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山本ペチカ
山本ペチカ
novelistID. 37533
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ウロボロスの脳内麻薬 第五章 『懺悔ホストクラブ祈り屋』

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「つまりだ、この世界は眼に視える世界と視えない世界の二種類でできてるってことだ。そして眼に視えない心ってやつは、虚数領域──所謂プランクスケールにあるんだよ。この本の著者はな、現実と空想を明確な概念と数字で分かつことができるのなら、きっかけさえあたえればこの二つを自由に置き換えられると考えているんだ」
「だからどんな願いも叶うって? バカだよ、そんな」
 子供の理屈だ。と、ハッカは呆れた。
「と、普通は思うところだ。しかし麦村、お前は現に一度現実から姿を消し、再び戻ってきているんだぞ」
「──あ」
 そうだった。記憶を取り戻した今ならはっきりわかる。そう、ハッカは《セカイの果て》へ肉体ごとシフトし、そこから生還してきているのだ。
 ということは《セカイの果て》は虚数の、無意識領域にあるということか。
「虚数と実数の行き来には〝確率共鳴場〟という特殊な空間を触媒にする必要がある」
「かくりつ、きょうめい?」
「わからないのか? さっきまでお前がどっぷり浸かっていた砂嵐(ホワイトノイズ)の空間のことだよ。
 確率共鳴現象自体は主に脳が海馬から記憶を抽出する際に誰の頭の中でも起こっている。専門用語ではカオスニュートラルネットワークって言うんだがな?
人は電気信号で動いていると言うが、実際はコンピューターみたく零か一かの単純なものじゃない。強弱様々なパルスが入り乱れているんだ。脳はその複雑なパルスを解析するために、あえてランダムノイズという不規則な信号を流す。すると高度に暗号化していた情報はわかりやすく紐解かれる。コンピューターでいうところの暗号メールの解析や、圧縮されたファイルの伸張・解凍みたいなものだ」
「え、ええとつまり……?」
「いいかい麦ちゃん、人の思考や思念ってのは酷く曖昧でそれ単体じゃ実体化させるのはとても難しいんだ。だから確率共鳴場を使ってプランクスケールにある雑多な意識を抽出してちゃんとした形に整えなきゃいけないんだよ」
「けれどその確率共鳴場も完璧じゃない。あくまで空想と現実の媒(なかだち)をするだけで、完全に空想を現実にはしきれない。だから神隠しは起こった。
 実数という現実にいながら虚数という夢を観ている状態。確率共鳴場はそのどちらでもない、文字通りの曖昧(グレー)空間(ゾーン)。故に普通の人間には知覚できない。視えもしないし触れもしない……一切干渉できないことさ」
「ちょっと待ってよ、それおかしいよ。だってさっき社長はぼくを助けてくれた」
「それはだな、麦村」
 と言いかけて、唐鍔牧師はハッカの眼前でパチンと大きく指を鳴らした。
 一瞬眼を瞑ると、そこにはもう彼女はいなかった。消えていたのだ。
 咄嗟、ハッカは首を右左へ何度も見わたし唐鍔牧師をさがした。
「ハッ!」
 まさかと思い天井も見上げた。しかしそこにも彼女はいない。
 ゴトン。
 不意に、エレベーターが動き出した。一回から、最上階の六階に独りでに上昇を始める。
 これはいったい……。
 半円のメーター状に表記された階表示が、今度は最上階からここ一階に降りてきた。
 チーン。
「やあやあお二人さん、お待っとさん」
 気さくにひょうげながら片手を上げて歩み寄ってきたのは消えたはずの唐鍔牧師、その人だった。
「え……、ちょっ、え!?」
 ハッカは唐鍔牧師がいたソファーとエレベーターとを何度も見直した。仮に階段で上がったとしても階段はエレベーターのすぐ横。そこまで行く間の距離で絶対に気づく。
「時間を止めた……、の?」
「莫迦か。そんなの人類ヒト科にできてたまるかよ。が、いい線いってるよ。わたしはな、さっきこの部屋の空間密度をぎゅっと圧縮して時間の流れを遅くしたんだ」
 きょとんとするハッカ。
「ニュートンの第三法則、って言ってもわかるわけないか。莫大な質量を持った物体の近くの時間は止まりこそもちろんしないが、流れが遅くなるんだ」
「つまり?」
「〝この部屋を一〇分の一の大きさに縮めたら、時間も一〇分の一になった〟──みたいなカンジでいいですかね、牧師(センセイ)」
「その説明も大概だが……、まぁ意味としては間違っちゃいない」
「そんなことが人間に……」
「できるんだよこれが、〝量子凝縮使い(オズ=ライマン)〟には」
「オズ……?」
「空間を構成する量子の密度を高め、時空間に干渉する人間──とでも言えばいいのか、としか言いようがないのか」
〝はてさて〟とうんざりするように唐鍔牧師は肩をすくめた。
「おかげて年齢(とし)はいつまで経っても取らないわ、宙には浮けるわ、何もないところから妙チクリンな物質を創り出せるわで、もう人外もいいとこで困っているんだが」
「いや、それちょっと万能じゃないですか。未来道具いらずなくらい」
「莫迦言え、莫迦。この莫迦。わたしはなアルジャーノンよりはるかにタチの悪い化物なんだよ。だが確率共鳴場の中じゃ、量子の観測定義がみんなアルジャーノン側に持ってかれるからあまり役には立たんがな……。それでもこいつのおかげで神隠しのアルジャーノンを見つけることができた」
「じゃあ、もしかしてそれ永久クンにも?」
「ああ、俺はナイナイ」顔の前で手を振る。「牧師(センセイ)とは違うけど、似たようなものではあるかな、一応」
「この本は事件とほぼ同時期に送られてきた。こいつが何を意味してるかわかるか?
 送り主はな、わたしたちが普通じゃないってわかって寄越したんだよ。わたしたちにしか事件をどうにかできないって。
 こいつはな、挑戦状だ。わたしと永久に対してじゃない、この祈り屋に売られた喧嘩だ!
 宗教はファッションじゃない、パッションだ! 舐められたら終わりだ! 売られた喧嘩はノシつけて返すのが道理ってもんだろう!
 なあ、カレルレン?」
「カレルレンッ!?」
 訊き返された唐鍔牧師は『ウロボロスの脳内麻薬』の表紙隅を人差し指で小突いた。
 その先にあるのは、著者名──Karellen the Overlordの文字。