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約束~リラの花の咲く頃に~・再会編Ⅲ

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 莉彩の代わりに自分を鞭打てと言ったときのあの男の涙。
 ああ、私は何という不謹慎な女だろう。
 現代へ戻る覚悟をしたというのに、こうして、あの男のことばかり考え、思い出している。
 その時、莉彩の耳を聞き慣れた声が打った。
「そなたは、いつも私に何も告げずに一人でゆくのだな」
 最初、莉彩は空耳かと思った。あまりにあの男の面影ばかり追っているから、そのせいで幻の声が聞こえたのかと思ったのである。
 だが、思わず振り向いた莉彩の瞳に映ったのは、やはり大好きなあの男の姿だった。
 徳宗が莉彩に向かって歩いてくる。
「莉彩、行くな。そなたなしで、私はこれからどうやって生きてゆけば良い?」
 振り絞るような悲痛な声に、莉彩は泣きたくなる。
「莉彩、お願いだ、何か言ってくれ」
 莉彩の眼に涙が盛り上がり、その頬をしとどに濡らした。
 最後くらいはせめて笑っていたい、大好きな男にとびきりの笑顔を残してゆきたい―、そう思って無理に微笑もうとしたが、それは失敗に終わった。泣きながら微笑んだ莉彩の表情は、奇妙な泣き笑いの顔になってしまった。
 そのときの莉彩の哀しげな微笑を徳宗は長く忘れることはなかった。
 莉彩が両手を胸の前で組み合わせ、座って頭を垂れる。更にもう一度、手を組んだままで立ち上がり深々と頭を下げた。
 国王に臣下が取る最高の敬意を表す礼である。徳宗にも莉彩の別れの覚悟がひしひしと迫った。
「―!」
 徳宗が声にならない声を上げた。
 徳宗の眼に映る莉彩の身体が揺らぎ、薄れ始めたのだ。
 二人を隔てているはずの時が動き始めたのが莉彩にも徳宗にも判った。
 莉彩の身体はますます薄くなり、今にも月明かりに透けて夜陰に溶けてしまうのではないかと思うほどになった。
「待っている、私はいつまでもそなたを待っている。たとえどれだけ離れていようと、私の心はいつもそなたの傍にある」
 それでも、徳宗は薄れゆく莉彩に向かって語り続けた。
「お別れにございます。どうか、聖君と呼ばれる立派な王におなり下さい」
 莉彩は想いのたけを込めて言った。
 その言葉が王に届いたかどうかは判らない。
 いきなり水底に引っ張り込まれるような感覚がして、莉彩の意識はスウと暗闇に呑み込まれた。それは、四ヵ月前、十年ぶりに時を飛んでこの時代に来たときに比べれば、はるかに楽だったといえるだろう。
 もっとも楽―というよりは、莉彩の意識はすぐに定かではなくなってしまい、苦しいとか何かを感じる余裕はなかったのだ。
 だが、莉彩の身体が完全に消える寸前、徳宗の懸命な声だけは確かに彼女に聞こえた。
―そなたが私に逢いたいと思った時、私を呼べ。私はそなたが心から望めば、いつでもここに来る。
 徳宗から莉彩に向けた最後のメッセージだった。
 いつか、きっと、また逢える。
 だから、哀しまないで。
 莉彩は、深い海の底へと落ちてゆく感覚に浸りながら、徳宗に呼びかける。
 自分から離れてゆこうとしているのに、そんな風に言ってしまう自分が矛盾していることも判っている。
 でも、莉彩は半ば予感していた。
 徳宗と自分が再び宿命という名の下(もと)に不思議な縁(えにし)の糸によって引き寄せられ、出逢うであろうことを。
 いつか、また、きっと。
               (了)