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虫めずる姫君異聞・其の一

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 ひと言だけ残し、逃げるように下がった。まるで、これ以上、その場に居れば、帝の機嫌を損じたとばっちりを食うと言わんばかりだ。
「さて、漸く邪魔者がいなくなった」
 帝は涼しい顔で言うと、どっかりとその場に腰を下ろす。
 その〝邪魔者〟の中には先ほどの女房だけではなく、畏れ多くも皇太后安子まで含まれているのだと言外に言っているようだ。
―主上は最近では、おん母君のお言葉にさえ耳を傾けられぬようにおなりあそばされた。
 宮廷人たちの間では取り沙汰されていることだ。数年前、帝が儀式の最中に典侍を手込めにした事件が起こった時、むろん、皇太后は帝を強く戒めた。しかし、当の帝は〝天子に父母なし〟と一天万乗の君である自分に意見できる者はこの世におらぬのだとやり返した。
 あの事件以来、帝と皇太后の間はどうやら上手くはいっていないようだというのが世間の見方だ。また、皇太后の実兄―つまり帝には実の伯父になる関白左大臣、藤原道遠ともまた不仲であると云われている。帝がまだ元服以前、道遠は摂政として万機を決裁していた。が、成人後、帝は自ら親政を行い、関白の出る幕はない。元々、何のために藤原氏が代々、娘たちを入内させ帝の后としてきたか―、それは取りもなおさず皇室の外戚、つまり娘が生みし皇子を皇位につけて天皇の外祖父として政治の実権を握るためである。
 道遠と安子の父、前(さきの)関白道連(みちつら)もその野望を果たすため、娘安子を入内させたのだ。そして、安子は見事、父の期待を叶えて皇子を生み奉った。それが今の帝道明(みちあきら)親王であり、二十数歳で崩御した先帝の後を受け、、道明親王はわずか三歳で即位、道連は摂政として権勢を欲しいままにした。道連がその三年後に病死した後は嫡子の道遠が藤原宗家の当主となり、父の跡を継いだ。道遠は父から摂政の職を譲り受け、即位した幼帝が成人するまで廟堂に君臨してきたのだ。
 しかし、十一歳で元服した後、帝は新たに関白となった道遠を次第に遠ざけるようになった。帝にしてみれば、たとえ己れが藤原氏の血を引いているとはいえ、臣下である道遠に政を欲しいままにされ、ただの傀儡されるのが厭だったのだ。帝は露骨に道遠を疎んじ、二人の不仲が囁かれるようになったのはこの頃からであった。
「母上は随分とそなたをお気にいられたようだ」
 帝は口の端を歪め、冷笑した。
 公子は返す言葉もなく、ただ茫然と帝を見つめ返すだけだ。
 何ゆえ、このように突如として呼び止め、敵意を剥き出しにされねばならないのか。
 帝から発せられる言葉はひどく尖っていて、公子の心を細い針で刺すようだ。
「いや、そなたが母上のお気に入りであったのは、何も今に始まったことではないな」
 帝はいかにも皮肉げな口調で言うと、公子を睨みつけた。
「何をしに来た」
 え、と、公子は戸惑いの表情を浮かべる。
 何をしに来たのだと問われても、咄嗟には応えられない。ただ、叔母である安子の御心を少しでも慰めたくて参内したのだ。
「今日こちらにお伺い致しましたのは叔母上さま―、いえ、大宮さまのお見舞いに参上したゆえにございます」
「ホウ、それは一体、誰の差し金だ?」
 公子は一瞬、言葉に詰まった。
 今日、ここに来たのは父道遠に頼まれたからだ。だが、父とはとかくの噂のある帝にはそのことを告げない方が良いと咄嗟に判断する。
「誰に言われたわけでもございませぬ。ただ、私一人の一存で参りました」
 しかし、帝は公子が返答するまでの一瞬の間を見抜いたようだ。そこに、公子が隠した真実を見抜いたのだろう。
 依然として冷笑を刻んだまま、公子を睨めつける。
「フン、まあ良かろう。道遠が策士なのは昔から知らぬわけではない。上辺はさも親切そうな振りを装い、平然と裏で裏切る、そんな奴だからな」
 その言葉には、流石に公子も黙って聞いていられなかった。
「畏れながら申し上げます。主上、たとえ主上とはいえ、父のことをそのように侮辱するのは止めて頂きとうございます。父は常に主上の御身を思い、忠心からお仕えしております」
「さても、そなたは、うかうかと父親に騙されておるようだな。全く、父親が父親なら、娘も娘だ。狡猾極まりなき狸親父に、親父の本性もろくに知らぬ世間知らずの娘か。とんだ茶番だな」
 あまりといえばあまりの言葉に、公子はキッとなって、帝を見据えた。
「あなたさまは、昔と少しも変わってはおられませぬね。何故、そのように物事を悪い方にしかお考えになられないのでございますか? 今日、私が参内したのもひとえに皇太后さまの御心を安んじ奉りたいと思うたまでのことにございます。桐壺更衣とそのお生み奉りしお二人の御子さま、お三方の相次ぐ死で皇太后さまはお心もお身体も相当に打撃を受けておわすとお聞きしましたゆえ」
「そなたの口から亡き桐壺の名が出るとは思いもしなかったな」
 帝が面白いものでも見つけたような口ぶりで言った。
―どうして、このお方は、こんな風に皮肉げな物言いしかなさらないのだろう。
 公子は疑問に思いながらも、首を振る。
「この度の度重なるご不幸は、私も心を痛めております。もとより、主上のお哀しみも拝察仕りまする」
「はっ、そなたが知ったような口をきくな。そなたに俺の気持ちの何が判るというのだ? 親に守られてぬくぬくと生きてきたそなたに、桐壺の心やあれを失った俺の気持が判るとでもいうのか?」
 どこまでも冷酷な言葉が石のつぶてのように飛んでくる。
 昔から―子どものときから、同じことの繰り返しであった。逢えば反発し合い、罵り合うだけの二人だ。どうやら、それは十一年を経て互いに大人になった今でも変わりはないらしい。
 世の中には幾ら自分が理解しようと努力しても、絶対にその人のことを理解できない人がいるという。もしかしたら、自分とこの男もそんな類の人間同士なのかもしれない。顔を見れば、傷つけ合い、更に尖った言葉でその傷の上にまた傷をつけるようなことを言い合う。
「桐壺は早くに父親を亡くし、母親に女手一つで育てられた。内裏に出仕したのも十四のときのことだ。まだ子どもと言って良い歳でありながら、随分と大人びた眼をした娘だった」
 ああ、帝は桐壺更衣祐子のその眼に惹かれたのだな、と公子は内心で思った。
 帝は公子の心中なぞ頓着する風もなく、遠い眼で語り続ける。彼の瞳に映るのは、今は亡き最愛の女人の面影だけなのだろう。
「俺が祐子を愛するようになって、祐子は多くの女たちからの妬みを受けた。殊に弘徽殿などは陰で相当に酷い嫌がらせを繰り返していたようだ。あ奴は俺が何も知らぬと思うておるが、俺は全部知っていたさ。愚かにも祐子に酷い仕打ちをすればするほど、あれに対する俺の心が冷めてゆくのも知らずに、あ奴は祐子を苛めた。それでも、祐子は何も俺に言わなかった。いつも笑っていた。花のような儚げな外見に似合わず、芯の強い―そして心優しい女だった。俺は祐子が他人の悪口を言っていたのを聞いたことがない」