第七章 『大(オオ)顎(アギトノ)真(マ)神(ガミ)』
週初めの月曜日、ハッカは学校に渋々行った。変色した髪と眼をあまり人目に晒したくなかったからだ。しかし唐鍔牧師はそれを許さなかった。一度休めばずるずると管を巻き次から行けなくなると主張するからだ。代わりに永久が学校までついて行ってくれた。
学級担任の先生に警戒心を抱かせない柔和な笑顔で、素直に自分が教会の執事だと伝え、一人暮らしを余儀なくされているハッカの面倒を見ている、と包み隠さず端的に答えた。そして服用したステロイド剤がアルビノ体質に反応して副作用が出てしまった、脱色以外に問題はないが学校にいる間は注意してあげて欲しい、と自身の連絡先が記された名刺を丁寧に渡した。
担任の二〇代後半の女性教師はなにやら永久を見てうっとりしていた。
そうして堂々と正面入口から入った永久は、来た道を悠然と引き返しながら学校を出ていった。ハッカは教室前の廊下の窓から、玄関から正門へ向かう永久を見下ろした。男子も女子も、初等部生徒から高等部生徒まで、みな片眼を隠した少年に釘づけだった。学校という隔離された世界では、外来者は奇異の眼に晒されるのは常だ。しかしそれ以上に永久が注目を集めるのはその眉目秀麗な面差しと全身にまとう玄妙な佇まい故だろう。
彼が必要以上に悪目立ちしてくれたおかげで、ハッカが目立つことはなくなった。
正門を抜けたところで、永久は背後の視線に気づいたのは、見返ってハッカに手を振った。
「もう……」
唐鍔牧師にしても永久にしても、どうしてこうもお節介焼きなんだよ。
ハッカは窓辺に溜息を吐いた。
そうしてやっと、学校が終わった。それほど学級の中でも注目を集める子供(タイプ)ではなかったハッカだったが、さすがに授業が始まっても帽子を被り続けたままで、かつその隙間からは純白の毛髪がのぞいていてはやはり気にならないほうが難しい。永久のフォローもあったが、やはり神経を使う。
そんな疲れ果てた放課後のことだった。不意に、携帯の着信ベルが鳴った。
「永久クンだ」
携帯の液晶画面には、そのものずばり〝永久クン〟と映し出されている。
「もしもし永久クン?」
『ああ、麦ちゃん。学校はもう終わってるよね?』
「うん、まぁ」
『今そっちに向かってるんだ、あと一〇分くらいで着くと思う』
「ホントに!?」
『だからどっかわかりやすい場所に立っててよ。正門とかさ──あ、もう信号変わったから切るね、じゃ』
「あっ、ちょっと永久クン!?」
ツー、ツー。
いきなり電話をかけてきたかと思えば、いきなり切られてしまった。
「なんだよ、もう」
一〇分。なにかするには短過ぎる時間だが、待つとなると微妙な長さだ。けれど迎えに来てくれているのに無視するなんてあまりにやぶさかだ。ハッカは正門入口の外側、銅製の表札の横で待つことにした。
「はぁ」
やはり何かを待つ時のこの独特の時間の流れは堪えがたいものがある。ハッカはその場にしゃがみ込み、膝に顔を載せた。
「…………………………………………、」
なにか、気配のようなものを感じる。いや、それは気配というにはあまりにもお粗末な……例えるなら自分から声をかける勇気のない子犬がくんくん鼻を鳴らして訴えかけてくるような、そんな……。
「……ハッくん、だよね?」
「はっ──!」
小声が聞こえてきた瞬間、咄嗟にハッカは顔を上げた。
「あうっ! あっ、やっぱりハッくんだ!」
『だから言ったであろう、俺様の鼻にまかせていれば百発百中だと』
そこにいたのは、ハッカがもっとも苦手とする人物──三千歳儚と、
「また駄犬サマかよ」
その守り神大(オオ)顎(アギトノ)真(マ)神(ガミ)だった。
「ど、どうしたの、ハッくん……その御髪、まっ白だよ。あっ、お眼々の色も変わってる!!」
キャッキャウフフと騒ぎ立てる儚に対して、ハッカはあからさまに表情を歪ませ不快をあらわにする。
初等部校舎に来ているということは、どうやらまたイジメられたのか。ボサボサにのびた前髪で隠した顔に、制服にはいくつもの縫った跡が残っている。相も変わらずみすぼらしい身成だと、ハッカは蔑みの眼差しを向けた。
「ハッくん今日ね、今日ね!」
「うるさい! どっか行け!」
「でもね、でもねハッくん!」
ああっ、糞! 埒が明かない。
さりとてこのポンコツ犬神憑き女はハッカがどれだけ罵ろうとプラスにしか受け取れないドMなポレアンナ症候群患者だ。
逃げればついてくるし、こんな女の飯事につき合う気などもうとうない。永久が来ればおそらくついてくることもないだろうが、こんな知り合いがいることを永久に知られたくない。
「ねぇハッくん、ねぇハッくん」
「なぁ儚、鬼ごっこしないか」
「鬼ごっこ?」『ほう、隠れ鬼か』
儚と真神が同時に言う。
「そう。やるだろ?」
「うん、やるやる!」
よし、かかった。
「じゃあオマエが最初に鬼をやれ」
「うん♪」
そうして儚は壁にもたれかかった。
「じゃあ数えるね。いーち、にーい、さーん」
「ばーか」
数を数える儚の言葉に合わせてハッカは冷罵を浴びせ、そのままそっとこの場を離れる。
──まったく、こんなのに構っていられるか。
永久には正門で待っているように言われていたがこのまま歩いていればどこかでぶつかるはずだ。そう思い軽い強歩で進んでいた、その時だった。数メートル先のポストの陰に、何やら人影らしきものを見つけた。
「あ、しまった」
明らかに見覚えのある顔が、一瞬見えて隠れた。
ハッカはポストに駆け寄った。
「永久クン!」
「あ、あははは……執事(かせいふ)は見ちゃったって、やつ?」
「見てたの?」
「う~ん、まあ大体?」
「一部始終?」
「う~ん、まあ大体一部始終、かな?」
「サイアク、趣味悪ッ!」
ハッカは永久を置いて一人で歩き出す。
「ああ、もう拗ねないでよ。悪気はなかったんだから」追いかける永久。
「別にスネてないし」
「ああ、待ってよ、置いてっていいの、あの娘」
「いいだよ、あんなやつ」
「そういうの好きじゃないなー」
「ホストやってる八方美人に言われたくないよ」
「もうわかったからさ、一人で行かないでよ。今日は歩きじゃないんだから」
「え?」
とハッカが振り返ると、永久の隣には大きな黒いスクーターが停車されていた。
「ヤマハ──マグザム。どう、かっこいいだろ?」
「これ永久クンのなの?」
「いんや、ホスト仲間の。借りてきた」
「だから急に電話を切ったのか」
「ごめんごめん、この後すぐに開店準備だからさ、急いでるんだ。乗り方、わかるだろ?」
「う、うん。そういえば永久クン、免許持ってたんだね。……あれ、たしかバイクの免許って一六からじゃ──」
「麦ちゃん、俺たち未成年は少年法で罪にはならないんだよ」
「え? いやでもそれ触法じゃ──」
「はい、ヘルメット」
永久から半キャップヘルメットを渡される。
「まあ白バイが相手じゃない限りこのバイクじゃ軽く逃げられるから。気にしない気にしない」
唐鍔牧師といい永久といい、常識を疑う人ばかりだ。本当に信用していいものか、今更ながら悩んでしまうハッカであった。
† † †
「うああ……永久、お願いだ~わたしを殺してくれ~」
学級担任の先生に警戒心を抱かせない柔和な笑顔で、素直に自分が教会の執事だと伝え、一人暮らしを余儀なくされているハッカの面倒を見ている、と包み隠さず端的に答えた。そして服用したステロイド剤がアルビノ体質に反応して副作用が出てしまった、脱色以外に問題はないが学校にいる間は注意してあげて欲しい、と自身の連絡先が記された名刺を丁寧に渡した。
担任の二〇代後半の女性教師はなにやら永久を見てうっとりしていた。
そうして堂々と正面入口から入った永久は、来た道を悠然と引き返しながら学校を出ていった。ハッカは教室前の廊下の窓から、玄関から正門へ向かう永久を見下ろした。男子も女子も、初等部生徒から高等部生徒まで、みな片眼を隠した少年に釘づけだった。学校という隔離された世界では、外来者は奇異の眼に晒されるのは常だ。しかしそれ以上に永久が注目を集めるのはその眉目秀麗な面差しと全身にまとう玄妙な佇まい故だろう。
彼が必要以上に悪目立ちしてくれたおかげで、ハッカが目立つことはなくなった。
正門を抜けたところで、永久は背後の視線に気づいたのは、見返ってハッカに手を振った。
「もう……」
唐鍔牧師にしても永久にしても、どうしてこうもお節介焼きなんだよ。
ハッカは窓辺に溜息を吐いた。
そうしてやっと、学校が終わった。それほど学級の中でも注目を集める子供(タイプ)ではなかったハッカだったが、さすがに授業が始まっても帽子を被り続けたままで、かつその隙間からは純白の毛髪がのぞいていてはやはり気にならないほうが難しい。永久のフォローもあったが、やはり神経を使う。
そんな疲れ果てた放課後のことだった。不意に、携帯の着信ベルが鳴った。
「永久クンだ」
携帯の液晶画面には、そのものずばり〝永久クン〟と映し出されている。
「もしもし永久クン?」
『ああ、麦ちゃん。学校はもう終わってるよね?』
「うん、まぁ」
『今そっちに向かってるんだ、あと一〇分くらいで着くと思う』
「ホントに!?」
『だからどっかわかりやすい場所に立っててよ。正門とかさ──あ、もう信号変わったから切るね、じゃ』
「あっ、ちょっと永久クン!?」
ツー、ツー。
いきなり電話をかけてきたかと思えば、いきなり切られてしまった。
「なんだよ、もう」
一〇分。なにかするには短過ぎる時間だが、待つとなると微妙な長さだ。けれど迎えに来てくれているのに無視するなんてあまりにやぶさかだ。ハッカは正門入口の外側、銅製の表札の横で待つことにした。
「はぁ」
やはり何かを待つ時のこの独特の時間の流れは堪えがたいものがある。ハッカはその場にしゃがみ込み、膝に顔を載せた。
「…………………………………………、」
なにか、気配のようなものを感じる。いや、それは気配というにはあまりにもお粗末な……例えるなら自分から声をかける勇気のない子犬がくんくん鼻を鳴らして訴えかけてくるような、そんな……。
「……ハッくん、だよね?」
「はっ──!」
小声が聞こえてきた瞬間、咄嗟にハッカは顔を上げた。
「あうっ! あっ、やっぱりハッくんだ!」
『だから言ったであろう、俺様の鼻にまかせていれば百発百中だと』
そこにいたのは、ハッカがもっとも苦手とする人物──三千歳儚と、
「また駄犬サマかよ」
その守り神大(オオ)顎(アギトノ)真(マ)神(ガミ)だった。
「ど、どうしたの、ハッくん……その御髪、まっ白だよ。あっ、お眼々の色も変わってる!!」
キャッキャウフフと騒ぎ立てる儚に対して、ハッカはあからさまに表情を歪ませ不快をあらわにする。
初等部校舎に来ているということは、どうやらまたイジメられたのか。ボサボサにのびた前髪で隠した顔に、制服にはいくつもの縫った跡が残っている。相も変わらずみすぼらしい身成だと、ハッカは蔑みの眼差しを向けた。
「ハッくん今日ね、今日ね!」
「うるさい! どっか行け!」
「でもね、でもねハッくん!」
ああっ、糞! 埒が明かない。
さりとてこのポンコツ犬神憑き女はハッカがどれだけ罵ろうとプラスにしか受け取れないドMなポレアンナ症候群患者だ。
逃げればついてくるし、こんな女の飯事につき合う気などもうとうない。永久が来ればおそらくついてくることもないだろうが、こんな知り合いがいることを永久に知られたくない。
「ねぇハッくん、ねぇハッくん」
「なぁ儚、鬼ごっこしないか」
「鬼ごっこ?」『ほう、隠れ鬼か』
儚と真神が同時に言う。
「そう。やるだろ?」
「うん、やるやる!」
よし、かかった。
「じゃあオマエが最初に鬼をやれ」
「うん♪」
そうして儚は壁にもたれかかった。
「じゃあ数えるね。いーち、にーい、さーん」
「ばーか」
数を数える儚の言葉に合わせてハッカは冷罵を浴びせ、そのままそっとこの場を離れる。
──まったく、こんなのに構っていられるか。
永久には正門で待っているように言われていたがこのまま歩いていればどこかでぶつかるはずだ。そう思い軽い強歩で進んでいた、その時だった。数メートル先のポストの陰に、何やら人影らしきものを見つけた。
「あ、しまった」
明らかに見覚えのある顔が、一瞬見えて隠れた。
ハッカはポストに駆け寄った。
「永久クン!」
「あ、あははは……執事(かせいふ)は見ちゃったって、やつ?」
「見てたの?」
「う~ん、まあ大体?」
「一部始終?」
「う~ん、まあ大体一部始終、かな?」
「サイアク、趣味悪ッ!」
ハッカは永久を置いて一人で歩き出す。
「ああ、もう拗ねないでよ。悪気はなかったんだから」追いかける永久。
「別にスネてないし」
「ああ、待ってよ、置いてっていいの、あの娘」
「いいだよ、あんなやつ」
「そういうの好きじゃないなー」
「ホストやってる八方美人に言われたくないよ」
「もうわかったからさ、一人で行かないでよ。今日は歩きじゃないんだから」
「え?」
とハッカが振り返ると、永久の隣には大きな黒いスクーターが停車されていた。
「ヤマハ──マグザム。どう、かっこいいだろ?」
「これ永久クンのなの?」
「いんや、ホスト仲間の。借りてきた」
「だから急に電話を切ったのか」
「ごめんごめん、この後すぐに開店準備だからさ、急いでるんだ。乗り方、わかるだろ?」
「う、うん。そういえば永久クン、免許持ってたんだね。……あれ、たしかバイクの免許って一六からじゃ──」
「麦ちゃん、俺たち未成年は少年法で罪にはならないんだよ」
「え? いやでもそれ触法じゃ──」
「はい、ヘルメット」
永久から半キャップヘルメットを渡される。
「まあ白バイが相手じゃない限りこのバイクじゃ軽く逃げられるから。気にしない気にしない」
唐鍔牧師といい永久といい、常識を疑う人ばかりだ。本当に信用していいものか、今更ながら悩んでしまうハッカであった。
† † †
「うああ……永久、お願いだ~わたしを殺してくれ~」
作品名:第七章 『大(オオ)顎(アギトノ)真(マ)神(ガミ)』 作家名:山本ペチカ