまたま話題のプロレタリア文学の演劇を紹介した記事の中で、演出家「大西哲夫」という名前を目にしたからだ。すぐに記事を書いた文化部記者に取材先の劇団のことを聞き、まさかと思い訪ねに行ったのだった。そして、浅草の稽古場で十二年ぶりの再会となった。龍一は思わず大西に抱きつき涙を流して再会を喜んだ。
 大西も喜んでくれた。外見が少し老けたものの十二年前と何ら変わりなかった。相変わらず情熱のみなぎる形相で、がさつさもそのままであった。
 龍一は、この十二年間大西のことをずっと心配していたことを話した。すると大西は、
「わいは何の心配もいらへん。わいは、新しい生き甲斐を見つけたんや。ここでわいなりの表現の手段を手に入れたんや」
と堂々と語った。
 これまでの十二年間のことは、あまり語りたがらなかった。語ったのは放浪の末、演劇という道にばったり出くわしたということだった。
 大西は、龍一が新聞記者を続けていることをとても喜んだ。それこそが大西の望みだったからだ。
「来週、とうとう公演ですか」
「そうや、わいが初めて演出する演劇が公演されるんや。お前も見に来てや」
「是非とも」
 龍一は、喜んで言った。じっくりと見てみたいと思った。大西が演出するこの「蟹工船」という劇を大々的に記事として報じて、かつて新聞界を不当にも追放された記者が新たなる表現者として復活する姿を世間に知らせてやるつもりだ。
「座長、お疲れさまです」
 大西が立ち上がって言った。大西より少し年上の中年男でこの劇団の座長をしている男だという。座長は、大西と龍一に無言なまま軽い会釈をした。やや目つきの鋭い男だ。龍一は、この男をどこかで見た覚えがあった。どこかは忘れたが、どうも気になる記憶である。単なる思い過ごしかと思うが。
 座長は観客席の出口の方へ歩いていった。すると、隅の観客席に座っていた男が二人立ち上がりその後を追っていくようだ。稽古の途中で何気なしに座りはじめた男たちで劇団とは関係ない者であるのは確かだ。単なる物珍しさから入ってきた者だと思ったが、どうも怪しい匂いがする。

 次の週、公演初日、満員御礼の中で「蟹工船」という題名の劇は始まった。北洋を航海して蟹を漁獲して船内の工場で加工する役目を担う蟹工船は、工場船であるため航船ではなく航海法は適用されない、だからといって陸地にはないため工場法の適用も受けない。したがって、労働者達は資本家にこき使われても何も文句が言えず、過酷な労働を強いられ全く人間扱いされず、監督者に日々暴力を振るわれる始末だ。寄せ集めで無教養な彼らも、過酷な境遇を共有することにより、予想もつかない抵抗心と団結力が生まれようとしていた。
 この劇の原作となった同名小説の作者、小林多喜二は共産主義者として知られる。龍一は、大西に共産主義者なのかときいてみた。
「わいは、不正を暴き戦う精神に共鳴したんや。共産主義とか、そういうもんはどうでもええ」
と大西は答えたので、龍一はほっとした。最近は、警察、とくに特別高等警察の共産主義者に対する取締りが厳しくなっていると聞く。治安維持法の制定が予想以上に影響していた。
 そして、「共産主義」という言葉から、この劇団の座長をどこで見たかを思い出した。満州にいた頃に見たのだ。満州で共産主義の活動家として知られた「久保田」という名の男だった。帰国して劇団を創設したらしいが、あくまでプロレタリア文学などの文芸作品の劇化を主とした活動としていると聞く。
 龍一自身、共産主義に共鳴する考えはない。ロシア革命が起こり共産主義国家ソビエト連邦が登場。資本主義の国々が二年前にニューヨークから始まった世界恐慌により過酷な状況に陥っていく中、共産主義に対する憧れが労働者階級の間で強まっていくのは必至だが、私有財産を制限した上で富を一国家で収奪し再分配する制度が真の解決策になるかは疑問であると考えた。