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約束~リラの花の咲く頃に~・再会編Ⅱ

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「ところで、莉彩。そなたは、私が来るまで何をしていたのだ?」
 王が話題を変えたがっているのを知り、莉彩もまた微笑んだ。
 背後の小机を振り返り、立ち上がる。机の上に載っていた小さな紙片を手にしてくると、再び王の傍に座った。
「これをご覧下さいませ」
「うん? これは何だ」
 王が興味深げに紙片に見入る。
 莉彩は脇から説明した。
「押し花にございます。実際に咲く生きた花をきれいなままの形で残しておくことができます。つまり、生花を分厚い本などの間に挟み込み、水気が無くなってしまうまで完全に乾燥させるのです」
「この花は、りらの花ではないのか?」
 博識家としても知られる王は、また何に関しても好奇心旺盛だ。莉彩に対しても、疑問に思うことは何でもすぐに質問してくる。莉彩もまた自分の知る限りにおいて、できるだけ正しくかつ丁寧に応えるように心がけていた。
「おっしゃるとおりです」
 莉彩が頷くと、王は膝を打った。
「なるほど、そなたも考えたものだな」
 ひと月前、再びこの時代に現れた時、莉彩はリラの花束を持っていた。それを見た王が莉彩に言ったことがあったのである。
―りらの花をこの国で栽培することはできぬであろうか。
 莉彩は園芸には詳しくないが、この時代の朝鮮でもライラックを栽培することは全く不可能というわけではないだろう。
 が、莉彩は真顔で王に首を振った。
―殿下、それはなりません。
―何故?
 怪訝そうな表情の王に、莉彩は真摯な眼を向けた。
―この時代の朝鮮において、リラの花は存在しません。私が知る限り、リラの花がこの国に伝来するのは今から少なくとも百五十年近くは後のことになります。この時代にはない植物を今、私が持ち込めば、歴史が変わります。それは絶対にあってはならないことなのです。
―では、今しばらくは、りらの花は幻の花でなければならぬのだな。
―さようにございます、殿下。
 王は賢明な人だ。それだけのやり取りで、莉彩の意図を充分に察してくれた。
 莉彩が時を越えて、この時代に滞在する際、最も気をつけている点でもある。けして、歴史に関与しないこと。
 もっとも、厳密にいえば、こうして未来人の莉彩が後に歴史上に足跡を残すことになる徳宗と一緒にいることだけでも、はや歴史に拘わっていることになるのだけれど。
 自分の愛した男が国王でなければ、良かったのに。そんな時、莉彩は心底そう思った。
 徳宗が町中で見かける職人や商人であったなら、莉彩もまた現代と決別して、愛する男とこの時代で生きてゆく覚悟もできる。たとえ名を知られることもなく歴史の底に沈んでいったしても、愛する男と二人、市井の片隅でひっそりと生涯を送るのも悪くはないだろう。
 だが、それは所詮、見果てぬ夢であった。
 徳宗といる限り、莉彩は歴史や時代の流れと無関係ではいられない。莉彩自身がどれほどちっぽけな存在だとしても、朝鮮国王の傍にいて、その寵愛を受ければ、莉彩は王の妃となる。その時点で、徳宗の後宮にいるはずのない女が王の傍に侍ることになり、歴史が本来あるべき姿から形を変えてしまうのだ。
 それだけは絶対に避けねばならない。タイムトラベラーとしての最低限のマナーでありルールであった。
 リラの花を朝鮮全土にひろめたい―、王の願いを受け容れられなかった莉彩がせめてその望みを少しでも叶えたいと思いついたのが、花を押し花にして残すという方法だった。
「殿下、これはどうか殿下がお持ち下さい」
 莉彩はリラの花を押した紙片を王に差し出した。
「ご書見になる際、栞として本の間に挟んでお使いになって頂けば良いのではないでしょうか」
 王が受け取った紙片をじいっと眺めた。
 咲き誇っていたときほど色鮮やかというわけにはゆかないが、それでも紙に閉じ込められた可憐な花は淡い紫を充分にとどめていた。
「どうなさいましたか? お気に召しませんでしたか?」
 淡く笑んだ莉彩を王の逞しい腕が引き寄せた。
「莉彩、私は怖ろしい」
「―」
 何も言えないでいる莉彩の背に手を回し、王は低い声で言った。
「そなたと共にいればいるほど、私はそなたをますます愛するようになってゆく。だが、そなたはいつかまた、十年前のあのときのように私の傍からいなくなってしまうのだろう―。その時、私は、どうすれば良いのか」
「殿下、私は」
 口を開きかけた莉彩の顔を両手で挟み込み、王がその花のような唇を奪った。
 しっとりとした感触の後、唇は一旦は離れた。
「莉彩、口を開いてくれ。せめて唇だけでも私を受け容れて欲しい」
 かすかに開いた莉彩の唇の隙間から、王は舌を挿し入れる。逃げ惑う莉彩の舌に熱い舌が絡み、濃厚な口づけが続いた。
 唇は離れたかと思うと、またすぐに角度を変えて重なった。唾液と唾液が混じり合い、互いの温度が高くなる。
 これほどの深いキスを莉彩はまだ一度も経験したことはなかった。大体、初めてのキスそのものが王と十年前に交わしたときで、あれ以降、王以外に唇を許した男はいなかったのだ。
 だが、今回のキスは最初とは比べものにならないほど熱く濡れていた。
 あまりにも延々と続く口づけに、莉彩が息苦しさにむせた。
 小さく咳き込む莉彩が胸を押さえていると、王が薄く笑った。
「莉彩は初(うぶ)なのだな。口を吸うときは、ほら、こうやって鼻で息をするのだ」
 〝もう一度、やってみよう〟、王のいつになく濡れた声が耳許で囁き、莉彩はその吐息が耳朶に触れる感触に、妖しい得体の知れぬ震えが走るのを感じた。
 それは莉彩が初めて感じる不思議な感覚だった。
 戸惑う暇もなく、再び王の顔が近づき、唇が重なる。今度は教えられたとおり、鼻で息を吸うようにしたので息苦しさはあまり感じない。
 再び唇が離れた後、王が呟いた。
「今は何も言うな」
 莉彩の眼から、ほろりと涙が落ちる。
「どうした、やはり、厭だったのか?」
 王が愕いたように眼を見開き、かすかに眉を寄せた。
 莉彩は涙を零しながら、それでも無理に微笑みを浮かべようとする。
「私、何て言ったら良いのか判らないけれど、でも、幸せで―」
 王は笑みを返そうとはしなかった。その代わりに莉彩に近づき、大きな手を伸ばして髪に触れる。
「莉彩は相変わらずねんねだ。見かけは見違えるほど大人びたし、口づけは十年前より上手くなったのにな」
 王の声が優しく囁きかける。
「殿下、私ももう殿下のお側を離れたくはありません。ずっと、殿下のお側にいたい」
 莉彩は涙ぐんで王を見上げた。
「たとえ父や母のいる時代に帰れなくなったとしても?」
 その問いかけにも、莉彩は躊躇わなかった。
「はい」
 王がハッとした表情になり、莉彩を燃えるようなまなざしで見つめた。
 その瞳の奥で烈しい恋情の焔が燃え盛っている。激情のままに王は莉彩を強く抱きしめ、再び、狂おしく唇を貪った。
 こんなに好きなのに、傍にいたいのに、いつかまた離れなければならないのだろうか。
 何故だろう、その時、莉彩は愛する男の腕に抱かれて幸せなはずなのに、涙が止まらなかった。

 その翌日の昼下がり。