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山本ペチカ
山本ペチカ
novelistID. 37533
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太歳頭上動土(たいさいずじょうどうど)

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 私は卓(ちや)袱(ぶ)台(だい)に載ったそれを見詰めながら一口酒を煽る。
「…………」

 私は、礦(こう)石(せき)ラヂヲを、持つて歸(かえ)つて、しまつた。

 これは死者の声を、幽霊の怨嗟を聞くものなのだろうか。しかし昨夜は確かに母の声を聞いた。これは過去の音を聞くものではなかったのか?
 わからない。
 だがあの子供の啜り哭く声を聞いてしまっては、もうこの鉱石ラヂヲを使う気は、起こりそうにない。
 ああ、しかし焦がれる。
 またあの優しかった母の声が聞きたい。声に包まれていたい。
 そんな葛藤をしている間に時間ばかりが無為に流れる。気付けば日付が変わってそこそこの時間が経とうとしていた。
 もう酒はとうに切れてしまっているのに、寝つけなくて苛立っている時だった。またあの鉱石ラヂヲが独りでにスイッチを入れて音を垂れ流す。
灯りを消して世界に緞帳を落としたが如く静まり返った我が家では、小さな物音ひとつ、それこそ家鳴りが少し軋んだだけでも酷く耳に気障りで、寝ていても眼を醒ましてしまうというのに、寝られずに研ぎ澄まされた神経は、ああこんなにもよく聞こえてしまう。
 私は堪らずスイッチを切った。
 けれどまたすぐにスイッチが点く。
 また消す。
 またまた点く。
 またまた消す。
 またまたまた点く。
 その繰り返し、その堂々巡り。
 壊してしまおう。
 それしかない、きっと。
 縁側に立って庭の地面へ叩きつけようとしたその時だった。
 高い、女の声がした。
 私は咄嗟にイヤホンを耳へと押し入れた。
「…………」
 女の嬌声だ。
 一も二もなくにべもなく、私は縁側の廊下沿いにある寝室の前に立った。私の寝室にではない、母の寝室の前にだ。
 矢張りだ。この声は、この部屋から聞こえてくる。

此の聲は母の喘ぎ聲で、今母は父に抱かれてゐるのだ。

 私の母は、所謂内縁の妻というやつだった。この家も、父が母に宛てがったものだ。父は月に二度ほど、この家へ母を抱きに来た。
 幼い頃催して厠(かわや)へ行こうとこの廊下を歩いている時遭遇したのだ、父と母の情事に。
 狂おしいほどに妬ましい。
 この薄い障子がとんでもなく厚く感じてしまう。
 母が病に伏せると、父は私たち母子(おやこ)を見捨ててしまった。晩年、母は父の話ばかりしていた。
 私はその話を聞くのが堪らなく厭だったのを、今でも覚えている。
 かたりと障子戸へ手をかける。
 私はもう子供ではない。餓鬼(こども)ではないのだ。
 そしてここの家主は私だ。
 そう決意して戸を勢いよく開けようとした時だ。
 ばりばりばりばり。
 無数の腕が障子を破って私に襲いかかって来た。
 腕らは一瞬で浴衣を剥いで、生白い私の肌に爪を立てた。
 障子の向こう、母の寝室へ引っ張られると、そこには無数の亡者がいた。鬼だ。死霊だ。屍鬼だ。餓鬼だ。
 その亡者たちを統べるように部屋の中心──女の胎のかたちをした孔にいたのは女の鬼だった。
「母だ」と思った。
 母の面影を持った、母の姿かたちをしている鬼だ。いや、あれはきっと死んだ母なのだ。
 私の知っている母ではない。
 引き裂かれ、食われ、私はきっと、母の一部に還ってしまう。
 しかし無数の大きく乾いた音が轟いたかと思うと、腕々は血飛沫を吹き、骸どもは次々に崩れていった。
「魂(こん)天(てん)帰して魄(はく)地(ち)に帰さず、もって鬼と成り羅刹と成る──てか、女将よ?」
 声は背後の庭から聞こえてきた。振り返るとそこには二梃拳銃を構えた虎彦と、煙管を銜えたようこがやおら歩み寄っていた。
「いんや、こいつは魂魄がなせる代物じゃぁないよ」
 二人は土足で縁側から家へ上がり私の両隣へやって来た。
「そもそも六(りく)道(どう)なんて概念そのものが怪しいもんさ」
「ほう」
 虎彦は二十六年式拳銃であごを擦りながら片手に持った十四年式拳銃で残った鬼を撃ち殺していく。
『う……あ、ああ……』
 そして最後に残った虫の息の母に止めの一撃を貫く。
「こいつらは全部こいつのせいさね」
「あっ」
 ようこは私の足元に落ちていた鉱石ラヂヲを拾い上げる。
「あんたわたしの店から勝手に持ち出したね」
「なんだぁ、そいつは?」
「おや、わからないかい、こいつが太歳さね」
 なん……だって……?
「太歳は木星の忌(いみ)名(な)でね、占星術や陰陽道においてはそれ単体では吉なんだが他の星と会合するとみんな悪い意味になっちゃうのさ。それにね──」
 ようこは人差し指と親指で詰んだ太歳をぱきりと潰してしまった。
「不老不死の代名詞だなんて言われちゃいるが、これは同時にそれ以上の厄災が降り注ぐようになってるのさ。西洋の賢者の石然り聖杯然りのね。強過ぎる願いは呪いと同義。人を呪わば穴ふたつってね。はぁ、まったく。四十年も前に作ったものの後始末をさせられるとはね」
 やれやれと、ようこは溜息を吐いて夜空を見上げた。
「今夜は十六夜(いざよい)かい」
 ああ、そうだ。私はこの恐ろしいほどに艶(なまめ)かしい女に、母の面影を重ねてしまったのだ。

 

 其れから私は暫くして小説の單(たん)行(こう)本(ぼん)を上(じよう)梓(し)した。本はそこそこ賣(う)れ、いつしか私は中堅作家としてぼちぼち食へるまでに成つてゐた。
 ただし熟女物の官能小説家として。
 出てくる女は相(あい)變(かわ)はらず、みんなようこだった。