IM (Invisible man)
「広瀬って女の子」……それだけで、美幸という想像がついた。なぜなら麻里はもう大人だから、そうは呼ばないだろう。しかし、昨日の今日であんな目にあわせた美幸が来るということも信じられない。
だが、校門のところにいたのは、紛れもなく美幸だった。
お嬢様学校といわれる他校のセーラー服に、うちの学校の生徒にはいないような清楚な顔立ち。帰りがけの生徒たちに見つめられて恥ずかしそうにしながらも、美幸は僕を見つけて嬉しそうに笑う。
「あ、千秋……」
「なにやってんだよ!」
人目もはばからず、僕はそう叫んだ。普段の僕を知っている同級生が驚いているのが見えたものの、そんなことは考えられなかった。
「なにって、迎えに……」
「なんで?」
「だって、家に来るなって……」
「おまえの顔を見せるなっていうところは聞いてなかったのかよ」
「……このまま終わるのは駄目だって思ったの。千秋をこれ以上、一人にさせたくない。とにかく帰ろう。帰って話をしよう」
姉貴面で宥めるようにそう言った美幸に、僕はどんどん頑なになっていく。
「話すことなんかない」
「じゃあ、私じゃなくてお姉ちゃんならいい? 私だって……千秋のこと、弟だって思ったことないよ。お姉さん面したいわけでもない。でも、千秋のこと心配するの、そんなに変なこと? 私だって、千秋のことが好き」
突然の言葉に、僕の世界は一瞬にして変わった。表現で言えば、モノクロがカラーに変わるように、今までの世界がなんだったのかわからなくなるような、そんな感じだった。
もちろん、美幸の言う好きが、LOVE(ラブ)じゃなくてLIKE(ライク)だっていうこともわかっていたが、それにしても僕を暗闇から一瞬にして引き上げてしまうような、そんな不思議な言葉だった。
「な、にを、言ってる、のか……」
しどろもどろになりながら、僕は一瞬にして真っ赤になった顔を隠すように、美幸に背を向ける。
でも美幸は空気が読めないみたいに、その必死さを止めようとはしなかった。
「私にもわかんないよ。千秋との関係なんか。これが家族愛なのかなんなのか。でも考えたって仕方ないじゃない。千秋のこと好きだし、大事だし、どうにかしたいっていうのが私のエゴでも、もうなんでもいい! 私が千秋のこと好きなのは事実なんだから!」
その告白は、その場にいた全員に響き渡るくらい大きな声で、中には足を止めて聞いている者さえいた。
僕は思わず美幸の手を取って、逃げるように家へと帰っていった。
家に帰るまで、僕たちは無言のまま、そして手を握ったままだった。
「め、迷惑なんだよ」
家に帰っても尚も無言だったのを、僕がそう言った。
まだそこは玄関先。僕はやっと美幸の手を離して、中へと入っていく。
「千秋!」
そんな僕の背中に言った美幸の声に、僕はその場に立ち止まってしまった。
玄関先で、美幸はまた声を上げる。
「私……千秋に嫌われてると思った。でも、昨日あんなこと言われて……びっくりした。私も千秋のこと、考えないようにしてた。避けてた部分もあったのかもしれない。でも千秋。本当に千秋が私と付き合いたいとか思ってくれるなら、私……」
「……」
僕は何も言えなかった。ただその場に縛り付けられているかのように、動くことさえ出来なかった。
そんな僕を不審に思ったのか、美幸は家に上がり、僕を振り向かせる。
美幸の目に、ぼろぼろと涙を流す僕の顔が映ったはずだ。いや、僕は今の今まで、自分が泣いていることすら気付かず、ただそれを隠す術さえ忘れていた。
「千秋……」
「見るな……見るなよ!」
そう言いながらも何も出来ず、僕はその場に座り込み、廊下に寄りかかる。
美幸は僕の前にしゃがみ込むと、おもむろに僕を抱きしめた。
「同情だって思ってる?」
美幸の言葉に、僕は頷く。
「思ってるよ。だって一応……姉弟だろ」
「姉弟じゃないって言ったのは千秋でしょ。私にも……わかんないんだよ。でも、同情でもなんでも、千秋がまた笑うなら、私……なんだってするよ」
美幸だって戸惑ってるんだ。僕が紳士なら、こんなに震えてる美幸をどうにかするなんて考えられない。でも目の前の美幸ときたら、今まで見てきた中で一番可愛く映って、僕の自制心すら失くしてしまう。
「キスしてもいい……?」
拒まれるのは怖かったが、僕がそう言うと、美幸は静かに頷いた。
「いいよ」
僕の初めてのキス。最初に口にするのは気が引けて、額にしてみた。頬にしてみた。そして静かに、口づけをした。
途端に溢れ出す感情。ああ、僕が欲しかったものは、すぐそばにあったのだと実感する。僕はこんなにも寂しかったのか。弱すぎる自分に、悲しくなった。
「人間って、誰しも弱いものだと思う」
そんな僕の心情を察するかのように、美幸はそう言ったので、僕は美幸を見つめる。
「私だってそうだもん。私には血の繋がったお姉ちゃんがいたから、なんとかやっていけてるんだと思う。千秋に私は軽すぎるかもしれないけど、私が千秋を好きなことは、同情じゃないよ」
はっきりと自分の気持ちがわかったかのように、美幸は自信を持ってそう言った。
「ごめん。ずっと心配してくれてたのに……僕も美幸が好きだよ。姉としてじゃなく……出来たら付き合いたい」
僕の正直な気持ちを、美幸は複雑な表情で受け止める。そして返事の代わりに、美幸は僕を抱きしめてくれた。
これから先、僕らがどうなるかはわからない。でも恋でも同情でも、そんなものはもうどうでもよかった。お互いの傷をなめあうように、僕たちの関係が進退することはきっとないんだろうと、悟ってしまったのである。
ああ、でも僕は今、やっと透明人間ではなく、本当の人間に戻った気がする。僕は居場所が欲しかっただけなんだ。大声で泣けるような、本当の居場所が……。
次の日。学校の教室に入るなり、僕だけでなく、僕の周りまでもが変わっていた。
「おお、三島! おまえ、彼女いたんだな」
冷やかし、冗談、好奇の目。昨日までの僕なら、その半分も脳に届かず、ただ無表情で見下した目をして避けたのだろう。
「か、彼女じゃないし……」
慣れない声が、喉の奥から絞り出される。
動揺し、真っ赤になった僕に人間らしさを感じることは、きっと誰にだって出来ただろう。そんな僕に、嬉しそうに同級生たちが群がった。
「嘘つけー。おまえ、なかなかやるじゃんかー。紹介しろよ」
「だから違うって……」
透明人間を作り出していたのは、僕自身だった。でも、僕にはまだ何もない。何も誇れるものがない。人間としての存在証明も出来ない。
だけど、僕は間違いなくここにいる。こうして同級生と笑い、友達というものも出来、それがなくなった時、きっと僕は泣くんだろう。僕を心配してくれるという、あの家族のような恋人のような、優しい人の胸の中で……。
作品名:IM (Invisible man) 作家名:あいる.華音