打算的になりきれなかった一週間
エピローグ
私は大学を卒業後、印刷会社に就職した。毎日が慌ただしく過ぎていく中、
次第に高校時代の記憶は薄れ、翔大のことは思い出さなくなっていった。
それでも、夜遅く帰るとき、都会のビルの光をぼんやりと見上げて、
ふと思うことがある。
……今、翔大は何をしているんだろう、と。
「それにしても、久しぶりよね」
会社の近くの喫茶店で、大人になった唯は言った。隣の席には2歳の男の子が
座っている。唯の子供だ。
唯は専門学校を卒業後地元の美容院に就職、知り合った男性とスピード結婚した。
同い年で立派に母親やってるんだから尊敬する。
「うん。2年ぶりくらい? まあくんが産まれた時だから。こんなに小さかった
のにねー、まあくん」
「あはは、活発すぎて困ってるよ」
それからしばらく他愛のない話をしていたけれど、唯が、そういえば、
と切り出した。
「中多君、一度帰って来るって。地元に」
「……そうなんだ」
私のストローを持つ手が止まったのを、唯は悲しそうに見た。私は首を横に振る。
「でも私、関係ないから」
「まだ怒ってるの?」
翔大は何も言わずに姿を消した。携帯番号も、メールアドレスも変えていた。
唯に聞いて住所を教えてもらったけれど、手紙を出しても返って来なかった。
電話をかけても取り次いではもらえなくて、どうしようもなかったのだ。
「怒ってないよ。翔大だって、跡継いだばかりで必死だったんだろうし、
遊んでる暇無かったことくらい分かってるつもり。でもさ、
さようならの一言くらいあってもよかったって、今でも思ってるよ」
「……そうだね」
唯は頷く。「言えなかったのかもね」
「何でよ?」
「何でだろうね。あの頃って、変なくらい気恥ずかしさとか、プライドとか、
決めつけとか、思い込みとか無かった? 純粋だったんだろうけど、
今思い返すと馬鹿みたいだね。……でも、愛おしいね」
「うん……」
唯の懐かしそうな口調に、私は曖昧に頷く。センチメンタルは嫌いだけれど、
何故か素直な気持ちになった。
一週間後。やはり会社の帰り道のコンビニで、声をかけられた。良く日に焼けた
ハンサムなやや年上の男性……と思ったら。
「翔大!?」
「後ろ姿でもしかしてと思ったけど、やっぱり。変わらないな、裕美」
相好を崩す。懐かしかった。あれほど文句を言ってやろうと思っていた日々が
懐かしく思えるくらい。
「やっと事業が落ち着いてさ。こっちに来ることが出来たんだ」
翔大は言った。こっちに戻って来る、ではなく、こっちに来る、と。
ああ、もう彼は北海道の人なんだ。
翔大は私のスーツ姿を見ると
「裕美は今何やってるの? OLさん?」
「印刷会社の事務。大変だぞう」
「へえ。打算メモ、役に立ってる?」
「人の黒歴史を口にするなっ」
あはは、と翔大は笑う。私もつられて笑う。
「で、どう? 打算的な女になれた?」
私は翔大の言葉に微笑んだ。左手のリングを見せる。
「なれなかったけど、恋人は出来たの。来月入籍するわ」
翔大は複雑そうな顔をした。優しい、けれど寂しそうな笑み。
「そうなんだ。俺も早く嫁さん見つけないと、経営の補助を任せられるような」
好きな人、ではなく、経営者としての妻。彼の言葉に、私は寂しい気持ちで
頷く。
「……うん。頑張ってね」
「じゃあ俺、他にも廻るところあるから」
うん、と言って手を振る。また明日、そう言いそうになって、自虐的な
笑みを浮かべる。彼の姿が自動ドアに消えて行くのを、私は見送った。
私と翔大の長い長い一週間は、終わった。
けれどいつか私はメモを開く。
その時、遠い傷の疼きと共に、儚き時代のことを思い出す。
<了>
作品名:打算的になりきれなかった一週間 作家名:まい子