短編『夜の糸ぐるま』 13~14
短編『夜の糸ぐるま』(13)
「サイクルトレインは、東へ」
前橋市の中央前橋駅から出発をして、
桐生市の西桐生駅までの25.4kmをむすぶ上毛電鉄は、
間に22の駅を持つ単線のローカル電鉄です。
あゆみの実家がある二つ目の駅までは、約8分。
康平の降りる駅はそのすぐ隣で、平成の大合併により前橋市に
編入をされたばかりです。
「あら。自転車が電車内に持ち込めるの?
随分と便利になったのね」
康平の隣へ、ちょこんとすわったあゆみが、
自転車ごと車内へ乗り込んでくる乗客の様子を見て、
ちょっと驚いた顔を見せています。
ローカル電鉄にはつきものの乗客の減少による経営の悪化を食い止めるに、
その対策のひとつとして、このシステムは始まりました。
持込料無料のうたい文句のもと、平成15年4月に試験がはじまり、
平成17年4月から本格的に、この「サイクルトレイン」が
実施されるようになりました。
こうした結果、今では年間に3万台以上が列車内へもちこまれています。
「ねぇ、さっきのお話のつづき。
その女子高生のことで、他に何か想い出などは、ないの?」
「一度だけ、告白をしたことが有る。
いや、正確には、無理やりロードショーの切符を手渡しただけだ。
高校の卒業を真近に控えた時期に、
思い切ってリバイバル上映でやってきた映画の
招待券を、列車を降りる間際に、その人へ手渡したことが有る。
呆気にとられているそのひとの前で、
顔を赤くして精いっぱいの頭を下げただけで
あとは一目さんに脱兎の如く、逃げ出してしまった。
でも恐くて、おじけづいてしまい結局、
映画館には足を運ばなかった」
「私は行ったわよ。
1967年にアメリカで作られた青春映画『卒業』へ。
結婚式で花嫁を奪うシーンは、とても印象だったけど
最後は哀しい映画だった。
ラストシーンでのバスの乗客が、
全員、老人たちばかりだったことから、
『今後の二人の将来が必ずしもバラ色の未来ではない』
という暗示にも思えたし、
座席のベンジャミンと花嫁衣装のエレーンは、
着席の直後こそ笑顔だったものの、
その笑顔は、すぐに顔から消えてしまったわ。
焦点の合わない視線は宙にとどまり、表情は深刻味を帯びてきた・・・・
それぞれの両親からの決別とも言える、二人の逃避行の結果は、
未来や現実、人生に対する二人の不安を象徴するような、
そんな印象的なシーンだったわ」
遠い目をしながら、あゆみがその映画を思い出しています。
やがて、ひとしきりの沈黙の後、康平の肩にあゆみが頭を寄せてきました。
街の灯が遠ざかり、明かりが消えて漆黒の闇に変わり始めた
車窓を見つめながら、あゆみが、低い声でささやきます。
「私がその女子高生だったということに、
あなたはいつ、気がついたの」
「情けないことに、つい最近だ。
君が持ち歩いているギターケースに下がっている、
例の・・・・あのマスコット人形。
ほら、四角い顔をしている白いウサギ。それを見つけたときさ。
君の横顔を右側から、穴が開くほど見つめたあと、
俺はようやくそれを確信した」
「だからそれは、
ノンタンという名前で、猫の男の子だってば。
まぁいいか・・・・それにしても鈍いのねぇ。
私は、初めて貴方のお店に入った瞬間に、そこでもう気がついたわよ。
あ。いつも同じ電車の乗っていた高校生で、高校3年の真冬の日に
私に映画の切符を置いていってくれた男の子だって・・・・」
「そうか・・・・気がついていたのか。君は」
「ねぇ。私のせいで、
ずっと独身なんてことは、ないでしょうね」
「いや、一度、所帯は持った。
だが、結婚生活は、一年も経たないうちに
あっさりと未練も持たずに終わっちまった。
別れた訳理由はいろいろとあるが、どれも些細なことばかりで、
今では思い出すのも、何故か気恥ずかしいくらいだ。
そんな様子だったから、二人の間に子供はいない。
それからあとは、気ままな一人暮らしで、
ずっと今の居酒屋稼業さ」
「そうなの・・・
あら。ねぇ、また心配事が、一つ増えちゃった。
すっかり話し込んでいるうちにあたしの降りる駅が、
通り過ぎてしまったような気がする。
久し振りに乗ったんだもの、すっかり勝手が違ったわ。
まずいわね。どうしょうかしら、最終電車だし・・・・
貴方のところの駅は、人家の少ない山の中でしょう。
夜中にタクシーは捕まらないだろうし、
夜道を歩いたりしたら、熊にでも襲われそうだもの・・・・」
「おい・・・・そんなに辺鄙な処じゃねえぞ、俺の生家は。
たしかに君が言う通り、不便な山の中と言うのは、
事実そのものだが」
「サイクルトレインは、東へ」
前橋市の中央前橋駅から出発をして、
桐生市の西桐生駅までの25.4kmをむすぶ上毛電鉄は、
間に22の駅を持つ単線のローカル電鉄です。
あゆみの実家がある二つ目の駅までは、約8分。
康平の降りる駅はそのすぐ隣で、平成の大合併により前橋市に
編入をされたばかりです。
「あら。自転車が電車内に持ち込めるの?
随分と便利になったのね」
康平の隣へ、ちょこんとすわったあゆみが、
自転車ごと車内へ乗り込んでくる乗客の様子を見て、
ちょっと驚いた顔を見せています。
ローカル電鉄にはつきものの乗客の減少による経営の悪化を食い止めるに、
その対策のひとつとして、このシステムは始まりました。
持込料無料のうたい文句のもと、平成15年4月に試験がはじまり、
平成17年4月から本格的に、この「サイクルトレイン」が
実施されるようになりました。
こうした結果、今では年間に3万台以上が列車内へもちこまれています。
「ねぇ、さっきのお話のつづき。
その女子高生のことで、他に何か想い出などは、ないの?」
「一度だけ、告白をしたことが有る。
いや、正確には、無理やりロードショーの切符を手渡しただけだ。
高校の卒業を真近に控えた時期に、
思い切ってリバイバル上映でやってきた映画の
招待券を、列車を降りる間際に、その人へ手渡したことが有る。
呆気にとられているそのひとの前で、
顔を赤くして精いっぱいの頭を下げただけで
あとは一目さんに脱兎の如く、逃げ出してしまった。
でも恐くて、おじけづいてしまい結局、
映画館には足を運ばなかった」
「私は行ったわよ。
1967年にアメリカで作られた青春映画『卒業』へ。
結婚式で花嫁を奪うシーンは、とても印象だったけど
最後は哀しい映画だった。
ラストシーンでのバスの乗客が、
全員、老人たちばかりだったことから、
『今後の二人の将来が必ずしもバラ色の未来ではない』
という暗示にも思えたし、
座席のベンジャミンと花嫁衣装のエレーンは、
着席の直後こそ笑顔だったものの、
その笑顔は、すぐに顔から消えてしまったわ。
焦点の合わない視線は宙にとどまり、表情は深刻味を帯びてきた・・・・
それぞれの両親からの決別とも言える、二人の逃避行の結果は、
未来や現実、人生に対する二人の不安を象徴するような、
そんな印象的なシーンだったわ」
遠い目をしながら、あゆみがその映画を思い出しています。
やがて、ひとしきりの沈黙の後、康平の肩にあゆみが頭を寄せてきました。
街の灯が遠ざかり、明かりが消えて漆黒の闇に変わり始めた
車窓を見つめながら、あゆみが、低い声でささやきます。
「私がその女子高生だったということに、
あなたはいつ、気がついたの」
「情けないことに、つい最近だ。
君が持ち歩いているギターケースに下がっている、
例の・・・・あのマスコット人形。
ほら、四角い顔をしている白いウサギ。それを見つけたときさ。
君の横顔を右側から、穴が開くほど見つめたあと、
俺はようやくそれを確信した」
「だからそれは、
ノンタンという名前で、猫の男の子だってば。
まぁいいか・・・・それにしても鈍いのねぇ。
私は、初めて貴方のお店に入った瞬間に、そこでもう気がついたわよ。
あ。いつも同じ電車の乗っていた高校生で、高校3年の真冬の日に
私に映画の切符を置いていってくれた男の子だって・・・・」
「そうか・・・・気がついていたのか。君は」
「ねぇ。私のせいで、
ずっと独身なんてことは、ないでしょうね」
「いや、一度、所帯は持った。
だが、結婚生活は、一年も経たないうちに
あっさりと未練も持たずに終わっちまった。
別れた訳理由はいろいろとあるが、どれも些細なことばかりで、
今では思い出すのも、何故か気恥ずかしいくらいだ。
そんな様子だったから、二人の間に子供はいない。
それからあとは、気ままな一人暮らしで、
ずっと今の居酒屋稼業さ」
「そうなの・・・
あら。ねぇ、また心配事が、一つ増えちゃった。
すっかり話し込んでいるうちにあたしの降りる駅が、
通り過ぎてしまったような気がする。
久し振りに乗ったんだもの、すっかり勝手が違ったわ。
まずいわね。どうしょうかしら、最終電車だし・・・・
貴方のところの駅は、人家の少ない山の中でしょう。
夜中にタクシーは捕まらないだろうし、
夜道を歩いたりしたら、熊にでも襲われそうだもの・・・・」
「おい・・・・そんなに辺鄙な処じゃねえぞ、俺の生家は。
たしかに君が言う通り、不便な山の中と言うのは、
事実そのものだが」
作品名:短編『夜の糸ぐるま』 13~14 作家名:落合順平