アイラブ桐生 第4部 49~50
祇園の舞妓は、おぼこさ(幼さ)が命です。
かつて舞妓を目指す少女たちは、祇園から中学へ通い、
学校を卒業すると同時に見世出しをして、
花街で働くという道をあるきました。
幼すぎる少女の時代が、舞妓にとっての「旬」であり、
それが同時に華になりました。
20歳が近づいてくると、少女から大人へと変わります、
その年代にさしかかる頃から少女たちは、
襟替えを経て、あどけない舞妓から、
大人の芸妓になるための準備の時期にはいります。
舞妓が芸妓になる儀式のことを
「襟替え(えりかえ)」といいます。
この襟替えが近づくと、どこからともなく旦那の話なども持ち上がります。
その気の無い妓にとっては、これはきわめて煩わしい時期にもなります。
襟替えでは、髷のついた髪に、
屋形のおかあさんやお姉さんがハサミをいれます。
相撲力士の断髪式のようなものです。
舞妓の髪は地毛で結いますが、芸妓になると初めて
鬘(かつら)が許されます。
芸妓になると同時に、
今までの長い髪をばっさりと切ってしまう妓が多くなります。
芸妓になって何が嬉しいかというと、
日本髪に結った髪の毛を気にしながら
眠らなくてもよくなることが一番のようです。
箱枕から頭が落ちて悲惨な状態になり、髪結いさんへ直行する悲劇からの
脱却が、実は何よりも嬉しいことのようです。
また、今の時代となっては、たいへん少なくなりましたが、
芸妓や舞妓にとっては、旦那(だんな)と呼ばれる
スポンサーを持つことが花街では、ごく普通のこととされてきました。
旦那制度というものは、物心両面にわたって生涯、
芸妓の面倒を見るという、花街の独特の、
男と女のシステムのことを意味しています。
「水揚げ」とは、舞妓が初めての旦那を持つときに
おこなわれる儀式のことです。
しかし、こうした花街独特のシステムも、
時代と共にその意味を失い始め、いまではほとんど、
実在をしなくなってきました。
芸妓たちも自由に恋愛を闊歩して、普通に結婚をして家庭へはいったり、
あるいは公認の上で、芸妓の暮らしを続けるなど、
時代と共に変化をしてきました。
その昔、芸妓と舞妓が800人ぐらい居た時期もあった祇園ですが
今はその規模も、10分の1くらいに減少してしまいました。
すくなくなったとはいえ、今でも舞妓の見世出しは
ポツリポツリと行われています。
細々とですが、『粋と芸』の昔からのしきたりも、
その伝統も受けつがれています。
祇園にはいると、実にほっこりとします。
「ほっこり」とは、ほっとする、あるいは落ち着くという意味です。
そう思えるお客さんが居る限り、祇園は伝統を守りつつ、
その時代云々に合わせながら形態を変えつつ、これからも
歴史を紡いで繁栄をしていくのだと思います。
作品名:アイラブ桐生 第4部 49~50 作家名:落合順平