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わたしは空を抱きしめていたい

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 女と寝ているあいだ、ずっと河相のことを考えていた。あいつにだっていつかこの夜が来る、これでいいんだ、そう自分に言い聞かせていた。

 窪の一度きりの女性経験が露見して以来、河相と窪の間柄は何となくぎこちなくなり、ほどなくして河相は出て行った。
 今頃、河相は海の見える眺めのいい客室で、初夜を迎えているのだろうか。下卑たことは考えたくないと強く思うのに、気付けば意識は閨へ飛ぶ。恋愛と性愛と結婚は全部別だと言っていた河相。あんなことを際限なく繰り返す日常に、これから河相は馴染んでいくのだろうか。窪と疎遠だった歳月のうちに、あのとき窪を責めるように「出来ない」と言った行為を河相は出来るようになったのだろうか。
 濡れた肉体をべたべたぶつけ合うのではなく、空の高いところで自と他の境界がとけて消えるようにむつみあえるのならよかったのだ。窪は夢想する。海でなく、空ならばよかった。

 卓に肘をついて、窪はもの思いに沈んでいたらしい。我に返って目を上げると、村瀬が苦笑いしながら、窪の右手で宙ぶらりんになっている箸を示した。窪はあわてて箸を置いた。
「……河相さんのこと考えてたんでしょう」
「ぼんやりしてただけだよ。疲れてるんだ」
 村瀬は立って、卓上を片付け始めた。
「皿洗いはしておきますから、風呂、どうぞ」
「有難う、お言葉に甘えさせて貰うよ」
 欠伸を噛み殺して立ち上がり、風呂場へ向かおうとした窪を、あ、そういえば先輩と村瀬が台所から呼び止めた。
「先輩、やっぱり塩入れてみていいですか」
「え?」
「あの黒出目、見てられないです」
「……効かないと思うがなあ。まあ、村瀬の好きにしていいよ」
 金盥に食塩水をはって、村瀬は器用に片手で黒出目を掬いあげた。黒出目が盥に落ちるぽちゃん、という水音を背で聞いて、窪は脱衣室の引き戸を閉めた。
 窪が湯から上がると既に布団がのべてあり、村瀬は横になっていた。出来るだけ音をたてないように電灯を消し、忍び足で窪が布団に入ろうとしたとき、寝入っているように見えた村瀬が目を閉じたままで言った。
「……知人の婚礼に出たくないのもそうだけど、知らない女と結婚する河相さんに、笑顔で祝辞を述べる先輩を見たくなかった、俺は」
「……」
「……俺は結婚しませんよ」
 既視感が目眩のように窪を襲った。村瀬も、河相も、同じようにむごいことを言う。雛壇の上で花嫁と笑み交わしていた河相がまぶたの裏に浮かぶ。広いデッキの片隅で、窪は銀幕のスタアを見るように河相を見ていた。まぶたの裏で、いつの間にか晴れ姿の河相が村瀬に入れ替わる。
 お前の婚礼でだって祝辞を述べてやるよ、村瀬。胸のうちで窪は呟いた。自分に言い聞かせるように。

 翌朝、窪が目を覚ますと村瀬は玄関先で盥の前にかがみこんでいた。黒出目は静かに浮かんでいた。
「死んじゃった」
 村瀬は子どものように呆然としている。感情を面に出さない村瀬の横顔に、傷ついた色が濃く浮かんでいた。
「……ごめんなさい、先輩。俺が死なせてしまった。先輩のお気に入りだったのに」
「村瀬のせいじゃないよ。そのままにしておいても変わらなかっただろう。かえって、死なせてやったほうが楽になれてよかったかも知れない」
 窪は柔らかい口調で言った。死骸が浮いている金盥は、金魚が必死でもがいている金魚鉢よりはるかにやすらかな光景だった。村瀬が唇を噛む。
「先輩、」
「あとで俺が埋めてやろう」
 窪は黒出目の死骸を両手で掬い、村瀬に見つからないようにさりげなくごみ箱に捨てた。生ごみと違和感なく同調した溺死体を見つめて、窪は思う。

 ーーどうせなら、羊水で溺れ死んでしまえばよかったのだ、と。
し、忍び足で窪が布団に入ろうとしたとき、寝入っているように見えた村瀬が目を閉じたままで言った。
「……知人の婚礼に出たくないのもそうだけど、知らない女と結婚する河相さんに、笑顔で祝辞を述べる先輩を見たくなかった、俺は」
「……」
「……俺は結婚しませんよ」
 既視感が目眩のように窪を襲った。村瀬も、河相も、同じようにむごいことを言う。雛壇の上で花嫁と笑み交わしていた河相がまぶたの裏に浮かぶ。広いデッキの片隅で、窪は銀幕のスタアを見るように河相を見ていた。まぶたの裏で、いつの間にか晴れ姿の河相が村瀬に入れ替わる。
 お前の婚礼でだって祝辞を述べてやるよ、村瀬。胸のうちで窪は呟いた。自分に言い聞かせるように。

 翌朝、窪が目を覚ますと村瀬は玄関先で盥の前にかがみこんでいた。黒出目は静かに浮かんでいた。
「死んじゃった」
 村瀬は子どものように呆然としている。感情を面に出さない村瀬の横顔に、傷ついた色が濃く浮かんでいた。
「……ごめんなさい、先輩。俺が死なせてしまった。先輩のお気に入りだったのに」
「村瀬のせいじゃないよ。そのままにしておいても変わらなかっただろう。かえって、死なせてやったほうが楽になれてよかったかも知れない」
 窪は柔らかい口調で言った。死骸が浮いている金盥は、金魚が必死でもがいている金魚鉢よりはるかにやすらかな光景だった。村瀬が唇を噛む。
「先輩、」
「あとで俺が埋めてやろう」
 窪は黒出目の死骸を両手で掬い、村瀬に見つからないようにさりげなくごみ箱に捨てた。生ごみと違和感なく同調した溺死体を見つめて、窪は思う。

 ――どうせなら、羊水で溺れ死んでしまえばよかったのだ、と。