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きみこいし
きみこいし
novelistID. 14439
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アルフ・ライラ・ワ・ライラ2

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2:市場(グランド・バザール)

翌朝、イオはジズに連れられてバザールに出かけることになった。昨夜、イオが席をたったあとでアル・ガニーが二人で行ってくるようにとジズに言い渡したそうなのだ。
先を歩くジズの足取りは軽い。
「ねぇ、イオは何を見る?ボクはね、母上から首飾りを見てくるようにって頼まれてたんだ。あっ、もちろんその分のお金はちゃんと預かってるんだけどね」
「そう・・・」
この弟は無邪気で、その無邪気な明るさが時に残酷だ。
昨日到着したらしい隊商のせいか、市場はいつもに増して盛況な様子だ。
天幕をはり、ひしめきあう店々には、果物、野菜、肉にパン、宝飾品に布、剣、ランプ、香辛料、めずらしい白い毛の猿や、美しい声で鳴く極彩色の鳥たち、精緻な細工が施された宝飾品が所狭しと並べられている。商人たちはこれでもかと声を張り上げ、お客の気をひく。
飛び交う声に、あわただしく行き交う人、物、その目まぐるしいほどの盛況ぶりにイオは息をのむ。隣のジズも興奮した様子で、早くもあちこちの天幕に視線をめぐらせている。
「すごいな、ねえ、イオ。こっち見てみなよ」
確かに、市場は活気であふれていた。
はじめは気が乗らないイオだったが、バザールのにぎやかな様子に自然とひきつけられて、ジズの後についてきょろきょろと店をながめていく。
すると、ふとある店の片すみに置かれた、古い指輪がイオの目に入った。
「?」
「いらっしゃい、お嬢さん。ゆっくり見ていっとくれ」
店主に断りを入れ取り上げてみると、何の変哲もないただの指輪だ。
とりとめて目をひく宝飾なわけでもない。
けれど、イオはその指輪から、台座におさまった黒い石から目が離せなかった。
地金は古びた金細工で、何か文字でも彫られていたのか、かすかに模様が浮かんでいるもののはっきりと読み取ることはできない。
獣の爪のようなしつらえの台座に、がっちりとはめ込まれた黒い石。じっと見ていると、吸い込まれるような、深い、深い、黒だ。
よく見ると黒の奥に、ちかちかと紅い光彩が踊っている。まるで燠火のように、誘うように妖しく瞬く紅い光。
――――目眩がする。
ぞくりと言いしれぬ感覚に、イオは身を震わせた。
「っ」
なんとか視線を外すと、慌てて指輪を台にふせ、大きく息を吸う。
(何だろうこの感覚は・・・)
頬を流れる汗をふいていると、背後からジズがイオの手元をのぞき込んできた。
「ねえさん、何か見つけたの?へぇ、指輪か・・・」
「だめっ」
「いいじゃないか、少し見るだけだよ。ふうん、装飾はずいぶん汚れてるけど、きれいな石だね・・・うん、これをもらおう」
気に入った様子で指輪を見入るジズを、イオはあわてて止める。
「ジズ、やめようよ、その指輪。よくないよ」
「なんで?イオはいらないんだろ。なら、ボクがもらうよ」
さっさと代金を支払うと、ジズはイオの手からひったくるように指輪をもぎとった。
「あっ!」
その時、石を支える台座がイオの指をひっかいた。金属製の爪はたやすく少女の皮膚を破り、赤い血があふれ盛り上がる。ゆっくりと、まるで時の流れがとまったかのように、一滴の血が落ちていく。
――――ぽたり。
イオの血が、黒い石に落ちた。

すべては一瞬の出来事だった。
したたり落ちた滴は石に吸い込まれ、まばゆい紅の閃光が空間をつらぬいた。
「きゃあ!」
石から強大な魔力が解放され、突風に少女の体は吹き飛ばされる。イオは近くの柱に背中を打ちつけて地面に倒れ込んだ。
「うっ、あ・・・」
咳き込みながら身を起こす。痛みに涙があふれる。
にじむ眼で見回せば、周囲はひどい有様だった。砂塵がまいあがり、強風にあらゆるものが吹き飛んでいく。まるで嵐の中に放り込まれたかのようだ。
顔をあげて見上げれば、指輪から解き放たれた魔力が渦を巻き、いくつもの竜巻となってバザールを蹂躙している。
(・・・こわい、こわい、こわい。これは世界をこわす力だ)
イオは悲鳴をあげて頭を抱えた。
もうもうと舞い上がる砂煙に、あたりは夜がおとずれたよう。
そして、暗い世界に恐ろしい声が響き渡った。
「くはあっはっはははは!やっと呼び出しか!」
声に目をやれば、涙と砂煙にかすむ視界に一つの影。

――――若い男だった。

黒い髪を無造作になびかせ、男は身をのけぞらせ、天にむかい哄笑する。
破れた外套がバサバサと音をたてて翻る。ひきしまった長身。ぎらぎらと鋭い双眸。黒曜石の両目には火の粉のように紅い光が瞬く。簡素な黒衣。キラリと両腕に鈍く光るのは、無骨な手枷だ。
歓喜に身を震わせる男を中心に、風がうなりをあげて吹きあれ、パチパチと紅い光が踊る。
男の周囲を渦巻く力は、イオたちが使う魔法とは明らかに異質なものだった。
世界の理をよみとり、物事をあるべき形に導く力ではない、理そのものをねじ曲げ、破壊し、物事を実現する力だ。
魔力が目に見えるほどの、そして魔法として形を与えなくとも、風を起こし実体として感じ取れるほどの圧倒的な力。
(なんだ、この人は・・・)
ありえない。イオは驚愕に両目を見開き、ただ目の前でおこるすべてを凝視する。
やがて脆く砂糖菓子のように壊れていく市場を見るのにも飽きたのか、男はあっさりと魔力をおさめると長い腕をまわし、バキバキと首を鳴らす。
「ちっ、長い間閉じ込められてたからな、体が錆びついちまった」
いまいましげに吐き捨てると、彼は腰に手をあて、あたりをぐるりと睥睨した。
「さぁて、どいつだぁ・・・ん?」
そして一瞬でイオの目の前に移動すると、恐怖に身をすくめる少女をのぞき込む。
「お前か、さっさと望みを言え」
「あ・・・」
「何だぁ。とろいやつだな、征服か?略奪か?なんでも言えよ。そうだ、手始めにこの町をぶっ壊してやろうか?」
ガタガタと震える少女にはおかまいなしに、男は上機嫌に話を続ける
「よーし、ちょうどいい肩慣らしだ。いいか。よーく見とけよ」
目の前の男が何をしようとしているのか、気づいたイオは慌てて男の足にすがりつく。
「ま、まって!やめて、やめて!!」
「あ?じゃあ何が望みだ?」
紅い双眸がイオをつらぬく。
(こわい。この人は、わたしたちとは違う。でも、どうしたら・・・)
その時、イオのすぐかたわらでキラリと何かが光った。
――――あの指輪だ。
そうだ。イオの目がおかしくなければ、男は指輪からでてきたのだ。
「望み、望みは・・・」
さっと指輪を拾いあげると、男に投げつけイオは叫んだ。
「い、今すぐ消えて!!」
指輪は男の胸にあたり、地面に転がる。足下に落ちた指輪をつまみ上げ、つまらなそうに舌打ちするやいなや、男の姿は黒い霧になってとけた。
(・・・消えた)
安堵に息を吐くと、背後を振りかえり、イオは絶句する。
男が消え去った後には、一面の瓦礫の山。あちこちから苦痛にうめく声や助けを呼ぶ声があがる。ガチャガチャと鎧をならしながら、兵士たちが駆けつけてきた。
うめき声とともに、血まみれの手が伸ばされる。
「おじさん!」
「お前が、お前のせいだ・・・」
「あ、あ・・・」
じっとイオを睨み付ける、むき出しの敵意に全身が凍り付き、視界が暗くなる。
もうこれ以上は耐えられない。現界だった。