バックスぺース
僕は息の続く限り叫んだ。喉は震えなかった。次は彼女の名前を呼んでみた。暗闇に溶けただけだった。しかし、目の奥に光が届いたような気がした。僕はもう一度、彼女の名を呟いた。虫が呻くような声だったけれど、確かに僕は彼女の名前を呼ぶことができた。
次は僕の中にぎゅうぎゅうに押し込まれていた恐怖たちが顔を出す番だった。僕は叫んだ。それでも、さきほどより大きな声は出ない。そして涙が流れていることに気づいた。今まで何も見えなかったはずの空間に、水の玉が浮いているのがほんのり見えた。
怖かった。どうしようもなく怖かった。僕の愛を受け取って貰えないのが怖くて、彼女からの光が途絶えるのが怖くて、僕は全力で逃げ出した。また一人になれば、こんな恐怖とは無縁だった僕に戻れるのだろうと信じていた。でも本当はどうだ、この気持ちを無くしたくない思いで一杯だったじゃないか。彼女から遠ざかる度、それは見えない力に押しつぶされ、圧縮され、以前より遥かに重く黒くなって僕の中にいたじゃないか。
僕の視界のずっと先に、小さな点が見えた。見覚えのある、青白い光だった。
僕は今までのことを全て忘れたかのように叫んだ。それだけじゃない、走った。凍えかけのこころがじわじわと解凍されていった。雑音が飛び回り、耳鳴りがし始めた。肺が空気を取り込み始めた。息が荒くなって、唾を飲み込んだ。一つ一つの所作が、彼女に近づいているという実感をもたらしていた。
「愛を」
ようやく僕のものだと分かる声を出すことができた。それでもまだ、彼女に届くには及ばないだろう。だから、僕はひたすらに走った。
彼女の暖かい光を一身に浴びてみたかった。彼女の愛を飲み込んで、消化して生きていきたかった。怖くてしょうがないけれど、これが一番に希望であり願望であった。そしてやっぱり、同じくらいに、僕は僕の精一杯で、彼女を愛してみたかった。
いつの間にか、こんなところにまで来てしまったようだ。太陽も月も見える。その向こうには焦がれ続けたあの星も、今ではしっかりと僕の網膜に映されている。
青白い光が、僕に手を振っているようだった。