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約束~リラの花の咲く頃に~・再会編Ⅲ

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徳宗の寵愛を一身に集める寵姫孫淑容の父となり、孫大監は更に強大な権力、勢力を要するようになった。徳宗を頂く改革派にとって最も強みとなったのは、この大物がそれまで属していた保守派から改革派に乗り換えたことに相違ない。
 孫大監の突然の裏切りともいえる行為に、保守派は浮き足立っている。これまで保守派の結束が固かったのは、孫大監がおり眼を光らせていたからでもあった。政に関しては無能な大妃では、並み居る大臣たちをうまくまとめ、派閥全体の統制を取ることは困難だ。
 保守派の足並みが乱れている今こそ、彼等を叩き潰す千載一遇の好機かと思われたが、徳宗は動こうとはしない。
 やはり、幾ら王であろうと、王朝始まって以来の功臣を輩出してきた名門に対して、必要以上に強硬には出られないということもあった。
 孫大監の養女になったことにより、莉彩は望むと望まぬに拘わらず、歴史に拘わってしまった。時々、ふっと、我が身のなしたことの怖ろしさに身の竦む想いがする。
 だが、その度に淑妍の言葉を思い浮かべ、新たに胸に刻むのだった。
―歴史や時代なぞ、どうでも良い、そなたには関わりなきことだと割り切りなさい。私が思うに、歴史はあくまでも人が作ってゆくものです。そなたが生きていたはるか未来では、私たちが生きるこの時代がどのように語り継がれているかは知りませんが、そなたがここにいることで未来が変わるというのなら、それが結局は、最終的な歴史のあるべき姿ということです。そんな途方もないことを考えるよりは、そなたは一人の女人として生きてゆくことをお考えなさい。歴史がどうこうだと悩むより、人間として後で自分の過ぎ来し方を後悔しない生き方を選ぶのです。
 淑妍のように容易く割り切れるものではないけれど、彼女の言うこともまた道理であった。
 そして、莉彩は歴史の傍観者であることよりも、一人の女として生きてゆくことを選んだ。果たして、その選択が良かったのかどうかなんて、今の莉彩には判らない。ただ一つだけ、はっきりと言えるのは、徳宗の傍にいる道を選び取った自分の生き方を後悔はしないということだけだ。
 だから、今はそれで良いのではないかと思う。淑妍の言うように、歴史は結局、人の生きた道であり、人自身が作り上げてゆくものだ。莉彩が徳宗の後宮に入ったことで歴史がどのように変わったかは、いずれ明らかになることだろう。もし、莉彩が再び現代に戻るとすれば、の話だが。
 不思議なことに、莉彩は自分がいつかはまた二十一世紀に戻るだろうと薄々察していた。いや、本音を言えば、戻りたくない。しかし、幾ら莉彩がどうあがこうと、多分、〝その瞬間(とき)〟は必ず来る。自分と徳宗が何か人知の及ばない摩訶不思議な力で引き寄せられるというのなら、また、その逆に別離も避けることはできないのではないだろうか。
 めぐり逢っては別れ、また引き寄せられるようにして出逢い、別れる。恐らくは、それが自分たちの宿命(さだめ)に違いない。あまりに哀しい運命だとは思うけれど、それでも、莉彩は徳宗とめぐり逢えて良かったと思う。最愛の男と出逢わせ、結びつけてくれた不思議な縁(えにし)に心から感謝しているのだ。
 だが、己れの胸に浮かんだこの想いを徳宗に伝えるつもりはない。こんなことを告げても、徳宗を傷つけ哀しませるだけであろうことが判っているからだ。
 莉彩の胸中を知ってか知らずか、王が嘆息混じりに笑った。
「満ちた月を見る度、予はそなたがまたいなくなってしまうのではないかと不安でたまらぬのだ」
 そう言ってから、王は照れたような表情になった。
「こんなことを申せば、童のようだとそなたに笑われてしまうだろうか」
「いいえ」
 莉彩は微笑んだ。
 十年前、莉彩がこの時代から元いた現代に帰ったのも満月の夜だった―。王はそのことを言っているのだ。
 いつになるのか、別れがいつ訪れるのか。それは誰にも判らない。莉彩も王も二人ともに別れの予感に怯えながら、それでも、どちらからも口に出さないでいる。口にしてしまえば、別離がすぐに訪れてしまうような気がして、王も莉彩も極力、その話題は避けていた。
「殿下のお好きな香草茶でもお淹れ致しましょう」
 莉彩は務めて明るい声音で言い、準備を始めた。あの淑妍直伝の香草茶は徳宗のお気に入りでもある。
 莉彩は王のために淹れるときには、特に心を込めて淹れるようにしていた。いつも淑妍の教えを思い出し、茶葉が開き切るまでゆっくりと辛抱強く待つ。
 ほどなく急須から芳しい香りが立ち上り始めた。莉彩の味覚からいえば、どこなくハーブティに似た味がする不思議な風味のお茶である。小卓の上に並んだ湯呑みに香草茶を手早く注ぐ。
 茶葉が完全に開くまでは刻をかけねばならないが、一旦、開き切ったら、すぐに湯呑みに移さないと今度は苦みが出るのだ―、淑妍はそうも言った。
 王は小卓に並んだ湯呑みを手に取り、味わうようにまずひと口含む。ふた口めからは喉を鳴らしていかにも美味そうに呑むのが常だ。
「莉彩の淹れる香草茶は格別だな」
 王はしみじみと呟き、空になった湯呑みを卓に戻した。莉彩が呑み終えるのを待っていたように小卓を脇に押しやり、両手を差し出す。
―ここへおいで。
 そう言われているのが判り、莉彩は頬を染めながらも王の胸にもたれかかり広い胸に頬を寄せた。
「莉彩、予は、いずれ、そなたを中殿として迎えようと思う」
 刹那、莉彩は我が耳を疑った。
「殿下(チヨナー)、今、何と仰せになられました?」
 愛する男と共にいる幸せに浸っていた莉彩は弾かれたように顔を上げた。
「何度でも言うぞ。予はそなたを王妃に、中殿に直したいと考えている」
「なりませぬ、殿下」
 莉彩は懇願するように言った。
「何故? そなたは中殿としての十分な器だと思うが」
「いつかも申し上げましたように、私は殿下のお側にこうしていられるだけで良いのです。他に何も望みはしません。淑容の地位を賜っただけでも畏れ多いのに、この上、中殿など、あまりに分不相応な立場に身が竦みそうになります」
 王が破顔した。
「大抵の女なら、予がこう申せば、ここぞとばかりにねだり事をしてくるものだが」
 更に含み笑いをしながら付け加えることも忘れない。
「もっとも、予は、そなたのそんな欲のない慎ましやかさが好きなのだ」
 莉彩の頬がうっすらと染まる。
「殿下、お願いでございますゆえ、先刻のようなお話は二度となさらないで下さいませ」
 なおも訴える莉彩の髪を愛おしげに撫で、王がしきりに首をひねる。
「つくづく欲のないおなごだな」
 そう呟く王の横顔は、心なしか憔悴の色がありありと見えた。
 既に夜半過ぎ、室内は龍が浮き彫りにされた国王専用の蝋燭が赤々と燃えている。が、王の顔色が悪いのは、その光の加減だけではないようだ。
「殿下、今宵はお顔の色が優れませんが、お疲れなのではございませんか?」
 莉彩はずっと気になっていたことを口にした。本当を言うと、今夜だけではない、ここひと月ばかりの間で、王は随分とやつれた。
 ひと回り痩せたようで、頬の肉が落ちた。元々美しい男なので、やつれた様もまた凄みの加わった美貌ともいえるのだが、莉彩はやはり王の健康状態が気になった。