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(抜粋サンプル)魔法導師アレイスタ 欲望を狩る人

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 叙事詩が終わるのを見計らったのか、頃よく二人分の料理が運ばれてきた。雑穀入りの大きな平たいパンを十字に割り、煮た鶏肉とゆがいた豆が盛られている。パンの外殻は固く焼かれ、皿として十分に耐えられそうだったが、中は柔らかく、食欲をいや増す香りの湯気をたてている。殻の隅に小山に盛られた三色のペーストを、給仕の娘が指差し、甘い、酸っぱい、辛い、と説明してくれた。これで好みの味付けにして食べろということらしい。
 瑞々しい手をとり、アレイスタは微笑み名を尋ねた。
「あの……、エベッタです」
「美しい名前だ。――エベッタ、君の名に祝福を」
 娘が名乗ったのとは少し違う、聞き取りにくい発音で名を呼び、小さな指先にくちづける。
「あ、ありがとうございます、導師様」
 まだあどけなさの残る少女は、思わぬ幸運に頬を染めて、一層微笑んだ。
「ラドーはまだ来たばかりだが、素晴らしい国だ。土地は豊かで、女達はみな美しい」
「まぁ、お上手だこと」
 アレイスタの賛辞に、斜め前に座る中年婦人がまんざらでもなく答える。彼女の恥じらいを否定する無粋者がいないのは幸いだった。
 アレイスタは右手を上げ胸の前で小さな印を結び、食前の感謝の祈りを口ずさむ。隣のラスタスも師に倣い早口で祈りを終え、鶏肉にかぶりついた。
「あんた、若いのに随分と立派なモンにお乗りじゃないか」
 アレイスタの隣に腰掛けていた導師が、話しかけてきた。
 強い匂いの酒の杯を傾け、値踏みするような視線を無遠慮に投げつけている。その身を包む導師服はくたびれ色褪せていたが、魔法庁推奨の中低位色である浅黄色だった。
 魔法導師の衣装に規律はない。聖教会魔法庁に籍を置く者はそこで推奨される位階別の色に従うが、都以外では魔法庁に属さない魔法導師は珍しくないため、強制力のある規律ではなかった。ただその魔法庁での指定色が、高位であるほど濃くなることから、一般的にも『強い魔力』=『濃厚色』というイメージが定着しているようだ。
 アレイスタの導師服は紺だった。しかし魔法庁の推奨色ではないことで、男の態度にはさしたる敬意もない。当のアレイスタは、慣れた風情で料理を口に運びながら、頷いて答えた。
「これはお恥ずかしい。私はまだ修行中の身ですが、あれはよく仕えてくれています」
 馬やロバ、鳥など、さまざまな乗騎の中でも、竜はことさら貴重で高級だった。数が少ないのもあるが、賢く気高いため自身が認めた人間にしか頭を垂れないのだ。雷号はその速さももちろん、若さが軽んじられがちな世間において、アレイスタに高位の魔法導師らしい箔を与えてくれていた。
 だからか、隣の男を除いて、同席者らはみなアレイスタに畏敬の眼差しを向ける。正面の食事を終えた夫婦は、特にアレイスタに関心を示した。
「導師様は旅の途中ですか。このラドーには、やはり戴冠式に?」
 パンの柔らかい部分で豆を巻いて口に運びながら、アレイスタは頷く。
「都ラドーシアで近々即位される王子の戴冠式があると聞き、ぜひ祝福にと馳せ参じました」
「それはありがたいことで」
「まぁそれは口実で。まだ世間を知らぬ弟子に、遠目にも王族を見せてやろうと思いましてね。ラドー藩王家は、神の末子にして神聖始皇帝テニアを祖にもつ祝福されし血脈。その晴れがましき節目に立ち会えるのは、稀な幸運です」
「それはまた、お弟子思いのお優しいこと」
 二人はラドーの民なのだろう。ことさら誇らしそうに微笑み頷く。その横で、まだ若い息子は少々片端を上げた口を開く。
「呪われた王家の戴冠式には、大陸中から魔法導師が集まっているとか。実際、都は魔法導師だらけです。これを機に一山当てようとね。都ラドーシアの城壁の外には、魔法庁の入城審査待ちの長い列が日々延びるばかりとか」
「入城待ち?」
「えぇ。城砦外は宿もいっぱいで、入れない導師様がテントを張り小さな集落や市も出るほどです。中にはあきらめて引き返す導師様も現れていますね。とても戴冠式までに入城はできないだろうと」
「なんと……」
 アレイスタは、絶句した。いくら由緒正しき王家の統べる藩国とはいえ、ラドーは辺境に位置する。商人や芸人だけでなく、魔法導師まで大挙して押し寄せるとは思っていなかった。それとも、時代が変わったのか。
「呪いなんぞ、ただの言伝えじゃねぇか」
 同じテーブルについていた恰幅の良い中年の男だ。厚く節くれだった手が、何かの職人であることをうかがわせる。すぐに若者が、反論した。
「だけど王太子の左目はどうだ? あれは、昔封じられた妖魔の祟りが甦った証じゃないか」
「お前よしなさい。その話はゲンが悪い」
 若者のいかにもな向うっ気を、隣の父親がいさめるが、彼は引かない。男はその若さを鼻で笑った。そして秘密を扱うように指先を口元にやり、声を落として話す。
「ディディエ殿下が見えないのは今だけだって話だ。俺は司祭様に聞いたんだ。聖教会は、戴冠して王位についたあかつきには開眼なさると言ってる」
「聖教会の言うことなんか信用できるもんか。大逆の罪人が仕切っていたようなところだぞ」
「いい加減にしないか! もうすぐ出発だ、お前は馬車の用意をしておいで!」
 父親の声が、怒気を増した。こんな人の多いところで教会に叛く言動があっては商売に差し障ることもあるだろう。若者は憮然として、同席者に会釈もせず無言で席を外した。庭で寛ぐ御者を呼び、宿の裏手に姿を消した。
「躾の悪い息子でお恥ずかしいことです」
「いやいや、わしも大人気なかったな。――まぁ、戴冠式さえ無事済めば、安心だってことだ。たとえ祟りがあったって、ラドーにはガルー・ダン=ギルがいらっしゃる。七年前だってそうだった」
 男の言葉に、夫婦は表情を明るくする。
「えぇ、あの時はガルー・ダン=ギルがよくして下さった」
「そうとも。司祭様がそう言うってことは、見えるはずだってガルー・ダン=ギルがおっしゃってるってことだろ? ラドーにはガルー・ダン=ギルがいるんだ。何も心配するこたぁねぇ」
 恐縮する父親に、アレイスタは尋ねた。
「ディディエ殿下とは?」
「ラドーの王太子で、前王のただ一人の王子です。七年前──七歳のお誕生日──に妖魔に襲われ、左目を失ったのです」
「ほぅ、左目を……。隻眼の王太子とは、珍しいですね。しかしなるほど、ディードと同じというわけか」
 王とは豊饒と繁栄の象徴であるから、五体満足であることが望まれる。既に王位に就いている王でも、どこかしら欠損すれば退位を余儀なくされるのは珍しくない。王の生命力が衰えることは、その国の展望に影を落とすこととして、強く忌避されるのだ。ましてや伝説の祟りと同じとあれば、民衆は畏れるだろう。しかし、商人はそんな不安を否定するように明るく言った。
「いえ、今はきちんと両目が揃っています。色こそ違いますが……。ある魔法導師が、自分の左目を譲ることによって、王子は救われたのです」
「なんですって、目を? 魔法導師が?」
 テーブルを囲む、アレイスタとラスタス以外の全員が、頷いた。
「──そんなに立派な魔法導師なのですか」
 アレイスタは、好奇心がわいた。彼も魔法導師の端くれであるから、高名な魔法導師と聞けば気になるものである。