華あるものは夜にささやく
ふっ、と聞き覚えのある空気の漏れる音が聞こえた。泣いてるの、かな。
「ありがと」
少しにじんだその声を何故か今日初めて、人間の声だ、と思った。
そして、美人じゃなくて、学校の有名人じゃなくて、ただの千代田千佳がそこにいるなら、言える気がした。
「またダーツ行こうよ。今度はビリヤードでもいいけど」
僕の誘いに、少し間をおいて彼女がいつもの調子で一言だけ返してきた。
「穂村の癖に生意気」
静かな店内の中ですら、耳を澄ませていないと聞き漏らしてしまいそうな彼女の小さな嗚咽を聞きながら、僕は目を閉じた。
明け方、電車が始まった頃を見計らって僕らは店を出た。
繁華街を歩く人はまばらで、汚物や紙くずがあちこちに散らばって、嵐が去ったような有様だった。見た目はゴミゴミとした繁華街なのに、空気がやけに澄んでいる。
その中を彼女と二人で、隣に並んで歩いた。
少し腫れた目を前髪でどうにか隠そうとしながら歩く彼女が「こっち見んな」と怒った声を上げて、そっぽを向く。
それからは、特に会話もなく、だけど、気まずい感じじゃなくて、僕はそのまま学校へ、彼女は一旦家に帰った。
一週間後、約束通り、またダーツをする為に同じ駅の改札を出た。
僕の前をスニーカーが今にも走りたそうにステップを刻んで先に進み、跳ねるようにエスカレーターへと飛び乗った。
僕は、少しずつ目の高さまで上がってきた長い足が、デニム地に覆われてしまったことに少しだけガッカリしながら、あの夜より距離を開けてエスカレーターに飛び乗った。
今度は、振り返った彼女が驚かなくて済むように。そう思ったのに。
「何、離れてんのよ。声が遠くなるじゃない」
彼女の方から一段下へと下りてきた。
やっぱり彼女の言うことはよく分からない。
だけど、今日はいい天気だ。
青空が覗く地上へと僕たちは自動的に上がっていく。
「そういえば、なんで最初に僕を誘ったの?」
口からスルッと出た疑問に、彼女は小さな口を開いて笑った。
「それは……また終電逃した時に!」
<おわり>
作品名:華あるものは夜にささやく 作家名:和家