いろいろな気持ち~生まれてきてくれて、ありがとう~
もし 周囲に先生や友達がいなければ
本物の賽の河原に立っていると錯覚したに違いない
現にそこには複数の石が積み上げられた雑駁な石の塔が
まるで名も無き無数の墓標のように
罪なき罪で無残に殺された殉教者の供養塔のように
幾つも散らばっていた
島原も雲仙もキリシタンにとっては聖地であるとともに
限りない哀しみを秘めた殉教の地といえよう
叶うなら あの落日に染まった十字架や白煙吹き上げる雲仙の眺めを
もう一度 この眼で見てみたいものだと思う
三年生の新しいクラスになかなか馴染めない娘は
直前まで修学旅行にも行きたくないと駄々をこねた
願わくは 私があの遠い日の旅行で得たものがあったように
娘も何か一つても良いから得難い想い出を作ってきて欲しいと
母は願いながら 娘の無事を祈る
明日はひと回り逞しくなった娘が帰ってくるだろう
心に何十年経ても色褪せることのないであろう景色を灼きつけて
☆長女への想い☆ 2012年4月30日
今夜は少し家族についても書いて見たいと思います。
我が家には四人の子どもがいます。上は中3、花の恐ろし受験生!
更に小6の長男、小3の次女、今年、一年生になったばかりの三女。
どの子も親の子で、たいしたことはありませんが、大切な我が子たちです。
私は写真を撮るのも撮られるのも好き。
なので、必然的に部屋には写真がたくさん飾ってあります。
それぞれの写真にその瞬間ごとの想い出がありますが、
たまに眺めると、つい涙ぐんでしまうのが長女がまだ赤ちゃん時代から
2、3歳の頃の写真です。
何故かと言いますと、これらの写真を撮ったときの長女の気持ちを考えると
切なくなるから。
この子が2歳の時、長男が生まれました。生まれて初めて、お姉ちゃんに
なりました。それから、ほぼ2年ごとに次々に弟妹が生まれたので、
正直、私はあまり長女に構ってやれなかったと思います。
もちろん、その情況でできるだけのことはしてきたつもりですが、
今から当時を振り返っても、至らない母であったと反省するところは
多いです。
まず、下に小さい弟妹がいると、長女にはどうしても我慢させてしまう。
例えば幼稚園から帰ってきて、〝あのね。。。〟と何か子どもか゛話したそう
にしても、それが下の子の授乳中だったり、おむつを代えているときだったら、
つい〝後でね〟と取り合わないで済ませてしまうのです。
いつもとは言いませんが、そんなことが結構あったような気はします。
可哀想に、どれだけ淋しかったことか。
まだ幼い子です。
今、末の子がやっと6歳になりましたが、長女がこの歳のときには、既に
二人の弟妹がいて、末っ子が私のお腹にいたのです。
二人の幼い子の世話と妊娠中であったこともあり、長女には余計に眼が
行き届きませんでした。
加えて、末っ子を妊娠中には八ヶ月のときに大病を患い、療養生活を余儀なくされ
ました。
それでも、長女は小学校から帰ってくると、真っ先に私の寝ている部屋に来て、
側で宿題をしていました。
時には、少し目を離して―私がトイレに行って帰ってきてみたら、長女が
私の布団て゛大の字になって、くーくーと寝ていたなんてこともありました。
ちょうど夏の暑い時分でしたし、小学校で疲れて帰ってきて、母親の布団で
眠ってしまったのでしょう。
私は眠ってしまった娘を見て、思わず微笑んでしまいました。
本当は身体がしんどくても、すぐにも横になりたかったのですが、
しばらく側にすわって、娘の寝顔を眺めていました。
あれからもう八年が経ちました。
月日が経つのは本当に早いものです。あの子があどけない小学一年生
であったのがつい昨日のことのようにも、もう、はるかな昔のことのようにも
思えます。
我が家の子どもたち、上の三人は私と夫に似て、小柄です。
クラスの背の順でもたいてい、前から三番目くらいまでにいます。
ところが、誰に似たものか、三女だけは大柄。
3歳違いの次女とほぼ同じ背丈です。
今年、三女は八年前の長女と同じ6歳になりました。
不思議なことに、今の三女はあの頃の長女よりもはるかに身長が高いはずなのに、
随分と私の目には小さく幼く見えます。
裏腹に、八年前、私の目には長女は大きく頼もしく見えました。
多分、比較する対象―兄弟の歳のせいでしょう。
長女が6歳のときには、下にもっと小さい子がいたけれど、
今は、6歳になった末っ子の下に弟妹はいません。
だから、末っ子が幼く見えるのだと思います。
いちばん下の娘は甘えん坊。私ももう手のかかる赤ちゃんがいないので、
末の娘を構いますし、纏いついてくると、可愛いなぁと思います。
小学校から帰ってきて、〝あのね。。。〟と話しかけられても、
八年前のように〝後でね〟とは言いません。
笑顔で〝どうしたの?〟と話を聞いてやります。
どうでしょう、この違いは。
我ながら、自己嫌悪に陥ります。
今の末っ子を見ていると、個人差はあれども、やはり6歳という年齢は
まだまだ母親に甘えたい時期であるのに、私は八年前、長女をある意味、突き放す
ようなことをしてしまいました。
あのときの娘の心境を思うと、あまりに可哀想で涙が出ます。
最近、長女に言いました。
〝あんたも大きくなったなぁ。でも、もしできるなら時間を戻して、
あんたが小さかった頃に戻りたいわ〟
娘は〝えー、何よ、それ〟と大いに不審そう。
私はありのままの気持ちを吐露しました。
〝あんたが小さかった頃には、HやAがまだ手がかかって、あんまり構って
あげられなかったから、その分を構ってあげたいんよ〟
と、娘は〝うげ~、キモー。今更、もう良いよ〟
ときました―苦笑。
そうでしょうね、今更、そんなことを言われても、娘にとってはあまり
ピンと来ないのも当たり前。親の単なる感傷か自己憐憫? というところでしょうか。
でも、実は、そのときの娘、結構、嬉しそうな表情をしていました。
娘は口は悪いですけれど、その分、根は良い子です。
きっと、心の中では私の言いたいことの半分とまでもいなくても、
三分の一くらいは理解してくれたのではないかと思います。
なので、今、私は既に私の背丈を超えた娘が中学から帰ってきたら、
むぎゅーと抱きしめて、ほおずりします。
〝お帰り~、今日の部活はどうだったん?〟
作品名:いろいろな気持ち~生まれてきてくれて、ありがとう~ 作家名:東 めぐみ