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ゆく河の舟で三三九度(第三話)

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 このときの房子は、何に対しても受け身だった。自分で何かを選ぶことができなかった。蛇行する川の流れに任せるままで、氾濫したら氾濫しっぱなし。治水工事をしてなんとかうまく流れるようにしてやろう、などとは決して考えないタイプの人間だった。
 しかし、人は変わるのだ。それから数週間後、健二に出会ってから房子はみるみる変わっていった。声を立てて笑うようになり、控えめな声で会話に合いの手を入れるようになり、あれがしたいこれがしたいとわがままを言うようになった。
 笹岡はペンを手に取った。万年筆のインクが桃色のメッセージカードの上をすべっていく。それは笹岡からの二人への結婚祝の手紙だった。窓からの風でカーテンが揺れる。相談所から見える桜は葉が芽吹き始めていた。笹岡は最後の署名を済ませ、封筒に封をするとにんまりと笑った。その笑顔は以前よりもほんの少し不自然でなくなっていた。
 突然、携帯電話の着信音が響いた。バッハの「主よ人の望みの喜びよ」のメロディが軽やかに流れる。そのまま天へと昇っていけるような心地よいメロディだ。笹岡は電話を取った。
「はい、笹岡葬祭店です」
 笹岡は隠れるように奥の部屋へと進んでいった。リビングはさっき封をしたばかりの封筒が置いてけぼりになった。風を受けて、カーテンが大きく膨らんだ。部屋の奥から笹岡の厳粛な声がする。
「お悔み申し上げます。すぐに伺いますのでご住所を教えて頂けますでしょうか」
 
(第四話へ)