小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

S

INDEX|2ページ/2ページ|

前のページ
 

 何も分からなくなった彼の表情。彼はもう、蝕まれた心を閉ざしたっきり、部屋の中で静かに座ったまま、私が訪れたのも気付かずに、じっと窓の外を見ていることもあった。
 それでも彼は私を見ると元気そうな顔をしてくれた。
 彼が私に心を開いたとは思わなかったが、彼の穏やかな顔は、私にとって嬉しいものだった。
 時折、気が向くままにとりとめの無い事を話してくれる事もある。そんな日の彼は機嫌が良く、私は安心して彼を見ていることができた。
 彼の話すことは正直言ってもうわからない。だけど、彼が私にこうして話をしてくれる短い時間は、何にも変えられない贈り物のように思えた。
 偶然見た左の薬指には、少しずつ色合いの違う金の、三連になった指輪がはめられていた。
 現実感の無い彼の指で、それは恋人、多分あの少女との記憶をとどめているかのように、思われた。
 彼が不意に沈黙するたび、彼が何処か遠い場所へ去ってしまうようで、私は意味も無く不安になった。
 それは、彼の最後を予感しての恐れだったのかも知れない。


 ある朝、眠ったまま彼は動かなくなっていた。
 部屋中に満ちる、白々とした光の中で、あの二枚の写真を手に、微かな、穏やか過ぎるほどの笑みさえ浮かべ、まだ眠っているかのような、綺麗な顔をして、彼は横たわっていた。
 青白くやつれた彼の、本当に幸せそうな表情。
 私はその時初めて、自分が涙を流していることに気付いた。
 彼を失ったことに、いつまでも涙が止まらなかった。
 古びた二枚の写真を愛したのと同じように、ごく当たり前の事のように、私は彼に恋をしていたのだった。



 それはあまりに短い恋だった。
 今はもう、記憶の底に沈んだ微かな痛みしか、思い出せない。
作品名:S 作家名:りく