弟は天才児!?
第三章 別れ
子供の頃って
大人のどうしようもない事情に振り回される
福人は東大を受験し、将来は弁護士になるのだと言っていた。
反面、私には「作家になりたい」以外の夢がなかった。
作家業のみで食べていける人はほんの一人握り。
どこかの社員になれたらいいな、くらいの軽い気持ちだった。
どこの社員かと聞かれても分からない。
現実的になりたいものは、無いも同然だった。
先生は「中学生の君には可能性があるんだよ」と言っていたが
まさか今更バレリーナや宇宙飛行士になれるわけでもなし
馬鹿だから弁護士だってもちろん無理だ。
それなのに「無限の可能性」をちらつかせる大人とは
なんと残酷で、若さに対して夢見がちなんだろう。
福人に電話をして聞いてみた。
「ねえ。私たちに無限の可能性なんてあると思う?」
「そりゃ可能性はあるだろ」
「じゃあ私がアラブの大富豪と結婚したり、世界的建築家になって
世界を飛び回ったりするのも可能性としては有り?」
「美幸が? ハッ」
「鼻で笑ったなぁ」
「気にすんなよ」
福人のその言い方が好きで、なんだかいつもうやむやにされてしまう。
困ったことだ。
「誰に何言われたか知らないけど、美幸は振り回されすぎなんだよ。
もっと自分に自信を持てよ」
「うん……」
いつも真面目な福人の言葉がありがたかった。
夢にきらきら輝く同世代たちが羨ましかった。
だって私たちは『その他大勢』なのに。
世の中は福人みたいな人が動かしていくのだ。
私たちのほとんどは、ただの平凡な未来の礎に過ぎない。
夢と現実の乖離。
希望に輝くはずの時代に知ってしまったこと。
それが私を萎縮させ、ますます意固地にさせていくのだった。
私の夢が「お嫁さん」とかだったら良かったのだろう
分不相応に作家の夢を抱いた私は
こんな自分は本当の自分じゃないという厨二病をこじらせたただのガキだった。
私は芸大の文芸学部に行きたかった。
しかし父は将来に繋がる学校でなければ大学に行くお金は出さないと言った。
美幸は教師に向いているのでは無いかとも。
父も教師だったから、自分の跡を継がせたかったのかも知れない。
結局、私は大学に行くことはなかった。
あまり偏差値の高くない高校に行った。
福人は順調に付属の高校へと進学した。
福人は習い事や部活に忙しいみたいで、あまり話すことは無くなっていた。
そうそう、私とは大違いで、福人はスポーツも出来た。
成績も上位なんじゃないの、と言ったら福人は笑って
「中間だよ」と言った。
……そんな頭の良い子ばかりの学校に行ったのか、お前。
高校に上がって、ますます忙しくなった福人と話すことは無くなり、
私たちは一時期離れていた。
高校は楽しかった。時間がゆったりと流れているような所だった。
人生は最初に努力するかどうかでだいたい決まるが
私はその努力を一切放棄して遊んでいた。
だって、青春時代は二度と来ないのだから。
高校を卒業し、私は地元では大手のスーパーに就職が決まった。
レジが出来れば結婚しても一生一人でも食べていける。
そう思って選んだ職種だった。
職場に父が会いに来てくれた。就職が決まったことをとても喜んでくれた。
「福人は」と言うと東大に進学したという。
私は弟のことを誇りに思った。単純だけど。そして……開いてしまった差を
思った。
「差が開いちゃったね」と父に言うと
「お前の仕事も素晴らしいよ」と真面目な顔をして返された。
父は北海道に行くらしい。定年後そうすると決めていたのだ。
帰り際私は手を振った。父は名残惜しそうに私の背中を見つめてくれていた。
何かまだ用があるのかと振り返ったら、早く行けと手であしらわれた。
全く……。
久々に福人から電話があった。一度会わないかと言う。私は嬉しくて
しょうがなかった。
久々に会う福人は変わっていなかった。少し大人びたくらいだった。
東大の何部にいるの、と言ったら教養学部の理系三と言われた。
(私は知らなかったが、入学して一年半は誰でも教養学部なのだそうだ)
「えっ弁護士になりたいんじゃなかったの」
「あのなぁ。子供の頃の事だろ。それより、これ見てよ」
福人は写真を取りだした。福人より背の高い女性が写っていた。二人の関係は
分かる。福人が見たことのない笑顔で写っていたから。
「彼女なんだ」
何でもアメリカのすごい大学を二つも出て、三カ国語がぺらぺらなのだそうだ。
……と、言われてもねえ。あんた久々に会った姉に対してするのが
彼女自慢かい。
複雑な表情の私に、福人は彼女がどれほど素晴らしいか、その経歴を語った。
「……なんかその、経歴が素晴らしいのは分かったけどさ」
「うん?」
福人は『反論する用意は出来ているぞ』と言う顔をした。なんじゃそれ。
「経歴に惚れた訳じゃないんでしょ? なんか他にないの」
「料理が得意で、いつも週末に作ってくれるんだ」
ちなみに私は料理が出来ない。
「へえ。凄いじゃない。良い彼女見つけたね」
福人は照れたように笑った。ああ、本当に好きなんだな。そう思うと
心がほっこりした。
「じゃあもう行くから」
「えっもう行くの!?」
本気で彼女自慢しただけかよ!
「予約があるから。それじゃ」
「うん。それじゃあね」
手を振る。福人はさっさと行ってしまった。なんだか、あいつはなぁ……。
まあ、しょうがないか。
福人だもんな。
さてさて、私の弟自慢はこれで終わる。
私と福人はその後縁が切れた。それまで二度ほど電話があったが
深い話はしていない。
どこにいるかも分からないが
福人ほどの人なら、賢く料理上手な彼女となにもせせこましい日本に
いることもないだろう。
まさかノベリストを覗くこともないだろうからその点は安心している。
私はこの陽が落ちていくばかりの日本で、今日も一生懸命生きている。
最後に、私が福人に二回も……親が離婚した中学時代、そして別れ際に
言った言葉を。
「どうか、幸せになってね」
福人の幸せって、なんなのか、正直よく分からないけれど。
凡庸な私に贈れる、最大級の良い別れを、あなたに。