山男のサイダー
山男のサイダー
しおづき山を半分ほど登ったところに、木でできた小屋がありました。
サイダーを売っているお店でした。
あるじの山男とその家族が、毎日手間ひまかけて作ったもので、かつては毎日とぶように売れ、山道を行く人々ののどをうるおしたものです。
しかし、さいきんはどうしたものか、さっぱり売れなくなってしまいました。
「昔はあれほど売れてたのに、くやしいもん
だ。何でだろうなぁ? 」
「やっぱり、時代が変わったんでしょうかね
ぇ。今は町の方でも、いろいろと新しいのみものが作られてるらしいですから」
山男は、チッ、と大きく舌うちしました。
「そんな機械で作ったもんの、どこがうまい。
はなからしまいまで、全部人間の手で作ったもんの方が、何百倍もうまいというのに」
山男はジョッキの中のサイダーを一気にのみほすと、ぷはーっ、と息をつきました。そしてひげもじゃの口のまわりを手のこうでぬぐうと、いつものように、むすめをつかまえて言いました。
「りほ、お前はぜってぇ、町のもんなんざの
むんじゃねぇぞ。
ありゃあ山のめぐみを知らねぇやつらの舌
にこびたにせもんだ。んなもんにだまされちゃ、たまったもんじゃねぇ」
「はいはい、もうその話、聞きあきたってば」
と言わんばかりに、むすめのりほちゃんがうんざりした顔をしています。それを見ていたおくさんがこまった顔をしていても、おかまいなし。毎日毎日、同じことを言いつづけていました。
山男とおくさんが二人きりになると話すことは、決まってりほちゃんのことでした。
「あなた、どうなさるんですか? りほの入
学のこと」
「どうったって、金が入らにゃあ始まらねぇ
だろ」
山男はため息をつくと、むこうの部屋のりほちゃんに、ガラス戸ごしにちらりと目をやりました。
「わしだって気にしてるさ。見ろよ、あれ」
山男はガラス戸のむこうのりほちゃんのすがたを、親指で示しました。
赤い顔で、あせをぬぐいながら、一生けん命仕事を手つだってくれています。時々まどべにとんでくる小鳥たちと話す時には、とても楽しそうです。
「『むずかしいべんきょうをするより、小鳥た
ちと話してるほうが楽しい』
とは言ってるがなぁ……」
山男は知っていました。
りほちゃんが、夜中にこっそり起きては自分の部屋にしのびこみ、古い本を読んでいることを。
しおづき山によく登るという、このお店のおとくいさんが新しいことを教えてくれる時、にこにこしながら聴いていることを――。
りほちゃんはもう八つ。本当ならもう小学校に通っていて、二年生になっているはずです。しかし、うちがとてもまずしいので、学校へ行くことができないのです。
「ほんとは学校に行きてぇんだよ」
山男はまたため息をつきました。
「わたしたちに気をつかって、言わないだけ
なんでしょうね」
おくさんも、しんこくな顔つきをしています。
「わしは何にもしてやれねぇのに、文句の一
つも言わずに手つだってくれるあいつが、ふびんでならねぇよ。
お前にも、いつも苦労をかけて、すまねぇ
な」
山男はうつむきました。
「いえいえ、わたしはいいんですよ。むしろ、
りほのことの方が……。
他にもいろいろお金はいるんでしょうけど、
せめて、本だけでも買ってあげられれば、いいんですけどねぇ」
「そうだなぁ。だがわしは、サイダーいがい
のもんは売りたかねぇ。わしのじいさんや親父がそうしてきたように、このサイダー一つで勝負してぇんだ。
だが、どうすりゃあいいものか」
「そうですねぇ……」
次の日の朝、山男はりほちゃんをよびました。そして自分のわきに置いた大きなはこに手をかけました。木のはこの中にがんじょうな鉄のケースをうちこんだ、手作りのクーラーボックスでした。
「この中のサイダーを、全部売ってきてくれ。
町まで出てもいいからな、たのむぞ」
今までは山で、それもこのお店だけで売ることにこだわっていたので、これは初めてのこころみです。
「うん、分かった」
初めて町に出られることが、うれしいのでしょう。りほちゃんも明るくうなずきました。
山男はほっとして、さっそくクーラーボックスを荷車に積んでやりました。
「サイダーやお金を落とさないように、気を
つけてな」
「はあい、行ってきまあす! 」
やる気いっぱいのりほちゃんを送り出すと、山男も仕事に取りかかりました。
さて、りほちゃんはどうしているでしょうか。
「よいしょ、よいしょ」
ススキが金色のほをつけ始めた山道を、りほちゃんはあせをふきふき下っていました。
荷車をひきながら下るのは、とてもたいへん。しかしりほちゃんはとてもわくわくしていました。町まで出ることをゆるされたのは、今日が初めてだったからです。
しばらくすすんでいくと、行く手にふさふさの毛のかたまりを見つけました。荷車を下ろし近づいてみると、これはびっくり! そこには小うさぎが一匹、横たわっているではありませんか。
茶色い毛の小うさぎはとても苦しそうです。
「どうしたの? 大丈夫? 」
りほちゃんは声をかけました。
りほちゃんは、動物たちとお話ができます。動物たちと心を通わせられるからです。
背中をやさしくなでると、少し楽になったのか、小うさぎは答えました。
「迷子になっちゃって、お母ちゃんをさがし
てるの。途中でのどがかわいたんだけど、お水がどこにもなくて……」
りほちゃんはこまってしまいました。こういう日にかぎって、水とうをわすれてしまったのです。
それでも何とかできないかとひっしに考え、りほちゃんはいいことを思いつきました。
「そうだ! 」
りほちゃんは大いそぎで荷車の方に引き返すと、クーラーボックスの中からびんを一本つかみ出しました。それを両手でしっかりともつと、大いそぎで小うさぎのもとにもどりました。
「もうちょっとだけまっててね」
こしに下げていたせんぬきで手早くせんをぬくと、りほちゃんはその小さな口に、そっとサイダーを流しこみました。
「あぁ、おいしい、おいしい」
小うさぎは、こくんこくんとのどを鳴らして、おいしそうにサイダーをのみました。
「あぁ、おいしかった。ありがとうございま
す。おかげで助かりました。このご恩はきっと忘れません」
サイダーをのみおえた子ウサギは、そう言って頭を下げると、しげみの中へ、ぴょんぴょんはねて帰っていきました。
「早くお母さんを見つけるんだよー! 」
小うさぎにむかってさけびながら、りほちゃんはいのりました。
(あの子が、早くお母さんとぶじに会えます
ように)
ふもとの町が遠くに見え始めたころ、りほちゃんは、またふさふさの毛のかたまりを見つけました。さっきと同じように、荷車を下ろし近づいてみると、それはさるだということが分かりました。
「どうしたの……」
聞きかけて、りほちゃんは気づきました。
さるのひざこぞうの毛がぬけ、皮ふがむき出しになっています。そこをおさえている手の下からは、真っ赤な血がすじを作って流れていました。
「お姉さん、助けて。木から落ちたんだ」
うめくような声で言ったさるのかたに、りほちゃんはしっかりと手を置いて言いました。
しおづき山を半分ほど登ったところに、木でできた小屋がありました。
サイダーを売っているお店でした。
あるじの山男とその家族が、毎日手間ひまかけて作ったもので、かつては毎日とぶように売れ、山道を行く人々ののどをうるおしたものです。
しかし、さいきんはどうしたものか、さっぱり売れなくなってしまいました。
「昔はあれほど売れてたのに、くやしいもん
だ。何でだろうなぁ? 」
「やっぱり、時代が変わったんでしょうかね
ぇ。今は町の方でも、いろいろと新しいのみものが作られてるらしいですから」
山男は、チッ、と大きく舌うちしました。
「そんな機械で作ったもんの、どこがうまい。
はなからしまいまで、全部人間の手で作ったもんの方が、何百倍もうまいというのに」
山男はジョッキの中のサイダーを一気にのみほすと、ぷはーっ、と息をつきました。そしてひげもじゃの口のまわりを手のこうでぬぐうと、いつものように、むすめをつかまえて言いました。
「りほ、お前はぜってぇ、町のもんなんざの
むんじゃねぇぞ。
ありゃあ山のめぐみを知らねぇやつらの舌
にこびたにせもんだ。んなもんにだまされちゃ、たまったもんじゃねぇ」
「はいはい、もうその話、聞きあきたってば」
と言わんばかりに、むすめのりほちゃんがうんざりした顔をしています。それを見ていたおくさんがこまった顔をしていても、おかまいなし。毎日毎日、同じことを言いつづけていました。
山男とおくさんが二人きりになると話すことは、決まってりほちゃんのことでした。
「あなた、どうなさるんですか? りほの入
学のこと」
「どうったって、金が入らにゃあ始まらねぇ
だろ」
山男はため息をつくと、むこうの部屋のりほちゃんに、ガラス戸ごしにちらりと目をやりました。
「わしだって気にしてるさ。見ろよ、あれ」
山男はガラス戸のむこうのりほちゃんのすがたを、親指で示しました。
赤い顔で、あせをぬぐいながら、一生けん命仕事を手つだってくれています。時々まどべにとんでくる小鳥たちと話す時には、とても楽しそうです。
「『むずかしいべんきょうをするより、小鳥た
ちと話してるほうが楽しい』
とは言ってるがなぁ……」
山男は知っていました。
りほちゃんが、夜中にこっそり起きては自分の部屋にしのびこみ、古い本を読んでいることを。
しおづき山によく登るという、このお店のおとくいさんが新しいことを教えてくれる時、にこにこしながら聴いていることを――。
りほちゃんはもう八つ。本当ならもう小学校に通っていて、二年生になっているはずです。しかし、うちがとてもまずしいので、学校へ行くことができないのです。
「ほんとは学校に行きてぇんだよ」
山男はまたため息をつきました。
「わたしたちに気をつかって、言わないだけ
なんでしょうね」
おくさんも、しんこくな顔つきをしています。
「わしは何にもしてやれねぇのに、文句の一
つも言わずに手つだってくれるあいつが、ふびんでならねぇよ。
お前にも、いつも苦労をかけて、すまねぇ
な」
山男はうつむきました。
「いえいえ、わたしはいいんですよ。むしろ、
りほのことの方が……。
他にもいろいろお金はいるんでしょうけど、
せめて、本だけでも買ってあげられれば、いいんですけどねぇ」
「そうだなぁ。だがわしは、サイダーいがい
のもんは売りたかねぇ。わしのじいさんや親父がそうしてきたように、このサイダー一つで勝負してぇんだ。
だが、どうすりゃあいいものか」
「そうですねぇ……」
次の日の朝、山男はりほちゃんをよびました。そして自分のわきに置いた大きなはこに手をかけました。木のはこの中にがんじょうな鉄のケースをうちこんだ、手作りのクーラーボックスでした。
「この中のサイダーを、全部売ってきてくれ。
町まで出てもいいからな、たのむぞ」
今までは山で、それもこのお店だけで売ることにこだわっていたので、これは初めてのこころみです。
「うん、分かった」
初めて町に出られることが、うれしいのでしょう。りほちゃんも明るくうなずきました。
山男はほっとして、さっそくクーラーボックスを荷車に積んでやりました。
「サイダーやお金を落とさないように、気を
つけてな」
「はあい、行ってきまあす! 」
やる気いっぱいのりほちゃんを送り出すと、山男も仕事に取りかかりました。
さて、りほちゃんはどうしているでしょうか。
「よいしょ、よいしょ」
ススキが金色のほをつけ始めた山道を、りほちゃんはあせをふきふき下っていました。
荷車をひきながら下るのは、とてもたいへん。しかしりほちゃんはとてもわくわくしていました。町まで出ることをゆるされたのは、今日が初めてだったからです。
しばらくすすんでいくと、行く手にふさふさの毛のかたまりを見つけました。荷車を下ろし近づいてみると、これはびっくり! そこには小うさぎが一匹、横たわっているではありませんか。
茶色い毛の小うさぎはとても苦しそうです。
「どうしたの? 大丈夫? 」
りほちゃんは声をかけました。
りほちゃんは、動物たちとお話ができます。動物たちと心を通わせられるからです。
背中をやさしくなでると、少し楽になったのか、小うさぎは答えました。
「迷子になっちゃって、お母ちゃんをさがし
てるの。途中でのどがかわいたんだけど、お水がどこにもなくて……」
りほちゃんはこまってしまいました。こういう日にかぎって、水とうをわすれてしまったのです。
それでも何とかできないかとひっしに考え、りほちゃんはいいことを思いつきました。
「そうだ! 」
りほちゃんは大いそぎで荷車の方に引き返すと、クーラーボックスの中からびんを一本つかみ出しました。それを両手でしっかりともつと、大いそぎで小うさぎのもとにもどりました。
「もうちょっとだけまっててね」
こしに下げていたせんぬきで手早くせんをぬくと、りほちゃんはその小さな口に、そっとサイダーを流しこみました。
「あぁ、おいしい、おいしい」
小うさぎは、こくんこくんとのどを鳴らして、おいしそうにサイダーをのみました。
「あぁ、おいしかった。ありがとうございま
す。おかげで助かりました。このご恩はきっと忘れません」
サイダーをのみおえた子ウサギは、そう言って頭を下げると、しげみの中へ、ぴょんぴょんはねて帰っていきました。
「早くお母さんを見つけるんだよー! 」
小うさぎにむかってさけびながら、りほちゃんはいのりました。
(あの子が、早くお母さんとぶじに会えます
ように)
ふもとの町が遠くに見え始めたころ、りほちゃんは、またふさふさの毛のかたまりを見つけました。さっきと同じように、荷車を下ろし近づいてみると、それはさるだということが分かりました。
「どうしたの……」
聞きかけて、りほちゃんは気づきました。
さるのひざこぞうの毛がぬけ、皮ふがむき出しになっています。そこをおさえている手の下からは、真っ赤な血がすじを作って流れていました。
「お姉さん、助けて。木から落ちたんだ」
うめくような声で言ったさるのかたに、りほちゃんはしっかりと手を置いて言いました。