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怪談

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A子がこのアパートに移り住んできたのは今からもう三年くらい前のこと。彼女の職場からおよそ十分ほどの場所に位置しており、ロケーションもそこそこで、ひとまず生活するには困らなかった。最初はここではなく、もう少し近くの下宿を、と思っていたのだが、何の縁か、高校時代の同級生のS美が同じ職場でしかもこのアパートに住んでいたのだ。これは全くの偶然で、はっきり言ってしまえば、A子はそのS美の存在をその時まで忘れかけていたのだ。何はともあれ、今ではA子のお隣さんになっている。
 A子には一つだけ気掛かりなことがあった。大した事ではない。それは、このアパートの隣に芝生を間に挟んで建っている一軒家である。誰の家かは分からないが、いつも留守になっているようで、人が入るのも出るのも見た事がなかった。それだけならまだいい。A子が気にしているのは、その一軒家の二階部分にある窓が、自分の住んでいる部屋とちょうど対面するような形で、真向かいに見える事だった。他の部屋、例えばS美の部屋であれば、窓は同じ方向に見えるものの、真正面からじっくり見えるような事はなかった。ちょうどA子の部屋から見えた。
 誰もいない家の窓を挑めるのは、あまり良い気持ちがしなかった。その人気のなさ、生気のなさは、彼女の心に何か背筋を凍らせるものを感じさせた。特別、恐がりでもなかったが、いやに不気味だった。
 その日は朝からジメジメとしており、大方の予想の通り、昼頃からは雨になった。A子は幸運にも傘を持って来ていた。天気予報もたまには当たるものだ。彼女はその水色の傘を天に向かって広げながら、午後五時を少し回った頃に雨の中を帰路についた。彼女は帰る途中に、小学生の女の子が道を向こうからやってくるのに気が付いた。黄色い合羽を着込み、背中には赤いランドセルを背負っている。そう言えば、この近くには小学校もあったな、と彼女は思った。その子とすれ違うくらいになって、彼女は自分の娘のことをふと思い出した。その瞬間、彼女の顔には笑みというでもなく、悲嘆というでもなく、何か消化しきれない気持ちの悪い感情が浮き出ていた。
 次の瞬間、彼女はハッとして後ろを振り向いた。誰か、恐らくさっきの小学生ではないかと思われる声が、自分を呼んだように思ったのだ。しかし、視線の先には何も無かった。人一人いない。ただ、雨に濡れる家々が建っているだけだった。辺りを見回しても、道路には車のヘッドライトが真っ直ぐに飛んでいるだけで、何処にも人の影は見当たらなかった。彼女は首を傾げ、それからまた元の方向に戻って帰路を急いだ。雨足が強くなっていたのだ。
 アパートの部屋に戻ると、すでに五時半になっていた。いつもの倍くらいの時間が掛かっていた。彼女は荷物を床に落とすと、そのまま倒れ込むように座布団の上にへたり込んだ。息が抜けるようで、仕事の後の心地良い安堵感が彼女を包み込んでいた。彼女は何の気無しに、窓から外の様子を探った。雨は相変わらず強く降っていた。向こうの一軒家も霞むようだった。A子は向こうの窓を見た。
 A子は我が目を疑った。
 人がいたのだ。向こうからこちらを見るようにして、誰かがそこにいたのだ。A子は驚くとともに、誰がいるのか見ようと窓辺に近付いた。それでも、雨の勢いは弱まらず視界をぼんやりさせるばかり。彼女は諦めずにじっと向こうを見つめた。日を細めて、正体を知ろうとした。すると、前触れも無しにいきなり雨足が弱くなった。ここぞとばかりに、A子はじっとその人影を見据えた。瞬きもせず。そして、彼女はその顔を捕えた。
 彼女は一瞬、何が起きたのか分からなかった。確かにその人の顔は見たのだが、彼女にはそれが本当の出来事だとは到底信じられなかった。混乱の中、彼女はもう一度その人を見つめた。そう、それは間違いなく、彼女の娘だった。ついに彼女は何が何だか分からなくなった。そんな事がある訳ない。あってはならない。しかし、彼女にそれを確認する術は無かった。一度の瞬きの後、それはあたかも夢のように消えてしまっていた。A子の視線の先には、誰もいない窓が映っていた。

 もう四年も前の事、彼女は小学二年生になる娘を残して朝早く出動していった。こういう事は初めてではなかったので、彼女は何の心配もすることなく、いつも通りに仕事をしていた。そして、いりも通りの午後五時頃に帰路に着いた。彼女の住むアパートは三階建てでその三階の部屋が彼女とその娘の部屋だった。夫とはそりが合わず、数ヶ月前に離婚していた。彼女がアパートに着くと、裏の芝生の方に妙な人集りが出来ていた。何かを取り囲むようにして、側にはパトカーまでくっついていた。一人がA子に気付いたが、いけないものでも見たかの様にすぐに目を逸らしてしまった。何か悪い予感がするようで、彼女はその群衆の中心部に割り込んだ。
 そこにはA子の娘、小学二年生になる娘が頭から血を流して倒れていた。傍らの大きな石には生々しい血痕が鮮やかに残されていた。彼女は愕然とし、すぐにはその状況を飲み込むことが出来なかった。周りでは人々が騒ぐ声が聞こえ、救急車のサイレンも遠くからやって来ていた。警官の「どいて下さい!」という声で我に返ったが、その時にはすでに、我が子は担架に乗せられて救急車に運び込まれていた。
 彼女も同伴したが、事態は彼女を置いて一方的に進行するだけだった。気付けば、A子は病院内で医師の「即死です」という宣告を聞いていた。やっと事態は停止したが、彼女の娘は帰らぬ人となっていた。A子は初めて事態を把握し、そして涙した。娘の小さな冷たい体に寄り添った。

 それからというもの、彼女の頭からあの出来事、あの時見た顔が離れる事はなかった。あれは一体何だったのだろう。そう考えるうちに、あっと言う間に時間は過ぎていった。時はまるで矢のように自分を置き去りにしていった。彼女は何かに憑かれたかのように、ぼーっとして仕事もままならなくなっていた。
 そんな状態が続いたある日、S美が声を掛けてきた。
「どう、調子は?」
「うん、まあ…」
「どうしたの?元気ないじやないの」
「そんな事ないわ。ちょっと疲れでるだけで」
「やっぱり疲れてるじゃないの。どうしたの、そんなにボーッとしちゃって。仕事も手に着いて ないじゃない」
「違うの、本当に何でもないのよ」
「ねえ、ちょっと時間ある?これからもう帰るでしょ」
 気付けばもう五時を回っていた。さっき職場に着いたばかりだというのに。
「そうだけど」
「良い感じの喫茶店見つけちゃってさ。一人で行くのも何だから、一緒に行こうよ。ってゆーか行くよね?」
 彼女は最近、テレポーテーションが多い。またもや気付いたら喫茶のテーブルに落ち着いていた。何という名前だか分からないが、確かに雰囲気は大人向けで良い感じだ。知らない間に注文もしていたようで、クリームの添えられたアップルパイと、アッサムティーが運ばれて来た。
「ねえ、何かあったの?」
「え、何が?J
「だから、最近変よあなた。キツネにでもつままれてるみたい」
「そんな、大した事じゃなくて…」
「じゃぁ何?」
 A子はこのS美の押しに負け、「ここだけの話」と一切を語った。
「えっ、何それ…。危なくない?」
作品名:怪談 作家名:T-03