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アイラブ桐生・第4部 41~43

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 仕事にも慣れてきました。
10日目をすぎたころから、高瀬川と木屋町通りの界隈へ、
スケッチに出掛ける日々がはじまりました。
スケッチブックを抱えては、四条の橋を渡って木屋町通りに向かいます。
やがてそれは、日々の日課になりました。


 今日はふと思いついて逆方向へ曲がり、
いつもとは別の道で、五条方面へ下ってみることにしてみました。
寮のまかないのおばさんから聞いた、竜馬のゆかりという鴨料理の
お店になんとなく、興味を抱いたからです。
四条と五条の間で加茂川をまたいでいる橋が、『団栗橋』です。
この橋のたもとにある鳥料理の「鳥弥三」というお店へ、
鳥好きの坂本竜馬がよく出向いたと伝えられています。


 幕末の坂本竜馬といえば、幕府がたに命を狙われて、
常に緊張をした切迫した日々を送っていたようなイメージもありますが、
此処に居ると、実はそうでもないような気がしてきます。
幕府がたとしても、徳川政権に対して好ましくない政治活動を
しているとはいえ、
破壊工作や要人暗殺を企てているわけでもない坂本竜馬を、簡単に
切り捨てることなどはできません。
竜馬も、それを承知でこの界隈で自由な日々を
過ごしていたかもしれません。



 激動の時代の中、その先頭に立っていた坂本竜馬が、
「鳥弥三」で好物の鶏を買い求め、
それをぶら下げて高瀬川沿いをぶらぶらと歩く・・・
そんな姿と光景を思わず想像してしまいます。


 竜馬と海援隊の京都事務所になっていた処が、
この三条からほど近くにあります。
高瀬川にかかる大黒橋を西に渡ったところにある材木商・
「酢屋」の二階です。
当時の竜馬は才谷梅太郎と名乗り、当主も竜馬と知りつつ
この場所にかくまっていたといわれています。


 後年ここも危なくなり、
土佐藩出入りの醤油商「近江屋」に身を移しますが、
慶応3年(1867)11月に、中岡慎太郎とともに暗殺されてしまいます。
この時にも好物の軍鶏鍋を食いたいと、使いの者を
「鳥弥三」にだした直後といわれています。
時に竜馬が33歳、慎太郎は28歳の若さです。
王政復古の大号令までは、あと20日。
鳥羽伏見の戦いまではあと50日あまり。
明治と年号が変わるまで、こののちわずか、1
0カ月あまりに迫っていました。
もう日本の夜明けは、ついそこまで来ていたのです・・・・


 また新撰組の名を一躍有名にした寺田屋跡も、
この川べりのすぐ近くにありました。
そんな昔をしのばせてくれる石碑や道案内を見つけるたびに、
またスケッチを繰り返す・・・
それがすっかり毎日の日課になりました。


 北から南に下り、南から北へのぼり、
毎日飽きもせずに勤皇の志士達の足跡を見つけては座りこみ、
その場で、そんな景色ばかりを、ひたすらに書き続けました。

 そんな日課が、2か月ほど続いたある日のことです。

 突然、妙齢のご婦人から声をかけられてしまいました。
いつもの高瀬川のほとりでの出来事でした。
高瀬舟が置かれている舟入の脇で、いまにも夕立でもやって来そうな
とても蒸し暑い、そんな午後のことでした。