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The El Andile Vision 第4章 Ep. 4

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 あっ……と驚く間もなく、彼女は寝台の上へ倒れ込みながら、彼のすぐ胸元まで引き寄せられた。
 目の前間近に、イサスの顔が迫っていた。
 異様に燃え立つその黒い双眸が、獣のように、彼女をじっと覗き込んでいた。
 ターナの心臓の鼓動が忽ち激しく高鳴る。
「……俺は……おまえを――」
 彼の吐く息が、彼女の顔にかかった。
 激しい、燃えるような眼差し。
 彼は何を言いたいのだろう。
 その瞳の奥に潜んでいるものは――
 狂おしいほどの、憎しみ――それとも、愛情……?
(俺は……この女を……)
 イサスは、自分でも混乱していた。
(……殺す……)
 ――殺さねばならない。
 そう思う一方で、なぜか躊躇うもう一人の自分がいる。
 何を躊躇っているのか……?
 自問自答しながらも、やはり体は動かない。
(くそっ……!)
 彼は忌々しげに吐いた。
 ――どうして……!
 苦渋の思いが彼の胸を満たす。
 しかし、どうしようもなかった。
(――俺は、この女を……殺せない……!)
 そんな彼の思いに呼応するかのように、
「わたしを、殺して。イサ……」
 ターナの澄んだ瞳がまっすぐイサスを見つめた。
 全てを悟ったかのようなその柔らかな瞳が、イサスの凍りついた心を溶解するように撫でていく。
「……いいのよ。わたしは、今なにも後悔していないもの……」
 言いながら、彼女の唇が彼の頬に、そして唇にそっと触れた。
 その瞬間、イサスは衝動的に、彼女の唇を受け入れていた。
 もはや、彼は何も考えなかった。
 ――考えられなかったのだ。
 そして、そのままターナの体を彼の指先がやさしく愛撫した。

      *   *   *   *

 翌朝、目覚めたとき、ターナの姿は消えていた。
 イサスは、一瞬、全ては夢だったのではないかと思ったが、枕辺に残る彼女の残り香が、紛れもなく昨夜の出来事が現実のものだったのだということを彼に証言していた。
 彼がゆっくりと体を起こしたちょうどそのとき、バタン、と勢いよく扉が開いたかと思うと、背の高い大柄な体躯の女が飛び込んできた。
「イサ!目が覚めたんだね。……気分はどうなの!」
 これもまた、久し振りに見るテリー・ヴァレルの姿だった。
 元気の良い、大きなよく通る声は全く変わっていない。
「……あんた、ほんとに久し振りねえ。……昨日は半分死んだみたいにぐったりしてたから、ほんとびっくりしたけど。何とか生きてるみたいで安心したよ」
 テリーはイサスの傍らまで近寄ってくると、改めてイサスを見下ろした。
 明るい顔がふと翳った。
「――『狼』もひどくやられちまったんだろ。父さんやレトウから聞いたわよ。大変だったねえ」
 そう言いながら、テリーは寝台の淵に腰を下ろす。
 彼女は体を近づけて、イサスの肩や腹部から覗く包帯におもむろに目を向けた。
「父さんからあんたの傷をみるようにって言われたんだけど、なんか、ひどそうだね。騎兵隊の奴ら、よっぽどひどくやりやがったんだねえ……。
 レトウもひどくやられてたけど、あんた、それ以上だわ。その様子じゃ、あたしの手に負えそうもないけど……あんた、ほんとに大丈夫なの?」
 彼女の手が恐る恐る傷口に触れる。
 しかし、イサスの顔色が変わらないのを見ると、彼女はほっと息を吐いた。
 安心したように、今度はその手を少年の顔に滑らせる。
 テリーの顔がふと和んだ。
「……あら、でもあんた、また男っぷりが上がったんじゃない?なんかこの前見たときより、大人っぽくなったわねえ」
 にやりと笑ってイサスを見る。
 イサスは軽くその手を払いのけた。
「冗談はよせよ、テリー」
 彼はむすっとした口調で言った。
 その顔がいかにも子供っぽい拗ねた表情を宿しているのを見て、テリーは笑った。
「……あはは、やあーね。やっぱり、あんた、前とおんなじだわ。安心したよ」
 テリーは立ち上がると、窓辺に寄り、カーテンを少し開けた。
 そこから差し込む陽射しが、室内を一気に明るくした。
「……で、あの娘とはちゃんと話できたの?」
 彼女は肩越しに、意味ありげな目線を投げた。
 イサスは一瞬返答に詰まった。
「……なんて、野暮な質問だったわね。わかってるわよ。その顔見てたら、一目瞭然だ」
 テリーは艶然とした笑みを浮かべてイサスを見た。
「あの娘……真剣にあんたのこと、思ってるよ。あたしも一応おんなじ女だからね。それくらいのことはわかる。――あの娘を見たとき、リースは嫌な顔してたけどね。裏切ったっていう、あのティラン・パウロの妹だから、まあ、そりゃそうなんだろうけど。でも、あたしはあの娘、好きよ。あんなにまっすぐな娘、いないわよ。特にあんたみたいな子には……ね。必要な娘よ」
 そう話しかけるテリーの目はいつになく真剣味を帯びていた。
 イサスは、何とも答えようがなく、ただ黙って視線を落とした。
 彼の中にはまだ、複雑な感情がわだかまっていた。
 自分自身に対する、さまざまな苛立ちや、戸惑い――そんな種々の思いをまだ彼は整理できずにいたのだった。
 そんなイサスを、テリーは暖かい眼差しで、見つめていた。
「……あんたは、ほんとは優しい子なのよ。イサス。自分で気付いてないだけ。素直になりなよ――自分の気持ちに。無理することないんだよ。もう、あんたは『狼』の首領じゃないんだからさ……」
 ――『狼』の首領じゃ、ない……?
 その瞬間、イサスの中で、その事実が虚しい思いを呼び覚ました。
 これまでの自分。
 少なくとも、自分であったと信じていたもの。
 『黒い狼』のイサス・ライヴァーが、もういない……?
 では本当の、イサス・ライヴァーは今、どこにいる……?
 急に不安が波のように押し寄せ、彼の心をかき乱していく。
「……新しく始めればいいじゃない。あの娘と一緒にさ。あんたはまだ若いんだもの。まだこれから何とでも――」
「……やめろ!」
 そのとき、不意にイサスの強い声がテリーを遮った。
「イサ……?」
 テリーはイサスのあまりにも突然の激しい反応に虚を突かれ、言葉を止めた。
「そんな風に言うな!俺は……!」
 イサスは、募る苛立ちを隠せずに、テリーを睨みつけた。
「――俺は……俺はまだ、何も……」
 ――まだ、何も終わらせてはいない。
 彼は歯がみした。
 『黒い狼』の壊滅。
 ザーレン・ルードとの訣別。
 しかし、それが全てを終わらせたわけではない。
 ――そうだ。何ひとつ、変わってはいない。
(俺はまだ、『黒い狼』の首領イサス・ライヴァーのままだ。俺には、まだやらなければならないことが、あるはずだ……)
 彼は拳を強く握った。
(……俺は、何をしているんだ。どうなっちまったんだ……?しっかりしろ!そうだ……まだ、何も終わってはいないんだ……!)
 テリー・ヴァレルは、嘆息した。
 ――なぜ……?
 彼女は少年の姿に、なぜか言いようのない悲愴感を感じて、暗澹たる気持ちになった。
 ――なぜ、この子はこんなにも自分を追い詰めようとしてしまうのか。
 彼女にはわからなかった。
 ただ、彼を覆う運命の黒い影の不気味な予感に、言いようのない不安を感じるだけだった。