一羽のココロと理不尽なセカイ
その言葉を聞いた俺はふと龍司とのやりとりを思い出し、そのせいか、少しムッとした表情が顔に出てしまっていた。そういう彼女もきっと龍司たちみたいにこの世界で戦っているとか言う集団のグルだと思うと、何だか自分の居場所を一瞬にしてこの世界から失ってしまったような気がした。
「あの、あなたも龍司・・・この世界で戦う人間なんですか」
すると彼女は、淡く青い眼を窓の外に向けた。
「既に龍司に会ったのかしら?大体は聞いているはずよ。この世界で生き抜くには戦う
しかない」
おっとりとした口調で話す彼女を見て思わず言葉を漏らす。
「どうして戦うんだ・・・無駄に死ぬ必要なんてないはずだ」
すると彼女はすっと両足をベッドから降ろした。それと共にあることに気がついた。
「あの、足が・・・」
そう、彼女の両足は膝の関節から下にかけて、まるで神経が通ってないかのように
硬直しており、ふくらはぎには刺激を与えるような機械が取り付けられていた。
「変でしょう、この世界に来て失ったわ。この機械は血の流を良くする物」
そうまでして一体どんな理由があってこの世界にいるんだろう。俺は後ろにあった
ベッドに弱弱しくへたりこんだ。
「あなたが生きていた元の世界、現実の世界で日々起こり続ける事件。殺人、自殺は、
人の感情、妬みや憎しみといったものの憎悪から生まれる。好餌社は、そういった
憎しみを具現化したもの、それがこの世界にあり続ければ、彼らは現実の世界へ反映し、
世界に生きる人間の心に憎悪を宿らせることになるの。もしこの精神世界での戦いを
やめて、好餌社に降伏の意を表せば、現実の世界で戦争が起きることになる。人の
憎しみを打ち滅ぼす存在、それが私たちマインドの仕事よ」
すると彼女は右手に持っていたスイッチのような物を押すと、ベッドの陰から
電動式の車イスが現れた。
「そんな・・・無茶苦茶だ。人には皆一律に感情を持っている。それを人の手で無かった
ことにするなんて、人の存在を否定してるようなもんだ」
俺はふと過去の惨劇を思い出していた。
そう、俺は3歳の頃に親父が殺人事件に巻き込まれた事実をまだ心のどこかにしまい
こんでいた。犯人の動機は会社での親父が下したリストラだった。
3歳だった俺には心の整理がつかなかった。恨みなんて感情を抱いたことが無かったし、
母と裁判に席を設けた時も、犯人を見ても俺は何も感じなかった。不思議にも感情は
沸き立たなかった。「可哀想に、あの子、よっぽどショックだったのね」「一番甘えたい
盛りだろうに」そんな声がこそこそと陰から聞こえてきていた事も覚えている。
でも何だ?俺は可哀想なのか?父の顔もほとんど覚えていない。小学校に入学して
からは、クラスのやつらから妙に気を使われていた気がした。どうせ親にでも言われた
んだろう。中学ではそのせいでいじめにもあった。そんな生活がおっくうになって、
ついにはいじめをした生徒を暴力で傷つけた。
交番で背を丸める俺に、母親は何度も泣いて謝り続けた。
こんな日々が続いていいのだろうか?そんな心境のまま、俺は高校に入学した。
鬱々だった俺の背中を押してくれたのは、同じクラスの一人の男子生徒だった。
「その絵、お前が描いたのか?すげー上手いじゃん」
そんな風に笑顔で同級生に接されたのは初めてだったかもしれない。
その時はあまりに唐突で何を言えばいいのか解らなかったけど、自分が救われたと
感じた。それからも友達は友達を結び、いつしか俺の生活には笑顔が絶えなかった。
それから俺は思ったんだ。人は変わることが出来る、無駄な涙なんて一つも無いと。
恨みも乗り越えれば人を成長させる。
そんな俺の過去を、否定されたようで感情的にもなってしまった。
「あんたは・・・その、自身に悔やみとか、恨みは無いのか?この世界で生きていく
には、そういった犠牲も必要だと」
「そうね、これはある意味、罪滅ぼしなのかもしれないわ」
「罪滅ぼし?」
「そう、私の過去に対しての、罪滅ぼし」
意味深気に言葉を漏らすと、彼女は目を伏せて車イスをこぎだした。
「私は白沢愛井香、ここで書記をしてるの。あなたは?」
「平岡東馬」
名前だけを告げると、白沢はおもむろに机の中にあった箱を引っ張り出すと、当然の
ようにそれを俺に渡してきた。やたらとズシリと重いその箱からは、妙な緊張感を
感じた。
「あの、これは?」
俺がそう聞くと、白沢は神妙な面持ちで箱の表面をさすりながら答えた。
「この箱はね、選ばれた者にしか開けない神秘の箱なの。どんなに重い重機を使っても、
ありったけのダイナマイトで爆破しても傷一つつかなかった。この中にはね平岡君、
レコードボールという人間の心を吸い取る球が入れられているの」
すると愛井香は俺の腕を掴み、鋭い眼差しで呟いた。
「開けてみて」
「開けるって・・・誰も開けなかったんですよね」
俺は仕方なく箱の鍵口に手をやる。すると。
鈍い木が裂けるような音と共に、箱は開いたのだった。
「なっ・・・」
戸惑う俺を横目に、愛井香は箱の中に綺麗に入れられた白い球を手に取る。
「やはりあなただったのね。平岡君、あなたが選ばれたのよ」
頭が真っ白になった。まさかアーサー王伝説のような夢物語が、俺に降りかかるなんて
思ってもいなかったからだ。
「そんな、無責任だ。俺は何も・・・ただ気がついたらこの世界にいて、来たくて来た
わけでもないんだ」
「じゃあ、どうやって平岡君がこの世界に来たか知らないわけね」
内心はビクビクしていたんだ。俺も死と隣り合わせの戦場に連れて行かれると
思うと、寒気がしてきてとても真っ直ぐ立っていられなかった。怖かったんだ。
そう、死という存在が。
「これは無責任な選択なんかじゃないわ。運命なの」
「運命?そんなの気休めだ」
俺は何を言っているんだ。恐怖で思ってもいないようなことが口走る。
「違うわ平岡君。生きて、世界中の人間の心から憎しみを消し去ることよ。言ったでしょう。この箱は選ばれた人にしか開けないのよ」
一瞬、時間が止まったかのように感じた。
「憎しみを消せば、人は救われますか・・・」
愛井香はレコードボールを俺に渡した。
「それを見つける為にも、あなたに来てほしいの」
俺は手渡されたレコードボールを握り締めた。
そこに答えがあるのかもわからない、ただの正義感の強い人間なら、素直に「はい」と
答えるだろう。だが俺はどうだろう、俺みたいな同じ境遇の人生を送っている人がいる
んだ。この悪循環が続くことなんて耐えられない。
「そうかきっと俺は、第二の俺を作りたくないんだ」
しばらく考えた。考える時間は、思っている以上に長く、気がつけば時計の針が一周
していた。
気付いたんだ。俺は、俺がやりたいことが何なのかを。
俺は踵を返すように愛井香のほうへ振り向くと、首を縦に振ったのだった。
2
1‐Aの教室に戻ると、龍司の姿がそこにあった。
「よう、ちったあ落ち着いたか?」
作品名:一羽のココロと理不尽なセカイ 作家名:みらい.N