東西シリーズ
猪狩朱世さんのご実家は3
朱世と次女
お姉ちゃん、いつも優しいお姉ちゃん。いつも綺麗なお姉ちゃん。ピアノを教えてくれるときはおっかないお姉ちゃん。
お姉ちゃんが家を出る?あのお姉ちゃんが……
「行かないでよ!お姉ちゃん!!」
わたしは頭もよくないし、すぐ手が出るほうで、お姉ちゃんには随分ひどいことをしてたかもしれない。寝ぼけて顔踏んだりとか、お姉ちゃんの豆乳飲んだとか。わたしがどんなに腕っ節に自信があったって、どうせ次期組長はお姉ちゃんなんだって、ちょっと悲しくなったときもあった。でも、でも。
「……お兄ちゃんは、頑張っても氷鉋より強くなれないと思うから」
「私がいない間、みんなを頼むね」
「それに、たった4年だよ。絶対帰ってくる。組長になるんだもん」
ああ、そうだった。
朱世と父
長男の中学最後のサッカー試合(何のことはない、他中学との練習試合だ)に、母も次女も出掛けていた。
家を空けることはしたくないので、俺はひとり家に残るつもりでいた。熾火がサッカーをしているのが、たまらなく好きな朱世だから、まさか観に行かないで受験勉強をするとは思わなかった。つまりは、家にふたりきりなのである。
『セントラルへ行く』という爆弾発言の後、初めてだ。ふたりきりなのは。
午前中は部屋にこもって机に向かっていたらしい朱世だが、昼飯で顔を合わせない訳にもいかない。
「なにか、言うことはないのか」
「シレンの新作、どうだった?」
「ああ、なかなか凝ったギミックが……ではなく」
「浦沢直樹の新作のこと?」
「でもなく!!」
俺はひとつ咳払いをして(それも、すごくわざとらしく)続けた。
「家を、出ると言ったな」
「そのこと。出るわ」
自作のホットケーキに、スプーンでマーマレードを垂らしながら朱世は言った。
あまり興味がないようで、視線は常にいい焼き色のホットケーキにあった。
『何も言われたくない。私が決めたことだもの。何も言わせない。』という主張にも感じる。
「どういうことだ」
「どういうも、言った通りよ。中央の大学に通うから、中央で一人暮らしをするわ。もう部屋も決めてあるの」
誰に似たのか、いや、確実に母親か、ときたま見せる朱世の行動力が、俺は恐ろしかった。
だが、頑固なところは、俺に似たのかもしれないな。
「……それは、わかっている。父親に、頼めることがあるだろう、色々と」
朱世は一度驚いた顔をして、向き直った。
「仕送り、とか……」
「ああ」
むしろ、この娘は大学生にして金銭的にも自立した生活を送る気だったのか。もう少し、甘えてもいいのではないか。
(それを許さなかったのは、確かに猪狩家だったのかもしれないが)
「荷造り、とか……」
「ああ」
「あと、あっちに行くとき、車で送ってくれる?」
「いいぞ」
出来ることはなんでもしよう。これからは。
今まで、そうだったように。
朱世
「あぁ、念願の一人暮らし!」
隣の部屋には嘉内が居るし、2匹のイノシシも居るが、それはまぁ置いといて。
「さて、と……」
荷物整理をそこそこに終えた朱世は、一度外に出て、夕飯を買ってきていた。なんの変哲もない、コンビニ弁当だ。「こだわりのビーフカレー」とか、「たっぷり塩焼きそば」、それに良くある感じのコンビニデザートが数点。
おもむろに食卓(代わりのちゃぶ台)にひろげ始める。壮観だ。結構な量がある。
行儀が悪いとわかりつつも、迷い箸で遅めの夕食タイム。現在、時刻は22:41、実家ならひとりでコンビニに行くことも止められていただろう(せめて千早を連れてけ、とか)。
「幸せー! 自分の好きなもの好きなだけ食べられるなんて!」
おっとりお嬢さま風だからか、父の趣味なのか、母の料理は上品で、どうにもいやになる時がある。もっとがつがつ食べたい。
なにより朱世は、買い食いがしたかった。
「これよこれ! こうでなきゃ!」
この計算され尽くした一般的な日本人の好く味!それに反比例する脂っこさ!値段のわりに、くらいやがれ!って投げやりな量!または、値段のわりに量少な!ってけち臭さ!……あー堪らない。
「明日は嘉内も誘って朝マックしてみよう!」
猪狩朱世、楽しい大学生活の始まりである。