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鈴~れい~・其の二

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「あの熊のようなもっさりとした大男はどうでも良い。反対側のほれ、細っこい方だ」
 藩主の機嫌をうっかり損ねでもすれば、冗談ではなく首が飛びかねない。それは下の者だけではなく、譜代の重臣、筆頭家老だとて同様なのだ。
 五十近い頼母は、焦った様子で頷いた。
「は、あちらは―」
 頼母は、手許にある名簿にせわしなく視線を走らせた。
「柳井亀之助となっておりまする」
「歳は」
 矢継ぎ早に問うてくる主君に、矢並が意味ありげな視線で上目遣いに窺い見た。
―やれ、また、殿の困った性癖がお出になったわい。
 とでも言いたげな顔である。
 だが、嘉利は想像を絶する残虐、好色な殿さまとして知られてはいるけれど、少なくとも男色の傾向があるとは聞いたことがない。
 現実として嘉利をまだ少年の頃から知る頼母も、嘉利が寝所に寵童を侍らせたという話は知らなかった。
 しかし、相手は何しろ常識とか良識の一切通用せぬ気違いである。今日まで男色ではなかったからといって、今日は違うと誰が言えよう。
 何より、この藩主があの挑戦者―柳井亀之助に興味を持ったことは明らかだ。
「歳は幾つにあいなると訊いておる」
 なかなか応えぬ頼母に、嘉利が苛立った声を上げた。
 頼母は狼狽し、応える。
「申し訳ござりませぬ。歳は十八とここには記してございますが」
 と、突如として、歓声がその場に満ちた緊迫した空気をつんざいた。
 頼母がつと視線を動かす。
「殿。ご覧あそばしませ。どうやら、やはり、あちらの大男の方が優勢のようにございますな」
 頼母が思わず声を上げると、嘉利が口の端を引き上げた。
「そうか、そちにはあの熊の方が優勢と見えるか。なるほど、見た眼だけではさもありなん、したが、よう見てみい。真にあのちっこいのが負けるか。のう、頼母、賭けてみぬか。俺はあの細いのが勝つと見た。そちはあの熊の方に賭けるか。そうじゃの、賭けるのは、おぬしの首というのは、どうじゃ」
 事も無げに言う藩主に、頼母はギョッとなった。
「滅相もござりませぬ。この頼母、あの若造の方が勝つとは到底思えませぬが、さりとて、勝敗は時の運ということもございます。万が一、ということもございましょう。殿とのそのようなお約束を致しましたらば、この皺首が幾つあっても足りませぬ。その儀だけは曲げてご容赦下さりませ」
「フン、理屈だけは立つくせに、度胸のない奴よの。つまらぬ」
 嘉利は肩をすくめると、鼻を鳴らした。
 その時、また、わっと庭が湧く。
 嘉利が〝熊〟と称した門屋陣右衛門は、最初は優勢であったと見えたが、次第に押され、時ここに至り、押され気味であった柳井亀之助が優勢に転じていた。
 身の丈も横幅もゆうに倍以上はある熊男に向かって、果敢に打ち込んでゆく少年の姿にあちこちから声援が飛ぶ。
 広い庭園には幔幕を張り巡らせた上座の藩主他、重臣一同の御座所とは別に、下座に見物席が設けられている。ただ筵を引いただけではあったが、その場にはこの藩史に残る試合のゆく方を見届けようと上は高禄を賜る上級武士から下は微禄の軽輩まで藩士が居並んでいる。彼等の誰もが颯爽と現れた少年剣士に惜しみない声援を送っていた。
 緑の濃い皐月の庭には、藤の花がかぐわしい匂いを撒き散らしており、殊に藩主らが座る幔幕の上には、藤棚が白や紫の花を満開につけている。
 藤の咲き誇る新緑の庭で涼やかな風に少年の前髪が揺れる。まさに、一幅の絵になるような姿であった。
 少年が優勢になるにつれ、その場の興奮もいやが上にも高まってゆく。
 今や藩主嘉利の視線もただ一人の少年に吸い寄せられていた。
「頼母、あの者、柳井と申したな」
 ややあって、唐突に問われ、頼母は即座に首肯する。
「御意。柳井を名乗るからには、いずれ、例の柳井幹之進の縁者にございましょうか。それを思えば、あれほどに年若ながらも腕が立つのも頷けはいたしますが」
 そこで名簿を見ていた頼母がふと思いついたように言った。
「されば、殿。この名簿の素姓書きには、柳井亀之進は柳井道場前道場主、柳井幹之進の甥とあいなっておりますぞ」
「ホウ、あの者が先の柳井道場の―」
 嘉利が面白そうに言った。
「そちも、たまには良いことに気付くではないか。これは面白いことになってきた。はて、柳井道場に縁(ゆかり)の者が何ゆえ、今になってのこのことこのような場に現れたか。もしかしたら、面白きことになるやもしれぬ」
 嘉利は唸ると、腕組みをして二人の挑戦者たちの闘いぶりに見入った。
「殿―、何をお考えにございますか。ご無礼ながら、この御前試合は我が藩の一大行事にて、歴代の殿も殊に力をお入れあそばされておわす大切な儀式にござります。どうか、この場だけはご自重あそばされまように」
 筆頭家老としては、せめてこれくらいは諫言を試みないわけにはゆかない。
 頼母が思わずそう言わずにはおれないほど、そのときの嘉利は不気味であった。くちなわのように底光りのする眼で、若き挑戦者を執拗に追いかけている。
 嘉利がこんな眼をするときは、大抵はろくなことにならない―と、長年の勘でこの老練な筆頭家老は熟知していた。
「ええい、相変わらず煩い奴め。その皺首と胴体が真っ二つになりたくなかったら、そろそろその小うるさい口を閉じることだな」
「―」
 頼母は最早、何も言えず蒼い顔で押し黙るよりほかない。
 その時、審判役の晋三郎の声が轟いた。
「勝負あった。御前にてのこの勝負は、柳井亀之助が勝ち取ったり」
 見れば、亀之助がついに陣右衛門の懐に飛び込み、決定打を打ち込んだ瞬間だった。
 ふいをつかれた陣右衛門の持つ刀が勢い余って跳ねあげられ、飛ぶ。
 刀は庭先に落ちて、転がった。
 陣右衛門がガクリと膝をついた。
 うなだれる陣右衛門に、少年が近付く。
 彼は自分よりはるかに大きな大男の手を取ると、立ち上がらせた。
「大事ござりませぬか。身共のような未熟者、若輩者に最後までお相手下さり、ありがとう存じました。何よりの勉強とあいなりましてございます」
 敗者に向かって深々と一礼をした少年に、見物席が更に湧く。
「良いぞ。よっ、柳井幹之進の再来!」
「良いじゃないか。勝っても、少しも驕るところのないその謙虚さが良い」
 顔を見合わせて頷く面々の前、負けた陣右衛門は照れ臭そうに肩をすくめ、自分を打ち負かした小柄な少年の肩を叩いた。
「いや、なかなか見事なものだ。いずれの道場で修業なさったものか、是非お伺いしたい」
 少年が何か応えようとする前に、藩主の御座所から声がかかった。
 晋三郎が御座所に進み寄り、藩主からの言葉を伺う。
 ほどなく家老矢並頼母が両名の許にやってきた。少年と陣右衛門はほぼ同時にその場に膝をつく。
「両名とも、いや、見事な闘いぶりであった。殊に、その方、柳井亀之助と申したか。まだ若年ながら、天晴れ。殿も殊の外ご機嫌麗しく、是非、今日の勝利を勝ち得た強者とおん直々に言葉を交わしたいと仰せじゃ」
 頼母が親しげに声をかけると、少年はハッと畏まって顔を伏せた。
作品名:鈴~れい~・其の二 作家名:東 めぐみ